プロセスのための商売か、商売のためのプロセスか——マラケシュの伝統的なスークに学ぶ
by パケトラライター 宮本薫(ドイツ・ベルリン在住)
筆者は2001年から2016年までモロッコのマラケシュ在住でした。行ったことがない方から「マラケシュで一番面白くワクワクするお店はどこ?」と聞かれたら、ラグ・カーペット屋さんと即答します。
ラグ屋さんの間口は狭く、薄暗く、中がよく見えません。廊下を進んでいくと、突然20畳ほどの大きな部屋に出ます。四方の壁には床から天井まで隙間なく、ぴっちりきれいに畳まれた赤いラグが積まれています。天井からは裸電球がいくつもぶら下がり、どこか懐かしいような匂いがします。古くなったウールの独特の匂い。
奥の部屋からは、アラビア語の話し声が聞こえてきます。高くなったり、低くなったり、不思議なアクセントと響の音楽のような言葉。実は、昨日のサッカーや今日の昼ごはんの話題だったりするのですが、理解できない外国人の耳には神秘的に聞こえる言葉です。
外国人観光客がラグ屋さんで経験すること
「どんなラグをお探しですか?」と英語で言いながら、愛想の良いおじさんが出て来ました。何気なくお客さんの視線を追いながら、まだ若い見習いにアラビア語で素早く指示を出します。「ミントティはどうしますか?砂糖入り?砂糖抜き?どうぞ、座ってください」
ゆっくり、おだやかに、でも途切れなく話し続けるおじさんのペースに巻き込まれて腰掛けると、ラグの山の一角が雪崩のように崩され、目の前には一枚一枚、美しいラグが広げられます。
あ、これ素敵・・・と思った上にもどんどん積み上げられて、お茶が出てきた頃には、空っぽだった床は真っ赤なラグの洪水。様々な柄が入り混じった光景は、まさにアラビアンナイトの世界です。
「少しでも気に入ったものはYES。全く気に入らないものはNOと言ってください。買わなくて良いんです。少し片付けたいだけですから」とおじさんが言い、今度は若いスタッフが二人掛かりでラグの端と端を持ち、目の前に広げ始めました。
気がつくと、足元に広げられたラグの山は片付き、良いと言った10枚がきれいに並べられていました。
「好みだなあ・・・特に真ん中の中盤の一枚はすてき。うちのソファの前にどうかな。でも値段の見当が全くつかないし、だいたいモロッコのラグ屋さんには気をつけるようにとガイドブックに書いてあったし・・・」
内心ドキドキしていると、おじさんは何も気がつかないような顔で「このラグは、アトラス山中の***という村から来ました。おそらく嫁入り前に織られたものです。この柄には子孫繁栄を願う気持ちが表わされています」と、一番気に入ったラグの説明を始めました。
いつのまにかお菓子も出され、すっかりくつろいだ気分に。話を聞いていただけのはずなのに、気がついたらきれいに小さくパッケージにされたラグの包みを持って宿に向かって歩いていました。
「あれ・・・ラグなんか買うつもりだったっけ。でも、おじさんの話も面白かったし、あのお兄さんたちも一生懸命だったし、何よりもとても可愛くて気に入ったし。良い旅の記念になるから良いか」
旅の思い出と買い物
マラケシュのラグ屋さんに迷い込んだ観光客は、いつの間にか、ちょっと大きなお買い物をしています。なんだかよく分からないうちに、相手のペースに巻き込まれている様子は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」を思いだします。
都会から山奥に来た二人の紳士が勝手なことを考えているうちに、うっかり料理店の策にはまり、服を脱ぎバターを塗りたくり、一枚、また一枚扉を開けていく・・・マラケシュのラグ屋さんでは、観光客が料理されるわけではありませんが、別世界に浸っているうちに、いつのまにか買うつもりのなかったラグを買っているかもしれません。
ラグ屋さんでは、観光客が来るたびに大量のラグを広げ、帰ったら片付け、また広げ・・・という作業を一日中繰り返しています。
馴染みのラグ屋の店主に「売れ行きの良い種類のラグはあらかじめ出しておくとか、棚をもうちょっと工夫するとか、もっと効率の良い売り方を考えないの?どうして一日中、広げたり片付けたりしているの?」と聞くと、不思議なことを聞くなあという顔で、「だってそのほうが楽しいだろう?わーっと広げたほうがドラマチックで思い出になるじゃないか」と言われました。
おじさんが言いたかったことは、“観光客にとっては、店に入ってから出るまでの、買い物のプロセス自体が旅の思い出。買った「もの」は、その思い出に付随する記念。だから昔ながらの雰囲気で買い物させてあげたほうが良い”ということです。
「それに、一生懸命働いているのを見ると、1枚くらい買ってやろうかという気持ちになるだろう。彼らもチップをたっぷりもらえるんだし、みんなハッピーだ」
心理学的な営業テクニックとして有名な、“返報性の原理”ですね。そういえば、ミントティーもお菓子も、してもらってばかりでは悪いなあ・・・と思わせる仕掛けかもしれませんが、別にこのおじさんも別のラグ屋のおじさんも、“返報性の原理”をはっきり意識しているわけではありません。
プロセスのための商売
買い物をするときは、まずその時間を楽しむこと。「効率よく」とか、「時間を無駄にしない」という感覚はそこにはありません。座ってお茶を飲んで、いい時間を過ごすこと。その時間の思い出ごと、商品を買ってもらうこと。
ちなみにモロッコには、スーパーなどを除き「定価」というものがありません。値段は交渉で決まります。売り手が買い手を精一杯もてなし、気持ちよく払ってもらおうとする一方で、買い手は買い手で負けてもらおうとします。
「これはいくらで仕入れたからいくら以上じゃないと売れないんですよ」「今月は色々支払いが多いので、いくら以上は支払えません」などという話を延々とします。そのうち、昨日のサッカーの試合の誰のプレイがよかった、わるかったという話題になったりしますが、サッカーの話題で意気投合したから利益度外視で売ることになったりします。
現代日本の感覚とは大きく異なるので、慣れるまでわけがわからないのですが、現代日本人が結果のために商売をしているのだとしたら、モロッコ人は、プロセスのために商売をしているのかもしれません。
商売に限らず、人付き合い、料理、暮らしの様々な側面において、ゆっくりと時間をかけ、効率を重視しません。
結果ではなく、過程を生き生きと楽しむ。そういえば、筆者在住のベルリンには、ヨガやピラティスが趣味という人がたくさんいますが、「いまを感じる、いまを楽しむ」ことがよく言われます。最先端の感覚・考え方のヒントは、モロッコの伝統的な商売の中にあるのかもしれません。
by パケトラライター 宮本薫(ドイツ・ベルリン在住)
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