哲学: 「自分は特別である」に注意
人間は自分に強い関心がある。「自分は特別である」とも思うようだ。
自分が思っているよりも、他人はあなたに関心がないともいわれる。確かにそうだ。
ぼくはnoteに毎日のように記事を投稿する。
当初はいろんな人が読んでくれるのではないかという浅はかな期待も正直あった。しかし、現実はそうではない。
皆、読みたいのではなく書きたいのだ。自分の投稿に忙しいのである。
投稿する人のほとんどは自分にしか興味がない。このことは普通のことなのだが、現実を目の当たりにすると、方向転換は必須となる。
ぼくは、日々コツコツと投稿することだ。読まれないことを前提にして書くのだ。と、方向転換した。
そのおかげで、「気づき」が鍛えられた。ちょっとした些細なことにも発見があることがわかった。
「期待と思い込みは苦悩を生む」というのは本当のことだ。
それを避けるには、「何かに成れる」のではなく「何に適しているか」を信念は示す、ということを知っておくといいのではないだろうか。
謙虚にコツコツと投稿している人をみると、自然に「すごいな」と思わされる。そんな人の記事は重要だ。
自己顕示欲と自信たっぷりの「すごいでしょ」の記事は正直なところ読むことが苦痛だ。
自分への評価を気にする「自分は特別である」といった心理が文章に表れてしまうからだ。その心理の期待に応えられる人はそういない。
人間の共通した課題は、謙虚な記事にある。ぼくはnoteでそのことを学んだ。
素朴でもいい。特別でなくてもいい、課題が明確であることはぼくを刺激する。それはきっと人間をも刺激するはずだ。