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昭和99年。僕たちの組織は過去から抜け出せたのだろうか。

「なんで、やれって言われことすらできてないの。
 やる気がないんだったらやめる?」

「ルールから勝手に逸脱して自分のやり方すんじゃねーよ」


昔、とある企業に勤めていたときに言われた言葉。
いま考えると結構なブラック…笑

明確な指示やルールのもと、やれと言われた仕事だけを日々繰り返し仕事をこなしていく。
自分なりのやり方ではなく、組織の成功ノウハウをもとに、事業拡大のため、個を殺しながら仕事に取り組む。

そうであるのが当然で、社会人の仕事はこういうもんだと思っていた。
でも、今の組織で良しとされている、階層型組織、縦割り・分業体制、数値による科学的な管理体制、感情ではなく管理による支配。

こうした思想は、どこから来たのだろう。
そしてそれは、いつまで正解なんだろう。

”昭和99年”
2024年は昭和99年になるらしい。日経新聞の広告でも取り上げられているこのフレーズは、今の世の中をすごく表している気がする。

年号は昭和から平成、令和と変わり、時代は変わった。
でも、組織や人々の思想は大きく変化したのだろうか。
あくまで日本の経済発展を支えた過去の成功体験に縛られた延長線上でしかないのかもしれない。
今の社会の実態は、令和6年ではなく、昭和99年の中を生きているのかもしれない。

管理する組織はどこから来たのか

階層型組織、縦割り・分業体制、数値による科学的な管理体制、感情ではなく管理による支配。
これらはどこから来たのだろう。いつ始まったのか。

もともと、農業社会を生きてきた僕たちは、18世紀後半から19世紀前半に起こった産業革命によって、飛躍的に進歩して工業社会になった。
そこからテイラーの科学的管理方法によって、社会はさらに飛躍していく。標準的な作業時間の決定、作業内容の標準化、出来高による賃金支給。
経験による主観ではなく、数値による客観によって人を管理するようになった。

日本でも高度経済成長期に、標準品を安く大量に作り出すために科学的管理方法を採用し大きな発展を遂げた。
しかし生活必需品が世の中に行き渡ると「作っても売れない時代」になっていく。「多く作って多く売る」から「競合他社にいかに勝つか」に視点は代わり、マーケティングが社会に浸透していく。
その後、インターネットの発展により、成功に必要な「情報」も、販売に必要な「設備」も、事業に必要な「お金」も、マスメディアしかできなかった「発信」も、ありとあらゆる既得権益が崩壊し、一部の人にしかできなかったことが、誰でもできるようになった。

誰かに支配・管理されなくても、あらゆる人が自らの行動や創造性によって、価値を発揮できるようになった。

社会の仕組みは「いかに効率的に生み出すか」から「いかに創造的かつ主体的になれるか」にかわっていた。

組織に感情は必要か

「それパワハラですよね…?」

昔は厳しいことを言われてもめげずに取り組む。
終身雇用の前提があった時代は滅私奉公の考えのもと、それが当たり前とされていた。近代の封建制は崩壊し、厳しさに向き合う利益がなくなってしまった若者はつらいことがあるとすぐに辞めてしまう。

人をつなぎとめるための道具として、優しさや気遣いコミュニケーションの重要性だけが独り歩きする。その中で、パワハラに怯え部下への中途半端な気遣いやお伺いで組織が崩壊していく。

僕たちの社会には大きく2つの組織のあり方があるのかもしれない。

管理による感情を排除した統制型組織

決まった正解や勝ちパターンが確立している組織に適したやり方。
こうした管理や統制を行った方がいい前提条件は下記のようになる。

・事業や会社としての正解や勝ちパターンが確立している
・ある程度の規模に成長した階層型組織
・個人の裁量権は役割に沿って明確に定義されている
・創造性よりも効率性
・トップダウン型でスピーディーに行動することが必要な環境

創造性よりも組織の正解をいかに効率的にこなしていくかが求められる。

こうなると、むしろ個人の創造性や感情は不要になる。
「君に意見は求めていないので、ただ目標をこなしてください。」といった組織。

統制された組織づくりには、下記の要素が重要になる。

・明確な行動、姿勢のルール設計
・上司と部下の馴れ合いにならない距離感
・適切な緊張感を保ち利益を求める姿勢
・プロセスではなく最初の目標設計と結果のみ管理する

ある程度の進め方が組織として確定しているので、メンバーは与えられた目標や戦略に対して、プロセスの部分のみを創意工夫して仕事に取り組む。
管理者は目標未達成の状況では、「やる気がないのか?」「なぜできていないのか?」ではなく、「未達ですね。次はどのように取り組みますか?」といったように次のアクションにフォーカスする。
また新人の場合は、考える→行動する→報告する→フィードバックするのサイクルを1日単位で行うなど、管理期間を短くすることで日々のズレを無くすことが大切になる。
気合いや根性ではなく、事実や数値目標に対する結果でのみ評価する組織。

