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桜の季節に君を想う - 愛猫クロと我が家の物語

愛猫・クロが2023年4月4日、旅立ちました。
5月で18歳でした。

小学生の頃から可愛がっていたクロ。実家を離れてからも、頻繁に帰省し、会える時に精一杯の愛情を注いで一緒に過ごしました。
わたしたち家族は、クロのおかげでひとつにまとまることが出来たと言っても過言ではありません。
このエッセイは、そんなクロと我が家の物語です。愛を綴っていたら、13,000字を超えてしまいました。

最後の日々のことも多く綴っています。同じような境遇の方が読まれると、心が痛んでしまうかもしれません。そのような場合は、今日は一旦お休みして、1ヶ月後でも1年後でも、ふと思い出したとき、大切な“あの子”のことを思い、お読みいただけたら幸いです。

クロの生きた証が、どうか多くのひとの心に届きますように。
そう願って、書きました。

 わたしの左腕に首を乗せ、身体をくっつけて眠っている。息をするたびに動く背中を、そっと撫でる。ごつごつした背骨。一方、毛並みは艶やかで、まるでシルクのようだ。
「クロちゃん、大丈夫だよ。姉ちゃんここにいるからね」
 そっと耳元で囁く。しばらくすると、荒い息が寝息に変わった。時折、身体をビクッとさせている。夢でも見ているのかな。最近、あまり眠れていなかったもんね。
「姉ちゃん、ここにいるから、大丈夫だよ」
 そう、何度も何度も囁いた。君が安心できる場所でありたいと、願いながら。

出逢いは突然に

 2005年5月28日、力なく歩いていた一匹の猫に、父がご飯をあげた。すると、次の日も、その次の日もやってきた。彼女はキジトラで、わたしたちは名前を“チビ”と名付けた。それほどに、痩せていたのだ。

 チビは、ご飯を食べると、みるみる元気を取り戻した。そして、庭でくつろぐほどに回復した。
 その夏、彼女は3匹の子どもを連れてきた。ひとりは口にくわえ、あとのふたりは、後ろをついて歩いてきた。
 そして“この子たちにもご飯をあげて!お願い!”というように「ニャア!」と鳴いたのだ。

「子連れだったのか!」
 家族の誰もが、驚いた。チビと名付けられるほど痩せていたのは、子どもを産んだ直後だったのだ。それから、ニャアニャアと賑やかな日々が続いた。子どもたちはそれぞれ、チャチャ、フク、そしてクロと名付けられた。

 チャチャとフクは茶トラ、クロはキジトラ。茶トラは茶トラ同士で好んで遊び、キジトラのクロは、お母さんにべったりの甘えん坊であった。クロは、よく風邪をひいていた。そのたび、母猫に舐めてもらっては、くっついて眠っていた。

 そして、夏が過ぎた頃。次第に、チビのお腹は大きくなっていた。新しい子供が出来たのだ。
 ある日、クロは母猫に甘えようとすり寄った。いつもの光景だ。しかしチビは、その顔を勢いよく叩いた。何が起こったのかわからないクロ。もう一度寄り添おうとすると、また叩かれる。仕方なく、離れて座るクロ。その姿は、大変悲しそうであった。

 それが母猫・チビを見た最後の日となった。あのやりとりは、“あとは、自分で生きなさい”と、母からのメッセージだったのだろう。

 しかし、クロにとっては、ショックが大きかったようだ。
 数日間、“お母ちゃんがいない!どこいったの?知らない?”と、わたしたち人間に訴えるよう、必死に鳴いていた。茶トラたちは、変わりなく遊んでいる。クロだけが、みゃあみゃあと鳴いていた。
 そして、もう母と会えないことを悟ると、ご飯を食べ始めた。あの時、ひとりで生きる覚悟を決めたのかもしれない。

 それから、3匹はわたしたちの家族として迎え入れた。
 チャチャは兄弟を思う優しい猫だった。しかし腎不全を患い、1歳を迎える前に旅立った。フクは人間が苦手で、外の生活を好んだ。朝晩、我が家でご飯をもらい、16歳まで生きた。

 そして甘えん坊だったクロ。
 彼は、我が家でのびのびと暮らし、人間とともに生き抜いた。

 このエッセイは、そんなクロと我が家の物語である。

チビ一家。左からクロ・フク・チビ・チャチャ。

わたしは姉ちゃん

 わたしはひとりっ子だ。しかし、父はわたしのことを“お姉さん”と呼ぶ。それは物心ついたときからで、わたしにとって当たり前だった。それに対して、何ひとつ疑問を抱いていなかった。だが、よく考えれば、兄弟もいないのに、“お姉さん”とは、不思議な話である。

