2024年3月 - 今月のスナップとエッセイ
時候の挨拶
雨音を聞きながら、今これを書いている。この雨が上がれば、週末はぐんと気温が上昇し、桜が一気に開花する。今年の開花は、かなり遅いようだ。
ある日、職場で世間話をしていると「3月って、こんなに寒かったっけ?」と聞かれた。わたしは、「意外と寒いですよ」と答えた。
3月の響きは、春を感じさせる。しかし実際は、寒く雨が多い。そのギャップが、より「こんなに寒かったっけ」と思わせるのだろう。
恵みの雨と呼ぶのだろうか。
雨が降り、大地が潤い、草花が芽吹く。
ダウンコートをしまい、薄手のコートを羽織る。それも暑くて、脱いでしまう。春が来たと思う。しかし、未だに至るところに“2023年”と書いてしまう自分がいる。早く年を越しましょう。
そんな2024年3月。今年も4分の1終わったそうである。
写真三昧の日々
今月は、濃密な写真生活を送った。念願のグループ写真展を開催をした。 結果は大成功。約300人の方にお越しいただき、静岡新聞にも掲載された。
準備に、半年の時間を費やした。そして、新しい仲間に出会えた。ひとつのものを作り上げる喜びは、とても大きかった。夢が叶った瞬間である。
展示が終わってしまうと、燃え尽きてしまうのではと不安があった。しかし、意外とそうでもないようだ。最近の写欲は増すばかりで、純粋に撮ることが楽しい。
今はまた、写真展をやりたいと思っている。わたしという小さい人間が、この時代にこの街で写真を撮っていると、声を大きくして伝えたい。
かつては、遠くの未来に残る写真が撮りたいと思っていた。それは、自らの死後をさしていたかもしれない。しかし、今はこう思う。自分が生きている間に、自分の写真を伝えよう、と。大事なのは、今だ。
X100Ⅵが買えない
写欲は増す一方であるが、欲しいカメラは買えない。
ダメだった。買えなかった。カメラのキタムラ、ビックカメラ、ヨドバシなどなど。全部外れた。ううん、悔しい。いつか買えるのかな?
わたしの使っている愛機・X100Fはもう10万ショットを越えていて、カメラ内でショット数を把握できなくなっている。外観もボロボロで、もういつ壊れてもおかしくない。使い込むだけ使い込んだ。だから、どうしてもX100Ⅵが欲しかった。
片手で持てる大きさ、設定が一目でわかるダイヤル、35mmという焦点距離。ノールックでスナップするわたしにとって、最適のカメラ。生活必需品。欲しくてどうしようもないのに、欲しいと願うほど届かない。
「ポケモンカードが抽選販売だって!」
ベッドにひっくり返って、X100Ⅵ情報を眺めていると、隣で夫が言った。どうやらこの世は、欲しくても買えないものが多いらしい。難しい。
X100F、お前さんはいつまでもわたしの相棒だよ。
行く道長く、帰りは短し
はじめての目的地まで歩く。先の見えないその時間は、とても長い。
しかし来た道を帰ると、行きよりも短く感じられる。
わたしの人生の道は、あとどれくらいあるのだろう。
人生の終点は、皆同じだ。でも、どこが終点かは、わからない。その道を、歩み続けている。歩いている今、それがとても長く感じる。
先日、タレントの小倉智昭さんのコラムを読んだ。
タイトルは“「老後にやろう」はダメ”。「今の状態は、理想の隠居じゃない。」から始まる文章は、病床での思いや現在の暮らしが綴られている。
わたしが子どもの頃、両親はよく「老後になったら〇〇したいね」と話していた。それを聞いていた当時、社会人のうちは自由がきかなくて、老後になったら色々できるのかなと思っていた。
大人になり、様々な人生を見るようになった。そして、気がついた。どうやら必ずしも“それ”ができるわけではないと。
それなら、今やろうか。やりたいこと。
全部やるなんて無理だけど、ひとつずつやっていこう。
写真展を開催して、やりたいことができ、少し自信がついた。
人生の終点から、始点に戻ることはできない。時間は戻らない。しかし、その終点で記憶たどると、人生の数十年など一瞬なのだろう。来た道を戻るのはあっという間だから。
その一瞬をどれだけ密にするかは、今の自分にかかっているはずだ。
大切なのは、今である。
何度も繰り返しそう書き続け、自らへ言い聞かせている。
さてさて、X100Ⅵが欲しいな!
それでは、良い写真生活を。
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