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身捨つるほどの祖国はありや
オリンピックを見ていると、日本の強さってのは、どこか日本に繋がっている気がしてならない。そりゃ、それぞれの選手はそれぞれの国を背負った代表として戦っているわけですが、日本の場合、個人というよりも、日本人全体みたいな感覚が上にやってくるのは何故だろうか。
個人のプレイヤーが戦っている姿は、何か日本人全員を見ているような気分になってくる。その人の個性や人生や表情、選手だけじゃなくて、コーチ・家族・ストーリー、過去・未来、全てが共依存並みにシンクロしては"日本"って言葉が浮かんでくるのは、なんだろうか。
知らずのうちに、身を捧げているような気さえしてくる。だからこそ、勝てているような気にも。。。なんというか、その分、負けると全国民が「あーあ」と、ため息をつくんだとも思う。
そう、伊達公子さんが怒っていたのは、そういうところに怒っていたんだと、すごくそう感じました。
シャラップー!ため息ばっかりー!
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