 しかし、小学6年生のとき、クロが家に来た。それからわたしは、自分のことを“姉ちゃん”と呼ぶようになった。クロの姉ちゃん。自然と、そう言っていた。

「クロちゃん、姉ちゃん帰ってきたよ!」
「姉ちゃんと一緒に寝ようね!」
「姉ちゃん大好きだもんねえ、クロちゃん!」

 その姿に、母が「“お姉さん”ってそういうことだったのねえ」としみじみと言った。あの日のことを、今でも鮮明に、覚えている。

家のソファでくつろぐクロ。1歳の頃。
子どもの頃から、のびのびと過ごした。

幼少期の思い出

元気いっぱいな男の子

 クロは、人懐っこくて活発な男の子。
 たくさん食べて、よく眠り、賢くて、いたずらが大好き。毛づくろいと日光浴は、大事な日課。何事にも興味を持ち、走り回っていた。

 キッチンにのぼったり、食べ物を狙うのは日常茶飯事。買ってきたばかりのキャベツや白菜が大好きで、人間の目を盗んでは、スーパーの袋に顔を突っ込んでいた。そのたびに怒られるのだが、興味のほうが勝り、また同じことをして怒られた。

 わたしと遊ぶのも大好きだった。ひものついたおもちゃを振ると一回転ジャンプし、遠くに投げると咥えて持ってきて“見て!見て!”と自慢げに見せびらかしてきた。遊び疲れると、一緒に昼寝した。
 クロは、トイレにも風呂にもついてきた。風呂場では、クロのために洗面器にお湯を張ってやる。すると彼は、前足をぴちゃぴちゃとつけて遊んだ。そして、湯船に浸かるわたしを見て「姉ちゃんは、そこで何をしているの?」と不思議そうな顔をした。
 ドライヤーを使えば、その音に恐怖し逃げ回る。しかし、使い終わり静かになると、そろりそろりと近づき、猛烈な猫パンチをかましていた。

 毎日、大声で人を呼びつけ、かまってかまってと言う。しかし、人間の不注意で部屋に閉じ込められたときは、なぜかだんまりとしていて、わたしたちが必死に探して見つけると、おしっこを漏らしていた。あのね、そういう時に、大声出すんだよ。そういう時こそ呼んでよね。

 何もかもが可愛くて、笑ってしまいそうなエピソードばかりである。

1歳。大好きなおもちゃと踊り場でくつろぐクロ。
3歳。ぬくぬくお布団大好き。
6歳。ヒーターの前は自分の席。絶対にどかない。

クロの脱走と姉ちゃんの奔走

 わたしは高校生になった。クロは成年期を迎えた。
 筋肉質な体格、長く美しい手足と尻尾。シュッとした顔立ち。イケメン猫に成長した。しかし中身は子どものままで、大変な甘えん坊である。わたしの腕枕は、特等席だった。

 そんなある日、クロは脱走した。
 ほんの少しだけ開いた窓から、外に出てしまった。元々は、外で生きてきた猫。恋しくなってしまったのだろうか。それとも、冒険の気分だったのだろうか。ルンルンで出ていったことに違いない。

 さて、そうなると人間は大パニックである。一番のパニックは、このわたし。「何としてでも見つけて、家に連れて帰る!」と学校を休み、三日三晩探し続けた。脱走したその夜は嵐で、いつも近くにいる毛むくじゃらがいなくて、わたしは嵐にも負けぬほど泣いた。

 捜索3日目の昼。隣家の庭に、クロがいた。ようやく見つけた。それなのに、彼はわたしに怒られるのでは、と心配そうな顔をしていた。怒らないから!
 わたしはお気に入りのご飯を差し出して、クロに近づき一気に抱っこした。「帰るよ!おうちに帰るよ!」そう言いながら、連れて帰った記憶がある。クロも疲れ切ったのか、だらんと脱力していた。

 家に帰ると、クロは今まで見たことのない勢いでご飯をガツガツと食べ、水を飲んだ。3日間、何も食べていなかったのだろう。
「ああ、良かったあ。姉ちゃん、ずっと探してたんだよ?」
 そう話しかけ、床に寝転ぶと、彼は珍しくわたしのお腹に乗ってきた。その背中を撫でると、毛並みは土っぽくザラザラとしていた。

