覚え書き:「ブリクリウの饗宴」

「ブリクリウの饗宴」(Fled Bricrenn) の編集の上で必要な情報の覚え書きを、専門的でない方にもできるだけ理解し易いように情報を付け加えた上でここに掲載します。


A. 写本資料

「ブリクリウの饗宴」(Fled Bricrenn) は、以下の写本に収録されている。必ずしも欠落のない形とは限らず、一貫したテクストを持つのはLUとEgのみである(以下を参照のこと)

(所在地), (所蔵館), (写本の分類コード), (「ブリクリウの饗宴」を収録しているページ番号+列(二列、aは左、bは右))の順番で書かれてます。例えば一番上の『褐牛の書』の場合、ダブリンのロイヤル・アイリッシュ・アカデミーが所蔵し、MS 23 E 25というコードで分類され、第99ページの右列から第112ページの右列までに収録していることを表します。

・Dublin, Royal Irish Academy, MS 23 E 25, p 99b–112b + H(別名『褐牛の書』(Lebor na hUidre);略称LU;12世紀)
・London, British Library, MS Egerton 93, fo. 20r–25v(略称Eg;15世紀)
・Edinburgh, National Library of Scotland, MS Ed. XL, p 69–76(略称Ed;16世紀;最終部分‘Cennach ind Ruanada’のみ)
・Leiden, MS Codex Vossianus fo. 3r–9v(16世紀;断片のみ)
・Dublin, Trinity College Library, MS 1336 (H 3.17) 683–710(16世紀;断片のみ)
・Dublin, Trinity College Library, MS 1337 (H 3.18) p. 607(15-16世紀;注釈付きの抜粋)
(参照:Fled Bricrend - CELT: The Corpus of Electronic Texts,Background details and bibliographic information; Slotkin, 'Editing Fled Bricrend'; CODEX:各写本ページ)

B. 出版

以下の書誌に出版されています。原文のみのもの、翻訳があるものの両方です。人名の後に (ed.) とあった場合は原文のみ、(ed. and tr.) は翻訳もあるものを示します。結構いろんな言語に翻訳されてますね。私が日本語訳の際に用いているのは英訳のある二つの版(Geroge Henderson (1889) とMac Cana & Slotkin (2005))の二つです。

・Ernst Windisch (ed.), "Fled Bricrend, 'Das Fest des Bricriu" in Irish TexteIrische Texte mit Wörterbuch, Leipzig, 1880, pp. 235–311, 330–6. LUを底本とし、EgとH 3.17も参照。Revue Celtique, vol. 5, p. 238に正誤表。
・Kuno Meyer (ed. and tr.), "The Edinburgh version of the Cennach ind Rúanado (The bargain of the strong man)” in Revue Celtique, vol. 14, 1893, pp. 450–91. 最終部分'Cennach ind Ruanada'のみのEdを底本とする。
・George Henderson, "Fled Bricrend", Irish Text Society, London and Dublin, 1889. LU, Edを底本とする。
・Ludwig Christian Stern (ed.), "Fled Bricrend nach dem Codex Vossianus", in Zeitschrift für Celtische Philologie, vol. 4, 1903, pp. 143–77. Ldに依拠。CELTに掲載。
・George Henderson (tr.), Fled Bricrend -- The Feast of Bricriu, Irish Text Society, 1899.
・R. I. Best and Osborn Bergin (ed.), Lebor na hUidre: Book of the Dun Cow, Dublin, 1929, pp. 50–3. LUの原文のまま。CELTに掲載。
・Jeffrey Gantz (tr.), Early Irish Myths and Sagas, New York, 1981, pp. 219–255. LdとEdに依拠。
・John T. Koch and George Henderson (tr.), in The Celtic Heroic Age, John T. Koch and John Carey (ed.), 3rd ed, Andover, 2000, pp. 76–105. Hendersonの翻訳の改訂版。
・Rudolf Thurneysen (tr.), "Der Streit um das Heldenstück", in Sagen aus dem alten Irland, R. Thurneysen (ed.), Berlin, 1901, pp. 25–57. (ドイツ語訳)
・Henry d'Arbois de Jubainville (tr.), "Festin de Bricriu", in L'Épopée celtique en Irlande, H. D'Arbois de Jubainville et al (ed.), Paris, 1892. pp. 81–148.(フランス語訳)
・G. Agrati and M.L. Magini (tr.), La saga irlandese di Cu Chulainn, 'Il festino de Bricriu', Milan, 1982.(イタリア語訳)
・Maartje Draak and Frida de Jong (tr.), Het feestgelag van Bricriu, Amsterdam, 1986.(オランダ語訳)
・Mac Cana & Slotkin, "Fled Bricrenn", Irish Text Society, 2005.(英訳)

参照:Fled Bricrenn (Wikipedia; https://en.wikipedia.org/wiki/Fled_Bricrenn); Edgar Slotkin, "Editing Fled Bricrenn", 2005.


