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なぜ私は感動するのか

 「全米が泣いた」「話題の感動作」。使い古されたキャッチコピーだが、未だに映画の宣伝などで目にする機会も多い。感動して涙を流すことがいいことかはどうかおいておいて、私はそういう謳い文句がある場合は観ない。なぜなら感動するとわかっているからである。

 私が覚えている限り映画館で泣いた記憶は「帰ってきたドラえもん」を観たときだ。まだ小学生だった私は、感動の意味がわかっていなかった。ただドラえもんの映画だから劇場まで見に来たのに、自分でも何故泣いているのかわからなかった。なんで泣いているんだろう、と思いながら涙を流し続けていたのだ。翌年の「おばあちゃんの思い出」でも同じようなことが起きた記憶がある。

 おそらく私は、感動映画を観れば感動するだろう。愛犬の死をみたり、最愛の人と別れてしまったりして感動する。それはもうその映画の根幹なのだ。”感動させるために作った映画”を感動するために観て、感動するのは当たり前のことだ。そんな予定調和クソくらえである。

 これ、実は”面白い”にも同じことが言える。面白いから見てみて、と言われても、面白いんだろうなあ、と思ってしまうのだ。そんなものは面白くない。人に何かを勧める際に「面白いから」は悪手だ。人の感覚を勝手に決めないでほしい。

 私は予期せぬ心の動きを感じたいのだ。

 子ども向けの作品の中でハッと気が付かされたり、ゲームをしていて単純なストーリーに単純な答えを発見したりしたい。自分で気がつくことができる心の動きが糧になる気がする。それを言葉で表現をすることは悪いことではない。だが、他人に同じ感覚を共有しようとしてしまうのは悪い癖である。

 これからは「感動するから」「面白いから」という理由で人にものを勧めるのは避けたほうが良いだろう。「この物語を読んで、俺は心が動いた」という事実だけ伝えたほうが百倍よいのではないだろうか。

 ところで「デジモンゴーストゲーム」がフジテレビほかにて2021年10月3日より毎週日曜朝9時放送スタートしている。これは面白いので、是非観て感動してほしい。

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