 もう、こんなに無茶しちゃって。

 お腹の上から、スースーと寝息が聞こえる。大変だったね。ゆっくりおやすみ。姉ちゃんのそばは、安心していられる場所だからね。ザラザラした背中を撫でながら、わたしもそっと目を閉じた。

この脱走事件をきっかけに、迷子札と鈴付きの首輪をつけることに。

ここが安心できる場所

 2011年3月11日。東日本大震災が襲った。その4日後、静岡に最大震度6強の地震が起きた。その夜、いつものように自室で休んでいると、クロがやってきた。いつもは明け方にやってきて“一緒に寝よう”と言ってくるのに、珍しく夜中にやってきた。
 澄ました顔でスタスタ歩いてくる。“さっきのは何だったのかなあ。姉ちゃんが心配で見に来たよ?”というような振舞いだ。わたしは腕を広げ、腕枕をしてあげた。そして、わたしの横で丸くなったクロは、ブルブルと震えていた。
 ああ、こんなにも怖かったのか。わたしは震える背中を撫でながら「大丈夫だよ、姉ちゃんいるからね。一緒に寝ようね」と声を掛け続けた。

 そして、ふたりで一緒に寝た。朝になると昨日のことは忘れたのか、すっかり元気になり、わたしは安堵した。

 当時、我が家は、あれよあれよとつらいことが重なっていた。生きる希望すら見出せない日々。父も母もつらかったに違いない。
 しかし、どんなことがあろうと、クロはわたしたちの家族の真ん中にいた。「ナアナア」と鳴いてはご飯をせがみ、一緒に寝ようと明け方に起こしてくる。どんな時も、自分を曲げずに生きていた。

 その姿は、我が家の希望であった。

8歳。朝の日光浴は大事な習慣。
8歳。美しいお姿。

大切なのは今だから

君に会うために

 わたしは大学進学とともに実家を離れた。心残りは、クロだ。大学進学時、クロは7歳になる年であった。そろそろシニア期に入る。あと、どれくらい一緒にいられるだろうか。漠然とした不安が、わたしの中で広がる。

 電車で1時間半。帰るのが難しい距離ではなかった。実家に顔を出そう。自分の中で、強く決意した。

 会えるときに会う。やれるときにやる。今まで、身近な別れも、穏やかな日常との別れも突然だった。いつか会えなくなる、それは突然かもしれない。
 わたしにとって、今を大切にする思いは、人一倍強かった。

 大学生の頃は、長期休みはもちろん、週末もよく帰省した。社会人になってからも、なるべく多く帰れるように、日程調整をした。
 帰ったからといって、クロに特別なことをしてあげたわけでもない。ご飯を催促されると手からあげ、近くに寄ってきたら腕枕をしてあげ、おもちゃを差し出されたら遊んだ。わたしが布団の中で足を動かすと、獲物だと思って、ワクワクとした目で飛び込んでくる。撫でていたと思ったら、突然噛んできたり、たくさん引っかかれた。

 腕枕をすると、クロの気が済むまで動いてはならない。動けば、文句と猫パンチが飛んでくる。
 肌寒い日は、布団の中、わたしの脚の間で寝るのを好んだ。朝4時ごろ、わたしの耳元で鼻息をフガフガさせるのが、布団に入れての合図だ。
 しかし、なぜだろう。起きたらその脚が血まみれになったこともあった。一体わたしは、寝ている間に、何をしでかしたのだろうか?

 しかし、それすらも可愛かった。クロのためならば、何でもしてあげた。たまにしか会えない姉ちゃん。その時間を、好きにさせてあげたかった。頭突きをされたり、手をなめられるたびに、クロの愛情を胸いっぱいに感じた。
「ねえ、わたしたち相思相愛じゃない?」と話しかけると“ナニイッテンダ、コイツ”という顔をされた。そういうところ、好きよ。

わたしの足を狙う5秒前。
クロは表情豊かで、目で物を言う猫だった。
よく一緒に自撮りをした。その度に“ハイハイ、またですか。仕方ないですね。”という顔をされた。今、そんな写真を見返すと、面白くて笑いが込み上げてくる。自分がいなくなったあと、悲しませないための思いがあったのか。もちろんそんなことはないだろうが、今元気づけられている。

“またね”は合言葉

 わたしが実家に着くと、クロは玄関まで出迎えてくれた。どうやら、父や母にはしないらしい。足音でわかるのか、声でわかるのか、寝てても飛び起きて、「ニャッ」と歩いてくる。猫は表情が乏しいといわれるが、そんなことはない。クロの顔がパッと明るくなる瞬間を、何度も見た。

