⭐️思い通りに生きたか
毎年、一年の始まりと一年の終わりは人生を考える重要な時期だと思う。
何気なく日々暮らしている人であっても、この時期、「今年一年は…」と自己を省みるのではないだろうか。
自分の将来について期待したり悩んだり考え込んだりしたことが一度もないという人はいないはずだ。
長いと思われる人生ではなく、「一年」という期間の中で、何が出来て何が出来なかっただろうか。365日の期間だ。
ぼくは、理想通りの人生をおくることはできないにしても、思い通りの人生はおくれるのではないかと考えている。
もし、現状が気に入らなくて、自分自身を変えたいと思う時は、「バカになること」が大切だ。
好き嫌いを超えることだ。苦手だとか面倒だとか言っているうちは変わらない。それは自己が表れているだけだからだ。
それを捨て去れば何でもできる。
「思い通りにならない」という人もいるが、実際は「思い通りにやらない人」だ。
やろうと思えばできるのに、それに従わずに好き嫌いという「好み」に従ってしまうのが人間だ。
ぼくは、来年に大きな変化をもたらすために今年は動いた。そして間に合った。賭けでもある。
変化することは賭けることでもある。賭けに勝ちたいと考えるのではなく「賭ける」だけでいい。負けることもあるだろう。
しかし、思い通りに生きるには、理想通りに生きることを捨てなくてはならない。
賭けることは、思い通りに生きることに賭けることでもあるからだ。
信念に従って生きるということは、「何かに成れる」わけでもなく「優れた人」になるわけでもなく、ただ「何に適しているか」を表すに過ぎないのだ。
人間の一つのサンプルでしかないかもしれない。
しかし、皆が問いたがる「生きる意味とは何か」「何のために生きるのか」の質問の答えを含むはずだ。
日々の暮らしで煩悶を繰り返すよりも、「賭け」によって生きることを示す方がまだマシだ。
注意しておくことは、思い通りに生きることに賭けることは「ヤケクソ」で生きることではない。
自分を磨き上げながら真理を探し、それに従い、その中で何ができるかを自らに問い、それを実践することに賭けるのだ。
その賭けの答えがどういったものになるかはわからない。
理想的であればいいが、そううまくはいかないだろう。
しかし、「思い通りに生きた」とはっきりと言えるのではないだろうか。