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哲学:哲学の使い方

考えることは解決策を見出そうとする努力だ。哲学はそういったことに関係する。

たとえば哲学の解釈では、仕事に行くのが嫌だと思ってはいても、仕事に行くのが嫌だと考えているとは言わない。
雨が降りそうだから嫌だなと思うが、考えているわけではない。
どうやら雨が降りそうだから、傘を持って行こうと考え傘を手にすることはある。解決策だからだ。

「なぜなのか」「どうするべきなのか」こう考えることは健常であり、悩みとは違うものだ。哲学ではこう考える。

どうにもならないことを日々思っているのは悩みだが、そのことを考えることで悩みは解決する。

ぼくは考えるのは好きだが悩むのが大嫌いだ。どうにもならないからだ。

悩むと考えるとは違うというのだけれど、今一つ伝わらない。

魚釣りに行くと「釣れないなぁ、面白くないなぁ」と思ったとしても、「どうすれば釣れるか」「なぜ釣れないか」を考えて、その問題の答えを見出す。答えが見つかれば何てことない問題だったりする。

それと同じようなことが日常では山ほどある。

「人間は思考(理性)に従って生きるものだ」ということを考えてみると、ぼくの意見は、つまらないほど簡単で「普通」の話なのだ。

今日、「私は考え過ぎてストレスたまる」とそんな話があった。
「それは考えているんじゃなくて、嫌なことをずっと思ってるんやろ」と言ったら、少し考えてから
「そうや!私は何にも考えてないわ。思ってるだけやわ!」
と気づいた。
「でも解決する気ないやろ?」
「ないわ。でもアホらしいから嫌なこと思うのやめるわ」
「それがいいよ。本当に問題なら、思うんじゃなく考えなあかんで」
「わかった」
と言って別れた。

哲学は思考法を身につけることができる。それを知らない人よりも煩悶に晒されることが少なくなる。

本当は、哲学はいろんな問題を解決できるのだが、哲学の研究者が難しいことばかりを紹介するので、理解できずに使い物にならないと思われてしまっている。
大切なことが抜けてしまっているようにぼくは思う。

知恵になるようにさらに勉強しようと思う。






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