 手を洗い、鞄を下ろし、撫でる。たくさんの頭突きとスリスリをされる。大体5分くらいすると満足するのか、そのあとは塩対応である。ここまでがルーティン。
 しかし両親によると、わたしがいる日は、いつもなら寝ている時間でも、頑張って起きていたそうだ。澄ました顔をしているのに、実に可愛いところがある。それがクロなのだ。

 また、実家を出るときには、わたしのルーティンがあった。それは「クロちゃんまたね。また会おうね!」と声を掛け、たくさん撫でることである。

 バイバイではなく、またね。
 また会いたい。その日まで元気でいてほしい。その想いが届いてほしい。
 実家を離れて11年。11年間、そう言い続けていた。

 最初の頃は、その言葉に、クロはとても怒った。「ニャッ!!ニャッ!!」と言っては、足にまとわりついて、絶対行かせないと、足首を噛んできた。きっと、言葉がわかっていたのだ。
 晩年は、噛むことはなく「ニャッ」と返事をした。もう噛む体力もなかったのかもしれないし、また会えることを理解していたのかもしれない。それは本人(本ニャン)にしか、わからない。しかし、その「ニャッ」と返事してくれることが、わたしの希望になっていた。

 またね、また会おうね。
 これは、わたしにとって、おまじないの言葉なのだ。

躍動感たっぷりでわたしを出迎えてくれる瞬間。
「またね、また会おうね」
「ニャッ」

家族の愛だけを感じて

 両親は、クロの世話をたくさんしてくれた。

 母は、危機管理に長けているひとで、クロの危険になりそうなものは、事前に取り除いてくれた。家の中で、事故なく過ごせたのは、母のおかげである。健康にも気を配り、ご飯を食べたとかトイレをしたとか家のどこにいるとか、そのようなことを細かく見ていてくれていた。

 父の抱っこが、クロは好きだった。「だっこ」と鳴くのだ。しかも、ただ抱っこをすればいいのではない。抱っこをしながら家の中を散歩するのが、ご所望だ。目線の高いところから、景色の移り変わりを見るのが好きだった。
 父が洗濯物を干し終わり、カゴを洗面所に戻しに行く。それからが、クロの抱っこタイムだった。条件反射で、父を追いかけていく姿に、わたしと母は良く笑ったものである。

 2019年、わたしは結婚すると両親に報告した。すると突然、クロは起き上がり目を丸くした。わたしは「結婚の意味わかるのかな?」と笑った。
 その後、夫を実家に連れてきた。クロは、少し離れたところから夫を見つめていた。「どちら様でしょうか?」と訴える眼差しだ。まるで、猫を被った猫のようで、それにも笑った。
 そして今年の正月。クロのお気に入りの椅子に、夫は座っていた。するとクロは、「ナアアッ!」と声をあげた。“そこは僕の席だぞ!”と。夫が立ち上がると、すかざす場所を奪い、誇らしげな顔をした。
 クロは夫のことを家族と認めたのだろう。言いたい放題なその姿に、わたしたちは、声をあげて笑った。
 そんな夫も、わたしがクロに多く会えるように、たくさんの配慮をしてくれた。本当に助けられた。

 我が家では、クロが一番。
 クロは、愛情だけを受けて、生きていた。

夫とクロの初対面。「どちら様でしょうか?」の眼差しを送っている。
このあと、夫の隣にちょこんと座っていた。
父の抱っこが大好き。父のお腹の上が好き。
「だっこ!!」とよくせがんでいた。
姉ちゃんの手からご飯をもらうのも好き。
早く次を食べさせろと、催促の手が伸びてくる。

みんなが全力だった18日間

直感

 2023年3月18日。普段通りの帰省だった。最近、食が細くなったと聞いていた。5月で18歳。人間ならば、今87歳くらいだろうか。
 白髪が増え、白内障も進み、年明けには歯が抜けた。ゆっくりとゆっくりと、身体は老いている。それは、わたしもこの目で見て、知っていた。

 玄関のドアを開けると、いつものお迎えがなかった。
「ただいま、姉ちゃん帰ってきたよ!」
 リビングに行くと、クロは猫ベッドで寝ていた。しかし、わたしの声を聞いてハッと顔をあげた。そして、わたしに歩み寄り「ニャッ」と鳴いた。

 クロはわたしの手からご飯を食べるのが好きで、この日も手からご飯をあげた。その時の食欲はいつもと変わらなかった。たくさん食べて、たくさんよしよしした。
 しかし、気になったのは、呼吸である。格別、速くはない。ただ、文章表現しづらい、僅かな違和感を感じた。全ては直感だった。もう、長くはないかもしれない、と。

