やっぱり頑張っている人はいいね

元プロレスラーの前田日明さんが動画の中で「運のいい人は運のいい人と出会うんだ」という話をされていた。自分の周囲を見渡した時、運のいい人はいるだろうかと考えてみると、運のいい人に囲まれてるじゃないか。
私は自分自身を運のいい奴だと思っている。そんな私が選ぶ人たちも運がいい人たちに違いない。
このnoteの世界においても、きっと運のいい人と出会っているはずだ。
頑張っている人は運のいい人でもある。
愚痴や空回りばかりしている人は運がいいとはいえない。
運がいいなら、そういったことを指摘してくれる人が必ずいるはずだ。それがいないとしたら運のいい人を取りこぼしているに違いない。
頑張るということは才能を伸ばす努力ともいえる。
カントは「才能を伸ばすことも義務と見なすから、そこで才能ある人に対する尊敬というものが生じる」としている。
私が頑張っている人のことを認めるのは、人間としての義務を実践している人だということを感じるからかもしれない。
しかし、私は、うまくいっているという人を見ても何とも思わないのは、才能を伸ばす努力をしているのではなく、たまたまに依存しているからだろう。
現在は、うまくいっていなくても頑張っている人を見ると尊敬する。
私は頑張っている人に出会うと強く影響を受ける。私の心を奮い立たせる。
世の中には、愚痴や不満ばかりが目につく人もいるが、そんな人は他人の頑張りに対しては鈍感だ。
自分は間違っていない、自分のやり方が一番、だと思い込んだ発言をするものだ。
頑張って才能を伸ばそうとしている人はそんなことは言わない。
自分の欠点に対しては厳しく、他人の欠点には寛容なものだ。
それは、才能を伸ばす努力が難しいことを知っているからだ。
そういったことが理解できると、「この人は運がいい人だな」と気づき、そんな人と話が合うと自身の運も上昇するはずだ。
私はまだまだ才能を伸ばす努力が不足しているが、周囲の頑張っている人に感化されて頑張りたいと思っている。
少なくとも、毎日、愚痴や不満を見つけては周囲にぶちまける人になってはいけない。悪臭を振り撒いているのと同じだと言えばわかりやすい。
そんな人と我慢して付き合ってはならない。付き合うべき人は自分で選ぶことができるはずだ。
この時に間違いやすいのが「好き嫌い」という「好み」を基準にすることだ。それではない。
また、不満をどうやって満足につなげるかといった話なら運が向いてくるんじゃないか。

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