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⭐️心の学び:ねたみについて

ねたみという心理は平均化しようとする法則に則っているように思う。
抜きん出た者を引きずり下ろし、今ある自分の平均値に持ってこようとする働きだ。

子供の頃に、自分が話しかけられない好きな子と気安く平気で話している同性を見ると、いじめたくなる心理にもそれはうかがえる。

それらを乗り越えるには自分が平均以上になることだが、今度は自分が引きずり下ろされる立場になる。

この平均値を維持しようとする働きは、自分が生存しやすくするためにあると考えることもできる。周りに抜きん出られては困るのだ。

生きやすくするためには「ながいものに巻かれる」や「虎の威を借る狐」という手段があるが、これらは平均を上回ろうとする意思の喪失でもある。

人間にある推論は比較から始まる。優劣のことだ。いつも自分が選択したものよりも上位にあるものに遭遇したときに心は揺れる。

恋人選びはよくわかる例だ。自分よりも今ひとつな人の「相手」を観察する。一般的に男性は女性の容姿に、女性は男性の能力を測る。

年齢を重ねてもそれから抜け出せない人もいる。卒業する人もいる。
それは、「諦め」ばかりではなく理性によることも多い。

本能的なねたみの制御は難しく自覚するだけでも難しい。自分の正当性を主張するがねたみはねたみだ。

少し学べはわかるのだが、その機会はほとんどない。

ねたみから逃げる方法は、自分が何かに打ち込むことだ。
その頑張りで周囲を見渡すと、頑張っている人の少なさに驚き、頑張っている人を見ると敬意や尊重が生まれる。もうねたみが出る幕はないことに気づく。

何かに打ち込むことや頑張りは「ねたみ」の対象にはなり難い。
「あいつバカやな、あんなことしたくないわ!」と拒否され相手にされなくなるからだ。

ねたみはもっと自分に近しく運だけでうまくいっている人に向かう。「いい思いしやがって」という気持ちに火をつけるからだろう。

ねたみは、生きていくうえでの邪魔な心理だ。それを取り除くのも自分が何かに打ち込み頑張ることだ。そうすれば抜きん出ることがどれほど大変なことかわかる。

似たもの同士でドングリの背比べみたいな環境では仕方ないのかもしれないが、「あいつ、うまくやりやがって」とねたんでばかりではつまらない生き方になる。別の生き方もあるのだ。