 その翌日、甘えん坊なクロが、更に甘えん坊であった。腕枕も足枕もせがんで、わたしのそばを離れなかった。猫は、我慢強い生き物だ。しかし、わたしにはわかった。クロは、今ものすごく頑張っているのだと。

 いつか来るその日が、近づいているかもしれない。
 直感的に、そう思った。

 我が家では、昔から”もしものとき”は、自然な形で迎えようと決めていた。それに、全員が賛成していた。

 帰り道、駅までの道のり。桜の花がぽつぽつと咲き始めていた。

決意と介護

 わたしは、自宅で、大粒の涙を流した。こんな日が、いつか来ると知っていた。わかっていたからこそ、全力で会いに行った。後悔はないよう精一杯過ごしてきたのに、いざその局面に差し掛かると、耐えられない悲しみが押し寄せてくる。

 どれだけ泣いただろうか。
 泣き腫らした目で、わたしは、以下を決意した。

  •  やれることは、全てやる。クロの安心できる場所を作ってあげること。

  •  クロの前では、涙を流さない。クロが心配するから。

  •  “もしものとき”が来ても、誰も責めない。責めても何も変わらない。自分のことも責めない。そのために、今出来ることを考えて行動する。

 それから、わたしは仕事をしながら、自宅と実家を往復する日々を過ごした。実家ではクロを見守り、ほとんど眠れなかった。よって、自宅で休めるときに、睡眠時間を確保した。
 クロにとって、大好きな姉ちゃん。クロにとって、わたしは安心できる場所。クロが幸せだと思えるようにと、それだけに集中した。

 ご飯は、手からしか食べられず、小分けにしてあげた。食欲はあるが、食べる体力がない。そのような感じだった。
 普段と変わらず、腕枕で寝るクロ。しかし、呼吸は日に日に苦しそうになっていた。そのたびに「大丈夫だよ、姉ちゃんいるよ」と撫で続けた。そうすると、安心するのか穏やかに眠った。わたしは、クロが寝やすいように体勢を変え、ほぼ眠らずに見守った。

 日中は、両親が面倒を見てくれた。わたしが夜見てあげることで、その時間は、両親が眠ることができたのではないかと思う。

 わたしが仕事中や帰ることのできないタイミングで、クロが体調を大きく崩すこともあった。そのときは、テレビ電話を繋いだ。すると、電子音でもわたしの声がわかるようで、クロは目を開いて、ゆっくり起き上がった。
「クロちゃん、頑張ってるね。大丈夫だよ、姉ちゃんいるからね。大好きだよ。大丈夫、大丈夫だからね。ここにいるよ」
 何回、言っただろう。大丈夫だよ、大丈夫だよと。

 手からご飯を食べさせること、腕枕をしてあげること、「ニャッ」と返事をしてもらうこと。そのひとつひとつが、これで最後かもしれない。そう思った。悲しくないといえば、大嘘だ。しかし、わたしは姉ちゃん。クロの幸せを考えれば、泣いている場合ではなかった。クロも家族も、全員が全力で生きていた。

 どんな日でも、わたしは言った。「またね、また会おうね」と。
 そのたびに、クロは「ニャッ」と返事をした。

生き返ったクロ

 2023年3月30日。
 休日だったわたしは、1日クロと一緒にいた。タオルで首枕をつくってあげると、喜んだ。

 しかし、体力も落ち、少し動くだけでも苦しそうだった。それでも昼間は穏やかに窓際のベッドで眠っていた。わたしたち家族はその部屋に集まり、クロを見守っていた。こんなことがあったね、あんなことがあったね。クロの思い出話をしながら。
 皆、毎日がヤマだと覚悟していた。このまま逝ってしまうかもしれないと、神経をとがらせていた。こうして家族揃って談笑したのは、いつぶりだろうか。まるでクロが、我が家をまとめてくれているようであった。

 その日の夕方。突然、クロが倒れた。全員が覚悟した瞬間だった。わたしたち人間は、全力で「頑張ったね!ありがとうね!」と叫んだ。耳は聞こえているからと、全員がとんでもない大声を張り上げていた。
 しばらくすると、クロの呼吸がゆっくりになった。父の目に、母の目に、わたしの目に、涙が滲む。

 次の瞬間だ。クロはすっと起き上がり、座った。人間の頭上にハテナが浮かぶ。父が「い、生き返った…!」と叫んだ。生き返ったには、語弊があるでしょ、と思ったが、わたしも泣きながら笑った。

 それにしても、本当にうるさい家族でごめんね、クロちゃん。
 でも、皆からの愛の言葉、聞けたかな?