個人の主体性や感情に基づく自律型組織

個人の意思や感情、コミュニケーションなどを求めるやり方は、創造性を発揮する余地があり、決まった正解や勝ちパターンが確立していない組織に適している。
前提条件は下記のようになる。

・事業や会社としての正解や勝ちパターンが確立していない
・少人数や創業期の会社
・個人の裁量権が多く、役割を超えて横断的に取り組める
・効率性よりも創造性
・自律的に個々のメンバーが判断し最良を求めにいく姿勢が必要な環境

やることが明確な場合や、答えが決まっているような仕事や業種、フェーズの企業では、そもそも個人の感情や意思や創意工夫をおこなう余地がない。そのため、創業初期の会社や小規模の会社、未開拓市場に対して事業を行う会社などが、自律型組織には適している。

自律した組織は下記の要素が必要になる。

相互に意見できる心理的安全性
組織のビジョンと個人の仕事の意味を動機づけする
ルールの最小化と適切な目標設定、対話による自律行動の促進

明確な答えがなく創造性が求められる組織では、決まった正解や取り組みを盲目的に行うのではなく、全員が最良の答えを考える。そのためには心理的安全性を担保し、誰もが相互に意見を発言でき、尊重し合える関係性が重要になる。
行き過ぎると組織が自由放任になりすぎたり、仕事の質が下がる可能性があるため、組織としてのビジョンを咀嚼したり、個人の仕事に取り組む意味を動機づけすることが大切。このとき、インセンティブや恐怖などの外発的動機づけにならないようにする必要がある。
心理的安全性や動機づけに加えて、各々が最大限パフォーマンスできるようにルールは最小限にし、適切な目標設定やコーチングを行うことが重要になる。


やる気がない部下に必要なのは主体性なのか

「簡単な言われたことも満足にできない。」
「もっと自分から積極的に仕事に取り組んでほしい。」

ダメな使えない社員の烙印をすぐに押してしまいそうになる。
でも、本当にそうなのだろうか?

組織や社会にとっての意義、個人としての仕事に取り組む意味、求めている明確な成果、適切な難易度の業務設定、最良を持って働ける環境、意見できる心理的安全性etc…

社員の創造性を発揮させるには、覚悟が必要になる。
成果が出るまで向き合い続ける覚悟と時間、環境整備。

それらがない状態で、主体性だけを求められるのだろうか。
もしそうでないなら、明確な目標と結果によってのみ管理し、賞罰によって結果を追求し続けるしかない。
個人は意味を失いやめていくかもしれないが。

人は、パンのみにて生くるにあらず

僕たちの社会は、物質的には豊かになった。でもその後、真っ暗な暗闇の中で答えが見えずに30年が経った。誰も解けない問題は山積みなのに、未だに利益だけが唯一の答えになったまま。
人が歯車として転がり続けた先に幸せな未来はあるのだろうか。

しなくちゃいけない仕事を、やりたいと思えるようにするにはどうすればいいのだろう?
仕事に取り組む個人としては、

・仕事を選択した原点に戻る
・今の仕事におけるhave to仕事の可視化と排除
・今の仕事の取り組む意義や自分の中でやる意味をリフレーミングする
・自分の幼少期の得意、熱中、継続行動を深ぼる
・心からやりたいことの解像度を高めて没入する
・できている状態を当たり前化する

仕事を任せる人としては、

・心理的安全性の担保
・仕事の明確な目標や期待値、動機づけ
・適切な目標設定や仕事の割り振り
・自由に行動できるような最小限のルール設計
・プロセスは個人に任せる
・結果をこまめにフィードバックする

誰もがお金のために働くわけではない。
しなきゃいけないものから、少しでもやりたいと思えるものを。少しでも好きなことや得意なことで生きていけたら。お金を稼ぐ以外の幸せの尺度が多様になったら、少しだけ世の中は新しい時代に進んでいくのかもしれない。

理想論だけど…笑


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