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Ranannim!

 本日、令和2年8月15日。

 わたしはハワイに住んでいる。ここハワイは気候、歴史、自然、土地、文化、人々など、様々なことが人々を魅了する。しかし、わたしは、故郷を離れたことに大きな抵抗があり、ホームシックの時間が長くあった。その時、いかに私と故郷との存在が大きかったかを知ることになった。そしてハワイの魅力の全てを受け止めることができていなかった。目に入るものは、ホームレス、空気、ゴミ、政治経済、繁華街など、田舎で育った私には環境があまりにも違い、受け止めることのできない世界の現実だった。結婚前に、東南アジア、アメリカでの長期バックパックの旅を経験した。しかし、旅と生活では大違いということも知った。そんな風に生活に戸惑いを感じながら生きていたが、自分の生活に火をつける瞬間があった。

 それは、今から75年前の出来事が今のわたしを生かしているということ。

 それを改めて知るきっかけになったのは、ハワイでの人々との出会いだ。

 75年前の出来事、それは終戦。

 昭和20年8月15日。

 第二次世界大戦が集結し、戦没者を追悼し平和を祈念する日。

 75年前の今日、わたしのおじいちゃんは、まだミクロネシアのメレヨン島 Woleaiにいた。それから後、昭和20年9月26日、太陽が中天にあった時、ようやく彼は日本の地に足を踏み入れることができた。

 おじいちゃんは『メレヨン島生還記』という本を出した。わたしは、主人と結婚した当時、そして、ハワイの人々の出会いをきっかけに、その本をまた読み始めた。その時折に、それまでの彼の感じていた想いを読み取る。わたしは、小さい頃におじいちゃんと過ごした時間が多かった。彼の人生を知る私は、彼のメレヨン島への強い意思を感じていた。その想いは強く、私は何かを託されているのではないかと思わずにはいられなかった。

 キャンプに行った時に、満月を見た。わたしはおじいちゃんを想いながら、彼はメレヨン島で、どんな想いで満月を見ていたのかと考えた。満月を見ることがあったのであろうか。

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Malaekahana Beach Campground (4 July 2020)



こおろぎの鳴きすみひだに故郷おもう

群草

 この句は、当時メレヨン島にいた高射砲横山隊第一隊長の句である。9月の今頃になり、草むらのこおろぎの音が耳につくと、日本が未曽有の敗戦を迎え、混沌としていたあのメレヨン島のことが思い出されてならない。日本の勝利を信じ、勝たなければ日本に帰れないと思っていた頃、聞いたこおろぎの音は、ふるさとを偲ぶのみであったが、『迎えの船がくるそうだ』そんな声のささやかれる時に聞いたこおろぎの音は、ちち、ははの顔を見たい、生家はそのままであろうか、とふるさとに帰りたい気持ちに変わっていた

引用文献:金沢英夫(1988)『メレヨン島生還記』P209(株)アルププロ


 国際結婚をしてハワイに来たわたしとおじいちゃんの戦時中の故郷への気持ちを今になって重ねている。わたしはここハワイで風を感じるのが大好きだ。ハワイで感じる貿易風はミクロネシアにも繋がっている。そんなことを考えながら、風の囁きに耳を傾けては、おじいちゃんと話をしたいと思う。

 2度とおじいちゃんがしたような想いを私たちの子孫がしませんように。今世界で起きている戦争がなくなりますように。そしてコロナの渦が早く鎮まりますように。今日、この日に、75年前の戦争のことを振り返り、心から平和を祈る。

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このページのタイトルはわたしとおじいちゃんを繋いでくれた場所の一つ。

ミクロネシア連邦の一つの州である、チューク語の『こんにちは』

絵・暑い日差しの下で風を感じているミクロネシアの女性

Aloha nui loa to you all.
Kinisou

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