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哲学: 前提を観察する

「間違った前提の結論は必ず間違う」このことをよく覚えておくと、いろんなことに対処できる。

思い込みや期待の多くは実現しないものだ。前提が間違っているからだ。心が病んでいく人にもそれは当てはまる。

たとえば、いつも挨拶していた人が、今日挨拶すると知らん顔をされたとしよう。
通常の思考はこうだ。「あれっ?気づかなかったのかな」である。

病的になると「あの人は怒っている」「嫌われた」「無視された」こういったことを思いがちである。
この思い込みを前提とすると、結論は必ず間違う。

この間違いが続くと心の煩悶は拡大していく。

最近の流行病で「8割の人が接種すると集団免疫が達成される」という前提を思い出してほしい。

私たちにできることは、その前提を信じるのではなく観察することだ。

すでに一昨年の5月には、アストラゼネカのワクチン研究の責任者が「集団免疫は絵空事である」という結論を英国の一般紙の新聞ガーディアンに投稿していた。

前提である集団免疫達成の結論は間違いだというのだ。

現在ではその結論の確かさについては間違いない。

テレビや新聞、専門家の述べる前提を信じるのではなく、「観察」することが最も重要なのだ。

「信じる」「信じない」の二者択一ではなく「観察」なのだ。

科学哲学での「普通」の話を、教えてくれる人は誰もいない。

冒頭にあげた挨拶の話もそう。観察して「何か怒ってるの?」と尋ねれば答えはすぐに見つかるのにそれをしないで、間違った前提から生まれた間違った結論を真実だと思い込むことで自分の心を痛めつけている人がいる。

ぼくの経験談をすると、以前、焼き鳥屋さんに行った時、とても綺麗な店員のお姉さんがいた。
しかし、愛想は悪く、仏頂面で、お酒や料理を乱暴にテーブルに置くので「何だコイツ」となったことがある。

何度もそうするので「オレが何かしたか!」と思わずにいられなかった。

間違った結論を思い込むのもなんなので、店員さん呼び寄せて、
「何か怒ってんの?」と訊いた。
店員さんはびっくりした顔をして、
「いいえ」と答えた。
「怒ってないならいいけど」
キョトンとした顔で
「怒ってないですぅ」
思い当たる節がないようだった。ただ単に行儀が悪いだけだったのだ。

哲学というのはこんなふうに使うのだ。家の中だけで難しい本を暗記するのではないということだ。実践だ。
実践によって、前提の確からしさを観察することが心を整理することにも使える。

間違った前提から導き出す間違った結論にはいつも注意がいる。
つまらぬ煩悶を生むことになるからだ。

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