他人の評価を気にすることは苦しみでもある
他人からの評価をとても気にするという人がいる。
他人から評価されることで、自分というものがわかるのだろうか。
若い人だけでなく、年齢を重ねた人にもそれはある。
他人の評価は正確なものではない。お世辞、社交辞令、やっつけ仕事など、適当にあしらわれていることばかりだ。
たとえば、このnote、スキの数やフォロワー数は、正確な評価だろうか。違うことはみんな知っている。
そういったものに必死で取り組む人や取り組まざるを得ない人がいる。仕事なのだろう。
しかし、やればやるほど実感からどんどん離れていく。
「評価して欲しい」という気持ちは普遍的なものなので、いかんともしがたいが、「評価したい」という気持ちが、ヒトにはないというのも、普遍的なものだということは知っておいた方がいい。
そこから、「自分はどうするべきか」を考えれば、自分の進むべき道はわかるのではないだろうか。
それをさらに進んでいけば、他人から評価されたいという気持ちが消えていることに気づくはずだ。
思考は繰り返せば繰り返すほど変化していくものだ。
当初考えていたことが変化してしまっていることに気づいた経験は誰にでもあるはずだ。
その一つは恋心だ。その後、価値観が同じで結婚し、価値観の違いで離婚する。価値観さえ変化するようだ。
当初の思いを維持することは困難であり苦しみでもある。脳の可塑性がそれを許さないからだ。
脳にとっては刺激と反応により変化することが健常であり正常なのだ。
「評価されたい」という気持ちを固定するのではなく、さらに考え続ければ、その幻から解放され、本当の自分が顕れてくるはずだ。
それは、当初考えていた自分とは全く違う自分に違いない。