見出し画像

油彩: ぼくの描きたい絵

ぼくは絵を描くことは好きだが絵の鑑賞についてよく分からない。
構図や色彩、モチーフが良いなどと絵を評価する際によく言われるが、ぼくはそこの良し悪しはわからないのだ。
そして、その条件を満たすための絵を描くことに意欲がわかない。

陶芸に関しても「良い条件」というのがある。約束事のようなものだ。
備前焼には備前焼の、唐津焼には唐津焼の「良い条件」があるのだ。

確かに陶芸の良い作品は「食器」を上回るものである。その条件を満たしていれば「良し」とされる。絵にもそういった条件があるのだろう。

ぼくが描きたい絵というのは、そういった条件から外れているのかもしれない。

今回描こうとするのは条件を狭めた。
美しくない、色数が少ない、中間色っぽい、色幅が狭い、テーマが人任せ、構図はこんなものだろう、と何一つ良い条件はないのかもしれない。

ぼくは絵を描く時、「このことから何が言えるか」「ここからどう考えるか」といった刺激によって描いている。哲学を込めているといっていい。
つまり「わ〜きれ〜」とかを排除したものだ。よって、つまらないと思う。

仮題「制限された町」
下書きが終わり着彩を始めたところ

ぼくは絵画においても哲学を求めている。美や好みや宗教的な絵画から遠ざかり、見る者の主観に依存した絵を描きたいと思っている。

絵を見た時に、何度も「何が言えるか」「どう考えるか」と問いかける絵を描きたいのだ。

絵を描くことにプロもアマもない。描きたいから描くがぼくの信条だ。「どう考えるか」「何が言えるか」というのがぼくの哲学にある。

当然、それらは絵を描く際にも表れてくるものだ。それは主観的でもあり客観的でもある。

題「一歩踏み出す時」

山の中でこの不気味な場所を見つけた時、前に進むことを躊躇した。
未知へは一歩前に踏み出すには勇気がいるものだ。そのことを描きたいと思った。

この記事が参加している募集

この経験に学べ