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2023年7月 - 今月のスナップとエッセイ


時候の挨拶

 暑さの厳しい季節となってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?暑いよね、暑いって言葉しか出てこない。昼間は外に出るもんじゃあない。湿度と熱を纏った風が肺に入り込むたび、身体の奥が焼け付く。

 日焼け止めを塗ったのに、焼けてしまった。塗り直しが甘かったのだろう。日焼けした肌が、乾燥してガサガサになってしまった。今までこんなことなかったのに。
 年齢の変化を感じる、2023年夏である。

夏の睡眠問題

 この夏の訪れを、あなたはいつ感じただろうか?
 蝉の鳴き声、花火大会や夏祭り…。照りつける日差し、梅雨明けや熱帯夜の報道を聞けば、ああ夏だなと思うだろう。

 わたしが今年、夏を感じた瞬間。
 それは寝れないと感じたときだ。

 この時期は、睡眠に悩まされる。暑くて寝苦しいのではない。朝早く、目が覚めてしまうのだ。太陽とともに起き、その後寝付けなくなる。
 1日が長く使えそうで良いのでは、と思うかもしれない。しかしこれが厄介で、日中は常に身体が重だるく、頭も回らず、ついでに呂律も回らなくなる。長く睡眠時間を確保したほうが、圧倒的に日中のパフォーマンスは良好だ。だが、どうにもこうにも早く起きてしまう。

 そんなこんなで、わたしの平均睡眠時間は、前月に比べ1時間も短くなっている。昨夏は、うまく眠れずだいぶ悩んた。眠れないことに焦るとさらに眠れなくなる。負のスパイラルだと気がついた。したがって、今夏は「夏が来たわ…」と気楽に思うことにした。

 さらに、この悩みの解消方法を見つけた。それは、アイマスク。今までアイマスクをつけて寝るのに抵抗があった。煩わしそうと思っていたからだ。しかし実際は、アイマスクをつけると、すっと眠りに入れる。深く眠れる気がする。良い睡眠環境は、遮光が大事と言われているそうだ。
 ただひとつ難点がある。わたしの寝相が悪すぎて、朝起きるとアイマスクが行方不明になっている。すなわち、夏の早朝のまぶしさには勝てないのだ。

 これを書いている今も、早朝。
 長い1日が始まる。

多忙な1ヶ月とわたしの選択

 今月は、仕事もプライベートも忙しかった。休日と呼べる休日がなかった。スローライフを夢見ているが、その対極的な生活を送っている。

 朝6時台、わたしは夫と外に出た。ともに早朝から仕事である。気が重い仕事を目の前に、ここが頑張りどころだと、自らを奮い立たせた。仕事は嫌いではない。むしろ今の仕事は、出来る限り続けたい。それでも、大変な時期はある。それが今月だった。

 前夜の雨で濡れた路面に、朝陽が光る。夏はまだ本気を出しておらず、かろうじで涼しさを感じた。
 すると、わたしたちの目の前を、散歩中の犬が横切った。その犬の瞳もまた、瑞々しく光っていた。

 それを見て、ふとわたしは「将来はさ、犬か猫飼って、ゆっくり暮らしたいね」と言った。夫は「そうだねえ」と相槌を打った。
 刹那、思った。情景的な夏の朝だと。景色も言葉も朝風も。憂鬱な気分だったのに、それら全てが愛おしくなった。

 本当は、そんな将来が来ても来なくてもどちらでもいいのだ。自分で選んだ仕事して、大切な夫とささやかな未来の話をしている。それ以上の幸せがあるだろうか。

 わたしは、わたしの選択を積み上げて、今ここにいる。その選択に、自信と誇りをもって、生きてゆきたい。

20代、夏の夢

「ねえねえ、浴衣着て花火行きたい」
「着よう、俺も甚平着たいから」 

 次の誕生日に、わたしはアラサーからサーになる。20代最後の夏。わたしには夢があった。それは、浴衣を着て花火大会に行くこと。10代の夢を20代に持ち越して、なんだかんだ理由をつけて先延ばしにしていた。
 気がつけば、その20代も終わろうとしている。

 そして今年、思い切って浴衣を買った。着付けの問題があったが、今はセパレート浴衣と呼ばれる上下に分かれた浴衣がある。これなら自分で着られた。夫も、甚平と下駄をそろえた。準備万全だ。