最後の腕枕

2023年4月2日から4月3日にかけて。
 クロは自分の布団で寝ていた。数日前から、猫ベッドで寝るのは体勢が厳しい様子で、布団を用意してもらっていた。
 わたしがトイレへ行くため、目を離した。その隙のことだ。戻ると、クロはわたしの布団で倒れていた。直前、わたしの布団を眺めているクロがいた。力を振り絞って歩いたのだろう。わたしは涙を堪えた。
「姉ちゃんと寝たかったんだね、ごめんごめん。一緒に寝ようね」
 涙を隠して、身体を撫でた。もうすっかり痩せてしまっていた。

 わたしの左腕に首を乗せ、身体をくっつけて眠っている。息をするたびに動く背中を、そっと撫でる。ごつごつした背骨。一方、毛並みは艶やかで、まるでシルクのようだ。
「クロちゃん、大丈夫だよ。姉ちゃんここにいるからね」
 そっと耳元で囁く。しばらくすると、荒い息が寝息に変わった。時折、身体をビクッとさせている。夢でも見ているのかな。最近、あまり眠れていなかったもんね。
「姉ちゃん、ここにいるから、大丈夫だよ」
 そう、何度も何度も囁いた。君が安心できる場所でありたいと、願いながら。

 明け方に、わたしの布団の中に入ってきた。呼吸が苦しくなるから、あまり入れたくはなかったのだが、クロの望みならと受け入れた。布団の入り口を開け、空気を確保してあげる。1時間ほど経つと、今度は腕枕がいいとのご要望であった。わたしは朝まで眠らず、クロと過ごした。

 朝を迎えると、クロは自分から布団を出た。わたしは家を出るとき「またね、また会おうね」と言って頭を撫でた。クロは「ニャッ」と返事をした。

 それが、最後の腕枕と挨拶になった。18年近く、腕枕を任せてくれてありがとう。今、そう心から感謝している。

桜の季節に君を想う

旅立ち

2023年4月4日。
 クロは、大好きな父のお腹の上に乗り、大好きなご飯をほとんど完食し、大好きな日向ぼっこをして過ごした。
 わたしは仕事が忙しく、昼休みもとれなくて、終業したのが20時を過ぎていた。わたしが父に「クロどう?」とLINEをすると、20時半ごろ「ご飯も食べて、今久しぶりに自分の猫ベッドで寝ているよ」と返事があった。

 家族の誰もが安心していた。
 今日は、わたしも自分の家に帰って休もうと思った。

 その2時間後、亡くなったと連絡が来た。両親が安心して眠るなか、ひとりで息を引き取ったそうである。いつもの日常を感じて、安心して逝ったのか。それとも最期の姿は見なくていいよと、わたしたちへの計らいだったか。どちらにしても、クロらしい最期である。

 わたしは電話越しに大声で泣いた。母が泣きながら「最期を見てやれなかった。ごめん」と言った。わたしは「良いの。ありがとう、ありがとう。面倒みてくれてありがとうね」と、叫んだ。
 電話を切り「可愛い子だった…可愛い子だった…」と泣いた。そばで夫が背中をさすってくれていた。

 17歳11ヶ月だった。本当に可愛い子だった。
 わたしは最後まで、クロに涙を見せなかった。でも、もう泣いちゃうね。ごめんね。

 その夜、ほとんど寝ることが出来なかった。

心を込めたお見送り

 翌朝、わたしはクロ宛と両親宛にそれぞれ手紙を書いた。クロにはありったけの愛と感謝の気持ちを、両親には今までのお礼を綴った。

 仕事終わり、花を買った。
 このような時の花選びがわからず、店員のお姉さんに聞いた。「飼い猫が亡くなったんです。明日火葬で、棺に入れる花を一緒に選んでほしくて…」と頼むと、お姉さんは快く応じてくれた。

「女の子ですか?」
「いいえ、男の子です」
「じゃあ、ブルーのお花を入れてもいいですね」
「あ、良いですね!そうしたいです」

 そうやって選んだ花束は、大変綺麗だった。お姉さんと話しているときは、涙は出なかったのに、花束を見たら涙が滲んだ。クロがこれを見たら、鼻をひくひくさせて喜んだだろうな、と思うと目頭はどんどん熱くなっていった。

