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⭐️心の学び:成るものは成る

何かになろうとする野心は生きるうえで大切な時期もある。努力の閾値をあげるためだ。

大したことのないことですぐに「もうダメだ」となるのは心の閾値が低いといわれる。

若い時期での能力の発達で最も効果を表すのは繁殖相手の獲得だ。
特に女性は、能力の高い人の子孫を残したいと思うのが通常だ。
「大谷みたいな子供が欲しいわぁ」というセリフをよく聞く。大谷さんの能力を見せつけられれば、そう思う女性がいるのは本能的に理解できる。

年齢を重ねると別分野への拡張への努力は必須だと思っている。必要としない人もいると思うが通常は必須だ。

何のために?と問われると困るが「生きやすくするため」という答えではだめだろうか。

「最も生きのびるのは、強さや賢さではなく、最も適応したものだ」これはダーウィンが言ったとされるが定かではない。「適応したい」と考えたのではなく、結果として「適応した」と解釈できるからだ。

ぼくは生きのびたいと思っているわけではないが、快適に暮らしたいと思っている。そのための努力なら何だってする。

年齢とともに、何かになりたいとは思わなくなったが、その反面「快適に暮らしたい」という思いは強くなった。

若い時の「何かになりたい」という強い気持ちは絶対的なものではないのだ。一時的なものだととらえておいた方がいい。変更する時期に来ているのに手遅れになるからだ。これは快適ではなく苦痛になる。

社会心理学では40歳あたりで自分の理想と現在の自分を評価するとよいともいう。

わかっているのは、社会的地位や資産を考慮しないなら、好きなことを長く長く探究してやっていれば、自分が望む「何かになる」といった理想へ到達するだろう。

「才能は育つものではなく、生まれてくるものだ」というのは本当なのかもしれない。花はそれなりに咲くのだ。

若くして芽が出ないとダメなものもあるがそんなのは一部だ。それがわかるには長く長く続けないとわからない。

その際には「何かに成りたい」という気持ちが邪魔になるだろう。
そんなことを思わなくても、成るものは成るのだ。

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