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医者と患者の関係性、処方薬のことで1年間考えてきた。

テレビやネットニュースでコロナの薬やワクチン開発の話が出るたびに、わたしの脳は震える。

この1年、自分が飲む薬や、医療者と自分の関係性について、考えて、行動して、失敗してを繰り返してきました。

わたしは仕事のストレスで体調を崩して救急車で運ばれ、初めて精神科・心療内科に駆け込みました。処方された薬を飲みながら1年しっかり休職して、職場復帰できました。ところが、減薬で体がおかしなことになりました。その時の記事はこちら。

結果、会社から退職を進められ、仕事を辞めて実家に戻って静養することに。まぁ、仕事のストレスが減ったので、これはこれで良かったんだろうと思う部分はあるんだけど。

わたしは自分の体の中に入れ続けている薬のことを、自分から関心を持って勉強してきませんでした。今はネットで調べれば、いくらでも情報が入ってくるのに。情報は玉石混交だから気をつけないとダメだけど。

猛反省したのは、わたしは医者の言うことをきちんと守る”模範的な良い患者”だったこと。これは本当に後悔しています。インフォームド・コンセントが十分ではありませんでした。

インフォームド・コンセント(英: informed consent)とは、「医師と患者との十分な情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念[1]。 医師が説明をし、同意を得ること。 特に、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で(英: informed)、対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意する(英: consent)ことである(単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもインフォームド・コンセントに含まれる)。説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている。また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。これは医療倫理から派生した概念であり、患者の権利の一つともされる。 ―Wikipediaより引用

治療法、処方される薬について医者や薬剤師に任せていました。だって、わたしは医療のことも薬のことも素人だし、専門家に任せた方が楽だし確実じゃん、という考え方。餅は餅屋だと。

しかし、どうもそれは違うなと、自分の体を実験台にして実感しました。

「わたし」が治す。わたしの病気に立ち向かう主人公は他の誰でもない「わたし」なのです。

生殺与奪の権を他人に握らせるな。

この言葉を初めて聞いたとき、心臓がドクンと変な音を立てました。

病気について わたしが 勉強する。治療法について わたしが 勉強する。薬の作用・副作用について わたしが 勉強する。予後について わたしが 勉強する。主語を忘れていたことを、指摘された気持ちでした。

分からないことがあれば、どんどん質問する。納得するまで引き下がらない。やり取りはメモする。「●月■日、~~~という説明を受けた。▲▲という薬を××mg/日 処方された。この薬の副作用は▼▼のようだ。経過は~~~」みたいに。

いやぁ、我ながらウザい患者だと思います。外来診察は1人に対してそんなに時間をかけられないと思うのです。それなのに、質問攻めなんて全部受けてたら時間がかかってしゃあない。実際、医者には嫌な顔をされることもあります... 単純に相手にするのが面倒くさいからなのか、わたしの質問が医者のプライドのようなものを刺激しているのかは分かりませんが。

しかし、わたしは諦めない。医者に嘘をつかれたことがあるから。その結果、職を失ったのだから。

無駄な薬をたくさん出されてきました。セカンド、サードオピニオンで「なんでこんな処方なんだろう。この薬とこの薬は同じ作用のものだから、どちらか1つでいいと思うんだけど?」なんて首をかしげられたり、苦笑されたりしました。

ある時は、処方されている薬を自分で調べて、併用注意のものだと分かり主治医に報告したら、主治医は知らなかったなんてこともありました。薬剤師は、気づいていたのかな...?

わたしはわたしの体に無関心でした。本当に後悔しています。だから、医療に関心を持ち「主体的になろう」と決めました。

もし将来、新しい感染症に有効な薬が完成したという情報が出てきた暁には、わたしは様々な情報を調べるでしょう。思考停止の状態でそれに飛びつくなんて無謀なことは、怖くてできません。

もう、聞き分けの良い患者ではいられないのです。

こんなこと聞いてもいいのかな? なんて、考えなくていい。バンバン医療者に問えばいい。誠実な医療者は、分からないことは分からないと言うし、作用・副作用のような個人によって効果が違う不確実なことについては「私も怖いですが、この治療・薬に挑戦してみませんか? それともしばらくは、このまま様子をみますか?」と言うでしょう。その説明に自分が納得すれば、そうすればいいし、納得しないなら拒否すればいい。

病気を治すには医療者と患者との間に信頼関係が必要不可欠。だから、お願いだから。医療者は医療側に都合のいいこと、つまり期待できるイイ事しか言わないとか、患者に安心感を与えるためだと言って間違った優しさを振りかざさないでほしいです。都合の悪いことを隠したり、細かいことは患者に言う必要はないと勝手に判断しないでほしいです。どうか正確な情報をください。不都合なことも言ってほしい。

治療の第一歩目は医療者と患者との信頼関係づくり。患者本人が正確な情報を知らないと、治療は前に進まない。そして治療法は患者側が選択する。これが、人間の尊厳を守るということだと、わたしは思います。

患者側であるわたしは自身の症状、既往歴、飲んでいる薬に関する情報をできるだけ正確に伝えます。その話はどうしても長くなるので、どうか辛抱してくださいね。もどかしいこともあるかもしれませんが、腰を据えてコミュニケーションを。患者が治療に前向きに取り組むには、そこからしかないように思います。

以上が、この1年間考えてきた医療や薬に対する わたしの個人的な想いです。


(了)