 花束を大切に抱え、新幹線に乗った。包み込むように持っていると、クロを抱っこしているような気分になった。もうすぐ、帰るからね。

 亡骸を見るのは、正直怖かった。それは、全てを受け入れるということだから。しかし、手のひらに乗るくらいの時代から、クロと過ごしてきた。最後まで強く生き抜いた彼のことを誇りに思うし、姉ちゃんとして、お見送りまでそばにいたかった。

 実家に着く。鞄もおろさず、一直線にクロのもとへ足を運んだ。
 布団に横たわり、顔にタオルがかけられている。そのタオルを捲る。
「姉ちゃん、帰ってきたよ」
 同時に涙がとめどなく溢れ、おいおいと声をあげて泣いた。わたしが愛を与えていたつもりだったのに、愛をもらっていたのはわたしのほうだった。「頑張ったね、ありがとうね」と涙で言葉にならない言葉をかけ続けた。人目をはばからずに、泣き続けた。

 その後、たくさん手足を触った。この数週間で、ペラペラに痩せてしまった、小さい小さい身体。最後の数日間、わしゃわしゃと触るのは、彼の負担になると考えた。だから、たくさん触れなかった。その分、たくさん撫でてあげた。
 身体は石のように硬くとも、肉球はいつものように柔らかかった。それがまた、泣けてきた。
 夕食中、家族でクロの思い出話をした。時に笑いも出た。しかしわたしは、夜中に泣いた。ひとりで泣いた。後悔はない。だけど、悲しくて寂しくて、涙が止まらなかった。それは家族全員が、同じだった。

たくさんの感謝をのせて

2023年4月6日。
 火葬当日。久しぶりの曇天で、今にも雨が降り出しそうだった。クロが体調を崩してから旅立つその日まで、晴天の日が多かった。大好きだった日光浴を、亡くなる日までできた。本当に良かったと思う。

 旅立ちの支度を整える。顔周りには、わたしが選んだたくさんの花を、綺麗に綺麗に、心を込めて添えた。どんどん可愛くなるその姿に、母はぽつり「眠っているみたいだね」と呟いた。クロは、みるみるうちに、穏やかな顔になっていった。
 そして、手紙と少しばかりのカリカリを包んで添えた。ひとしずくの涙が、棺に落ちる。

「クロちゃん。姉ちゃんに可愛くしてもらえて、よかったねえ」
 もちろん返事はない。今頃、近くにいて、“何これ?何してるの?”と覗き込んでいるかもしれないね、と涙を流しながら微笑んだ。父は棺のそばを離れず、じっと座っていた。

 皆にたくさん撫でられ、たくさんありがとうと言われ、そして「また会おうね」とおまじないの言葉をかけられ、クロは旅立った。お坊さんに般若心経を読んでいただき、素晴らしい旅立ちだった。

 お骨は、たくさん残っていた。動物の骨は脆いと聞いていたが、とても丈夫だった。お骨すら可愛くて、親ばかならぬ、お姉ばかだな、と思った。

 外は、桜は満開で、ひらひらと花びらが舞っていた。これから桜が咲くと、クロを思い出すのだろう。わたしの命が尽きるまで、ずっとずっと。

 クロは、命を燃やすように生きていた。遠慮などせず、やりたいことをやり、今を受け入れ、生きていた。最後の最後まで、自らのエネルギーが尽きるまで、生き続けた。
 自分のニャン生を、生き切った。素晴らしい生き様だった。

 骨壺を抱え、家に帰る。部屋が少し広く感じた。母は「とうとう骨になっちゃった…」と泣いた。父は祭壇の前に座り、遺影を眺め「写真には、気持ちが込められるね」と言った。それは、わたしが撮った写真だった。

 ふと猫ベッドを見ると、そこは空っぽ。食事のときに、ウロチョロする姿も催促する声もない。
 自分の食事が済んだとき、1番最初にやること。それは、クロを探すことだと知ったのは、亡くなってからだった。様々な癖が、身体に染みついていた。

 その夜から翌日にかけ、大雨が降った。この雨が止むまで、わたしも泣き続けよう。この雨が上がったら、少しずつ少しずつ前を向こう。そう、決めた。

 1週間経った今でも、気がつけばいつもクロのことを考えている。涙が出ることもある。当たり前だ。

 この涙は、愛の証だから。
 わたしの深い愛だから。

桜とともに生き抜いたクロ。わたしは、今年の桜を忘れないように写真に収めた。
3月27日、夫と近所の公園で桜を見た。その時、愛する命を看取る覚悟を、ぽつりぽつりと話した。わたしは「自分を“姉ちゃん”と呼ぶこともなくなってしまうと考えると、悲しくて仕方がない」と呟いた。すると夫は「クロちゃんのお姉ちゃんであることは、これからもずっと変わりないから。クロちゃんもそう思っているよ」と言った。その言葉が、心の中で花を咲かせた。