C. Mac Cana & Slotkinの編集について

原文の底本として用いているのはMac Cana & Slotkin (2005) の方です。この校訂版は写本のままの順番で載せているわけではありません。

以下、Slotkinの論文 'Editing Fled Bricrend' より要約

FBが書かれている五つの写本のうち、もっとも古く最も権威ある写本である『褐牛の書』(LU)におけるパラグラフと内容の対応は以下の通り

¶      内容
1-28  ブリクリウの館における口論と争い
28   女性たちの一覧(LUのみ)
29-32  エウェルによる詩(rosc)、クー・フリンが二頭の馬をいかにして得たか
33-41  霧の中での巨人との遭遇
42-56  クルアハンへの進軍と到着
57   クルアハンの猫の襲撃
58-62  女王メズヴが〈英雄の分け前〉がふさわしい者を決め、英雄たちにカップを渡す
63-65  クルアハンでのさらなる試練
66-71  Ercol, Samera, 魔女たちとエウィン・ウァハへの帰還
72-74  英雄たちが証のカップを見せ合う
75-78  Budi, Uathとエウィン・ウァハへの帰還
79-90  クー・ロイの館における冒険とエウィン・ウァハへの帰還
91-102 英雄の誓約

このテクストは物語的な一貫性を欠いている:まず、¶66-71は流れにそぐわず、なぜ入っているのか全く不明である。次に¶62で、ロイガレ、コナル、クー・フリンというアルスターの三英雄のうち、誰が最も優れた英雄なのかという女王メズヴによる裁定が下るにもかかわらず、その裁定が明かされる¶72-74までの間に、別の場所で裁定を求めているのは不自然である(Slotkinが言いたいのは恐らく、¶63-65と、¶66-71のことでしょう。前者は子供たちの前で英雄三人がそれぞれパフォーマンスをするくだりで、後者はメズヴの勧めで寄り道をするくだりです。メズヴが三人にカップを内緒で渡しており、後はそれをアルスターに帰って見せ合うだけで済むのに、衆人環視の前でパフォーマンスをしたり、寄り道をしたりする理由がありません)。そしてさらに¶75-78では首切りの試練が英雄たちに課されるのだが、最終的に最も優れた英雄がクー・ロイによって決定されるのも同じく首切りの試練なのであり、¶75-78がクライマックスの展開の、全くの邪魔になっている(それゆえMac Cana & Slotkinでは除外されている)。最後に、¶33-41の霧中の巨人のエピソードは、クルアハンへの進軍の流れを阻害してしまう。

Slotkinの出した結論は、この写本が書かれた後で改竄されたというものであり、その結果として元々あったテクストの一部が削除され、存在していなかったテクストが挿入され、そして本来の場所から移動された、ということである。Slotkinによれば、この改竄者は自分で書いた¶75-78のBudiとUathによる首切りの試練を活かすため、¶33-41の霧中の巨人のエピソードを本来の場所とは異なる場所へ移動したのである。これは本来ならクー・ロイへの館へ行く途中にあるべきである。Slotkinは¶29-32も同様に改竄者の手によって書かれた、本来は存在しなかったものかもしれないとしている。そしてまたSlotkinによれば、改竄の手が入る前のテクストの順番は、他の写本の順序と類似しているはずである(というのも、以上に記されているのは全てLUという最も古い写本における「ブリクリウの饗宴」なのだが、他の写本では順番が異なっており、また上記のような余計な部分は存在しないのである)。以上より、Slotkinによる再構成された順序は以下のようになるという:

¶      内容
1-28  ブリクリウの館における口論と争い
28   女性たちの一覧(LUのみ)
29-32  エウェルによる詩(rosc)、クー・フリンが二頭の馬をいかにして得たか
42-56  クルアハンへの進軍と到着
57   クルアハンの猫の襲撃
63-65  クルアハンでのさらなる試練
58-62  女王メズヴが〈英雄の分け前〉がふさわしい者を決め、英雄たちにカップを渡す
66-71  Ercol, Samera, 魔女たちとエウィン・ウァハへの帰還
72-74  英雄たちが証のカップを見せ合う
75-78  Budi, Uathとエウィン・ウァハへの帰還
33-41  霧の中での巨人との遭遇
79-90  クー・ロイの館における冒険とエウィン・ウァハへの帰還
91-102 英雄の誓約


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