 浴衣と甚平を着た。夫が「お人形さんみたい!」と言って、わたしの浴衣姿を撮った。普通に照れる。カメラとビールを持って、河川敷まで向かう。慣れない履物による靴擦れに、「これも、醍醐味だね」と笑った。夕暮れの風は、汗ばむ肌には心地よい。

 人混みは避けたかったため、会場から離れた場所で見ることにした。河川敷に腰を下ろす。見上げると、空が広く感じる。西の空には、月が輝いていた。カメラをセットし、ビールを開ける。そして、乾杯。今、最高に夏を楽しんでいる。

 花火は、遠くからでも綺麗に見えた。時折、歓声と拍手が上がる。その空気感は、夏の象徴のようだ。花火が咲く一瞬のように、楽しい時は過ぎていった。

「すごく良かったねえ!」
 帰り道、夫が言った。わたしは、大きく頷いた。一緒に花火を見れたこと、夢だった浴衣を着れたこと。20代最後の夏、素敵な思い出を残すことが出来た。

温かい寂しさを胸に

 愛猫・クロが17歳と11ヶ月で旅立ち、早くも3ヶ月が経った。
 クロのことを思わない日はない。悲しくて涙を流すことはなくなった。しかし、寂しいのである。寂しいのに、温かい。これが、愛するものを思う気持ちなのか。

 月末に、納骨を行った。その前夜、わたしは骨壷を抱きしめた。骨になっても可愛いと思った。何度も何度も「可愛いねえ」と囁いた。
 納骨は、雲ひとつない快晴のもと、無事執り行われた。家族そろって、クロを送り出した。安らかに眠ってね、と手を合わせた。

 家に戻り、祭壇を片付けて、一息ついたときだ。チリン、と音が鳴った。間違いなく、クロの首輪についていた鈴の音だった。
 わたしはびっくりして、音が鳴る方を振り返った。

 10年以上前、クロが脱走した。それをきっかけに、家の中でも居場所がわかるよう、首輪を鈴付きにした。階段を駆け上ると、よくチリンチリンと音がしたものだ。
 晩年は寝てることも増え、首輪は外した。それから首輪は、リビングにあるサイドボードの上に置いていた。結局、それは遺品となってしまった。わたしたちは、その隣に遺影を飾った。

 クロの首輪。たしかに、そこから音が聞こえたのだ。何年も聞いていなかった、クロが足音ともに鳴らす鈴の音が聞こえた。
 わたしは、その鈴を触った。しかし、長年音を出さなかった鈴からは、先程聞こえたクリアな音はしなかった。 

 時に不思議なことが起こる。
 大切な人を亡くしたとき、幻覚や幻聴が見えたり聞こえたりする。これは、稀な出来事ではないそうだ。きっと、わたしも例外ではない。

 でも、それでも。

 もしかしたら、会いに来てくれたのかもしれない。そうであってほしい。そう思おう。「姉ちゃん、ボクここにいるよ」って言ってくれたのだ。
 見えなくてもいいから、また遊びに来てほしいよ、クロちゃん。

 生きていれば、ひとつひとつ手放すものが増えていく。そして、やがては自分自身との別れを迎える。その日まで、わたしはわたしが愛したものをこの胸に刻み続けたい。温かい寂しさを抱きしめるように。

PHOTOGRAPHY_202307

 東京に住む親友が、会いに来てくれた。SNSでやりとりはするが、実際に会うのは1年ぶり。1年分の思いが溢れ、深夜まで話題は尽きない。学生の頃のように、大声を上げて笑った。ああ、なんて楽しいのだろうか。

 写真を撮って渡すと、喜んでくれた。それは写真を撮る者として、かけがえのない瞬間である。

 

 また、静岡の写真コミュニティの立ち上げに携わった。新しい写真仲間に出会い、静岡にも写真好きな人がたくさんいると知った。
 市内で開催されている写真展に足を運んだり、初めての方とお話する機会は大変貴重であった。
 
 新しい挑戦の夏。良い経験になりそうだ。

 夏のスナップが好きだ。
 光と影が色濃く映し出される夏。日傘が街に咲く夏。さらに、この時期の夕刻が好きだ。夏の夕暮れに隠れる光と影は、憂いを纏っている。

 しかし、仕事をしていると、必ずしも好きな時間帯に撮れるわけではない。窓辺にさす夕方の光を羨ましく思う日もある。スナップは一期一会。だから、面白い。

 様々な方面で、写真を撮る機会があった1ヶ月。充実していた。
 来月も、まだまだ夏。どんな写真が撮れるだろうか。

 それでは、良い写真生活を。

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