クロからの贈り物

生き様から学ぶ

 仏教語に四苦八苦という言葉がある。仏教による苦は、避けても通れない悩みを指す。四苦は、生老病死。生まれること・老いること・病気になること・死ぬことは、わたしたちが避けることは出来ない。
 その四苦に加えて、愛別離苦(愛する者と別れること)、怨憎会苦(会いたくない人に出会うこと)、求不得苦(求めるものが手に入らないこと)、五蘊盛苦(自分の心身でさえもコントロールできないこと)を合わせて、四苦八苦となる。

 高校倫理の授業で、初めてこの話を聞いたとき、大変感銘を受けた。昔の教えは、なんて的確なのだろう。そして、いつの時代でも、人々はその苦を受け入れることが難しいものだ。

 クロの一生は、生老病死を教えてくれた。わたしは、愛別離苦を感じた。
 全て、生きているうえで、避けられないことだ。

 動物の生は、人間より短い。別れはつらい。しかし、人間が先に逝ってしまえば、残された動物は、どうすればいいのだろう。わたしたちは、愛する彼らの一生に責任を持たねばならない。愛別離苦は、避けられない。だからこそ、限りある生命に、精一杯向き合う必要がある。

 生命も時間も有限。そして、一番大事なのは、今この瞬間。
 避けられないことがある。それなら、今出来ることをやろう。自らに対しても、相手に対しても。それが一番大事だと、クロは教えてくれた。

だだ、生きること。やりたいことをやること。
自分を受け入れること。愛する者に、愛を伝えること。
真っすぐ生きること。クロが教えてくれたこと。

写真を撮っていて良かった

 カメラを学ぶ前から写真が好きだった。よく写真を撮っていた母の影響が大きかったのだろう。今を残すことに、価値を感じていた。そのおかげで、クロの子猫時代から、たくさん撮っていた。

 その写真をアルバムに並べた。動画もいくらか撮っていた。
 18年近くの思い出は、煌めいていた。

 こんなにも写真を撮っていて良かったと思ったことはなかった。
 失ってから、反芻してしまうのは最後の日々。仕方ないと思う。しかし、その奥にはたくさんの輝かしい思い出がある。それは、紛れもない事実だ。その日々に目を向けると、心が温かくなる。クロだって、そのほうが嬉しいはずだ。

 写真を撮っていて良かった。
 自分が撮った写真に、これほど力をもらったことはない。

7歳。人間が脱いだ服は最高のベッド。
8歳。“今日は曇りなんですか?”
9歳。暑い日のフローリングは最高である。
10歳。とにかく可愛い。
11歳。何を取ろうとしているの?
12歳。窓の外を見るこの瞳が好きだった。
13歳。わたしの胡坐の中も特等席。
14歳。寝ていることが増えたが、ゆったりと過ごしていた。
15歳。わたしの腕枕のなかで。
16歳。おじいちゃんになっても、良く話し掛けてくれた。
17歳。大好きな猫ベッドにて。父に呼ばれ、顔をあげる。

クロちゃんへ

 先日、自宅の玄関前に、桜の花びらが1枚落ちていた。この近くに桜の木はない。何処から来たのだろうか?
 ふと、クロが「遊びに来たよ!」と、教えてくれた気がした。大好きな陽だまりの中、元気よく走り回っている姿が、目に浮かんだ。

 ねえ、クロちゃん。聞いてね。

 姉ちゃんの人生は続くよ。
 そして、君はこの胸の中にいる。

 わたしはずっと、クロちゃんの姉ちゃんだからね。腕枕が恋しくなったら、いつでもおいでね。
 父ちゃんと母ちゃんにも、会いにおいでね。わたしも、帰って、みんなでクロちゃんのお話たくさんするよ。父ちゃんと母ちゃんには、姉ちゃんがついてるから、大丈夫。任せて。

 ありがとうクロちゃん。大好きだよ。
 ありがとうクロちゃん。また会おうね。

 このエッセイは、クロと我が家の物語。
 そして、あなたへのラブレター。

 ありがとう。ありがとう。
 何度でも言うよ。

 ありがとう。また会おうね。
 大好きだよ、クロちゃん。

またね、クロちゃん。


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