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哲学: 悩むと考えるは違う

「考えること」の必要性を説くと「そんなに考えてたら頭おかしぃなる」と言われることもある。

事実は逆で「考えないと頭おかしぃなる」のが本当だ。

「悩み」は「痛み」と似ていて、放置していれば悪化する。
「痛み」も放置している人は多い。
「そのうちに治る」という思い込みがそうさせる。

それは「どうでもいいことは前倒し、肝心なことは後回し」という人間の心理に従うからだ。

「考えること」はそういったことを回避するのだ。本能のような心理に従うことを理性によって回避するということだ。

だから、「考える人」は悩みが圧倒的に少ない。
「現実とは何か」を観察し、自分がどう考え、行動するかを決定できるからだ。

たしかに面倒くさそうに思えるが、人間は考える生き物だというのが真理だとしたら、それに従うことが普通で、それで解決できることはいくらでもある。

世の中で言われるような悩みは、悩みのうちに入らないことがよくわかる。
現実に即して考え行動すれば簡単に解決することの方が多いのだ。

現実ではない解決法とは、カラ元気やはったり、愚痴、暴飲暴食、賭博、姦淫に耽る、薬物、散財など、悩みの解決とは全く関係ないことをやってしまうのが人間なのだ。

「だってストレスが…」と言われるかもしれない。しかし、そのストレスの原因は何なのかを考えれば、おおよそ、大したことはないはずだ。
ほとんどが出所のわからない「煩悶」だろう。

次に不平不満、その出所は「比較」や「思うようにならない」あるいは「自己評価と他人の評価の違い」といったものではないだろうか。

思い込みや期待を捨てれば、すぐに解決できるものだ。

ぼくにはどう考えても「考えない」よりは「考える」ことの方が楽に生きられると思うのだ。

こういったことは学校でも習わないし、学校の先生も知らないので、誰も知らないことなのだ。

「考える」と「悩む」は全く違うということくらい学校で教えてほしいものだ。

一から説明して、どうでもいい議論をして、理解し納得してもらうまでの時間がもったいないからだ。

「悩み」は、考えているのではなく「思っている」ことなのだ。「今日の天気はいいねぇ〜」「暑いね〜」「寒いね〜」とほとんど同じ出力なのだと思う。

「考える」ことはもう少し訓練と労力が要るのだ。それは「負荷」に対して抵抗するからだ。

そこが面倒くさいといわれる所以なのかもしれない。

当然ながら、人様に「考えろ!」と言っているわけでも、言いたいわけでもないことを知っておいてほしい。

ぼくがそんなことを言う立場にないことは自覚している。
「考える」と「悩み」は違うということを言いたいだけなのだ。

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