哲学:恋愛は哲学可能か
恋する年代というのがあるが、そんなものどうでもいいという年代もある。
そして、恋愛には悩みがつきものだ。うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。
好きだった人が嫌いになることもある。
独占欲、嫉妬、支配、失望や諦め、時には絶望など、良い感情はほとんどない。それなのに恋愛への欲求は恐ろしく強い。
ぼくは苦悩の始まりは期待と思い込みだと考えているが、それを恋愛に当てはめるとどうなるだろう。いろんなものが見えてくるのではないだろうか。
「あれは思い込みだったのでは…」
「何を期待していたのだろう…」
当然ながら、そんなことを知ってしまうと恋愛は味気ないものになってしまう。
また、そう言ったところで内分泌系の働きは恋愛という名のもとに感情を抑えることなど出来ない。
恋愛の真理が見えてくるのは「時間」と「年齢」に依る。その時から「愛」や「恋」から別の感情が生まれるのが通常だ。
それが良い感情のこともあれば悪い感情に変わることもある。人間をどう観察してきたかに依存していると思う。
いずれにしろ、「愛」や「恋」を上回る感情が生まれるにはそれ相応の努力や経験がいる。
「思い込み」や「期待」のままに過ごしていると、たいていは怒りや憎しみを生み出すことにもなる。
というわけで、恋愛を哲学的に考えるとつまんない話になってしまった。
しかし、これを心理学的に説明しようとするとグロテスクな話になる。
どちらにしろ、つまんない話になってしまう。
恋愛がややこしいのは、初めから思い込みと期待に振り回されるからだ。悩んで当たり前なのだ。
真実とはまるで違うのに、それを真実だと思い込もうとする心が生み出す世界観なのかも知れない。
これは年齢を重ね、繁殖を取り除かなければわからないものだ。その条件から考えれば誰だってわかる。「期待」が消えてからだ。
若い人が、涙を浮かべながら真実だと思い込んでいるラブソングを、年齢を重ねた人が聴いて「これは真実だ」と言うことはない。
苦笑しながら「若いっていいね❤️」と言うにとどまる。
解脱しているからだ。