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秋、よもすがら

 右手が痺れて、半年が経つ。

 右手の痺れは、2022年の冬に始まり、春先に軽快した。

 しかし今度は、入れ替わりのように、右足、左手の順に痺れた。これほど、あちこちの末梢神経の痺れに見舞われることは初めてで、戸惑いが隠せない。しかし、どうすることもできない日々が続いた。

 季節は春から夏になり、秋へと移ろう。

 結局、この半年間ずっと、どこかしらの痺れに見舞われている。原因はいまだにわからないし、指先の感覚はいまだにおかしい。

 良と悪の繰り返し。「最近調子いいな〜。このまま治りそう!」と思えば、いきなり予期せぬ不調が訪れる。気まぐれすぎて、猫もびっくりするレベルだ。

 今日は、その“予期せぬ不調”の日であった。前述のとおり、このまま治りそうと思った矢先である。

 前触れもなく、右手に痛みとしびれがぐわーっと広がった。
 突然のことだった。

 今までの経験上、朝か入浴時に、それは起こる。嬉しくはないが、慣れたものだ。てか、その右手、半年前に痺れたところよ、あなた。自己主張が強すぎるんじゃない?

 もう何度目かのそれに、わたしは「また?!」とげんなりした。焦りはない。諦めはある。
 このような症状が一度発症すると、数日間は苦痛症状が強い。今は痛みが強く、激萎えぴえぴえ丸だ。

 2週間経てば、ゆっくりと落ち着いてくる。今回もきっとそうだろう。

 頭部CTと首と腰のレントゲンには、異常は見られなかった。末梢神経の問題のようだが、原因の同定は難しいそうだ。痺れは、原因がわからないことも多いからね、と言われた。
 まだやれる検査はある。だが、もういいかなと思う。これ以上、悪くならなければ、いいやと思う。正直、疲れたのだ。

 半年前は、ショックが大きかった。痺れた場所が、手術して完治した場所だったからである。「術後数年、あれだけ調子良かったのに」と頭を殴られたような気分であった。
 それでも、日が経つとショックは薄れていく。わたしだって、負けられない。こんなのに、負けるか。歯を食いしばった。

 それでも、様々なところが不調になった。

 原因が別々なのか、ひとつなのか、それすらもわからず、悶々とした。しかし、朝は平等に訪れる。朝に体調が悪くなることから、深く寝てしまうのが怖くなり、睡眠が浅くなった。今も眠るのが怖い。

 しかし、負けていられないのだ。

 イライラしたり、寝具を変えたり、シクシクしたり、ストレッチしたり、出来ることはやってきたつもりだ。夫には、迷惑をかけ、世話になっている。この長い髪を洗い、乾かしてもらうとき、当たり前のことが出来ない自分に悔しくなった。

 しかし、わたしは、生きている。一応、手も足も動く。他人から見れば、普通の生活を送れている。手も足も、ほら、動いているよね。

 それなら、と思う。
 今現在、この現状を受容した感覚。戦うより、付き合うしかないな、という思いが、胸に満ちている。

 原因が何であれ、わたしは、この身体と付き合うしかない。
 以前ほど、後ろ向きではないことが、唯一の救いだ。

 指先に力が入らないため、やりたいことが思うようにできないのが、不便だ。が…仕方ない…。いつかは、良くなるだろう。そう信じている。

 生きれいれば、色々ある。起こったことは、変えられない事実だ。それならば、現状を受け入れて、無理せずに生きていこう。

 と言い聞かせている。
 もちろん、落ち込む日もある。投げ出したくなる日のほうが多いのも、事実である。だが、そんな時間も大事だろう。ボロボロになっても、辞めたくなっても、わたしは、顔を上げ続ける。

 人生は続く。
 大丈夫、わたしの人生は、わたしが生きる。弱音を吐き、強気で生きたい。

 そう思う夜。
 こんな今も、笑い話に変えられたら…そう思う夜あった。


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