【ユンゲ・フライハイト紙】「ブレグジット: 民主主義の勝利」

2020年2月1日
もしブレグジットがうまくいっていなかったとすれば、アナーキストのEmma Goldmannの命題の支持者は、それが証明されたと感じたことであろう。「もし選挙が何かを変えようと望むものなら、そのときには、それは禁止されるであろう」。ブレグジットはその反対のことを証明した。実際に、ここ数十年におけるヨーロッパ政治における転換点のうちで、ブレグジットほど強力な民主的な正当化を受けてきたものはないのである。それは国民投票によって決議され、また議会選挙によってもう一度、見事に確証されたのである。

それに対して、今日におけるEUがそれに基づいて活動している欧州憲法は、フランス人とオランダ人によって国民投票によって否決されていたのである——ドイツ人は問われすらしなかったが。その後にこの欧州憲法はリスボン条約へと表面的に姿を変えられ、にもかかわらず施行されたのであった。この反民主主義的なプロジェクトに、イギリス人はもう参加しないというわけである。

当時の首相であったディヴィッド・キャメロンは、2015年の議会選挙の前に、EUの構成員であり続けるかどうかについての国民投票を実施することを約束していた。だからこそイギリス人たちは、予想外なほどの明らかな多数を彼に与えたのであった。それによって、もはや彼は、親EUの自由民主党員たちを頼りにすることができなくなった。EUに懐疑的なナイジェル・ファラージのイギリス独立党が、この選挙においては投票数の12%を獲得していた。仮にイギリス人がドイツにおける代表選挙権をもっていたとしたら、国民投票のための議会における多数は、もう十分にあったことになる。

EUの言いなりになるメディア
2016年6月23日に行われたブレグジットの国民投票においては、66%の参加したその前の議会選挙を超える72%が選挙に参加した。最終的にブレグジット陣営は、130万票という明白な差をつけて勝利した。ぎりぎりの選挙結果であるというのは間違っている。ドイツにおいても、過去にはほとんど数千票の投票数によって、政権構築が決められてきたのであった。明白な多数と高い投票率によって、政府はブレグジットのための、はっきりとした政治的な委託を受けたのである。

ところが連合王国における親EU陣営やEUや、またさらにはドイツにおけるEUの言いなりメディアは、この明白な民主的な意思表示を尊重する準備ができていなかった。それらは、まったく本筋をはずれた議論によって、この国民投票の結果をつぶそうとしたのである。たとえば曰く、選挙民たちに若者が含まれていないから、この国民投票のもつ価値は根本的に疑わしい、などといった議論を展開したわけだが、それは結局のところ、二言目には、以下のような標語のもとで、もう一度国民投票を要求するためであった。「投票してもらおう、結果がのぞみに適うものになるまで」。

当然のように、イギリス人たちの経済的な衰退が予言されていた。だが、ブレグジットの決断をした後に、イギリスにおける失業率が歴史的な最小値となり、それがEUでユーロ圏にあるフランスの半分程度のものとなったことは、意図的に無視されている。

政党地図における革命
テレサ・メイが自らの協定案によって下院で失敗をして離脱が延期され、イギリス人がまた自らの意志に反してもう一度、欧州議会の選挙に参加しなければならなくなったとき、親EU陣営が勝利したかのように思われた。歴史家のTimothy Garton Ashは、EUはイギリス人たちに、もう一度こう呼びかけるべきだと説いた。「素晴らしい、もし君たちが残ってくれるなら、それを歓迎するよ!」と——そしてブレグジットは片がついてしまった。多くのブレグジット支持者はその望みを諦めてしまった。

そのときに起こったことは、民主主義における運命の瞬間であった。ナイジェル・ファラージュが自分で選挙のために創設したブレグジット党が、たちまち欧州議会選挙で30%を獲得し、もっとも強力なイギリスの政党となったのである。そうしてファラージは——数年前と同じように——もう一度市民たちに声を与えたのである。このような雰囲気のうちで保守党のボリス・ジョンソンが首相となり、自らのハード・ブレグジットへの心づもりを明らかにし、最終的に下院に新たな選挙への圧力をかけたのであった。

12月における議会選挙でのボリス・ジョンソンの地滑り的勝利は、ヨーロッパを変えただけではなく、連合王国における政党地図にも革命を引き起こした。というのも、保守党員たちは初めて、北部イングランドにおける「赤い壁」を突き崩すことに成功したのである。そこには、過去数百年にわたって一度も保守党の議員が選出されたことのない地域があったのである。それは、アメリカ北東部の産業ベルトにおけるアメリカ大統領トランプの成功と並べうるものである。そのときまでは、そこではいつも民主党員が選出されていたのだ。

歴史的な転換点
ブレグジット陣営の敗北の脅威に直面して、自らの国の将来を自分で決める自身の権利を守るために、選挙民たちは伝統的な社会的、政党政治的な対立を克服したのである。ボリス・ジョンソン自身は、このような保守的な中産階級と愛国的な労働者階級の結合を、「One Nation Conservatism」と呼んでいる。それによって彼が引き合いに出しているのは、かつての宰相ベンジャミン・ディズレーリであり、彼もまた労働者階級の支持のもとで保守党のために勝利を獲ることに、一度成功していたのである。

イギリスの投票民たちは、政治的エリートのコンセンサスに対して、歴史的転換を押しつけることに成功した。その点において、とりわけブレグジットは、民主主義の勝利である。だからこそイギリス人だけではなく、あらゆる真の民主主義者が、そのことを喜ぶことができるのである。

https://jungefreiheit.de/debatte/kommentar/2020/triumph-der-demokratie/


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