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ちょっと不思議で切ない恋愛小説

『一輪の哀恋』

 私には、好きな人がいる。だけど、それは報われぬ恋。どう足掻いたって、いや、足掻くことすらできない恋。
 だって、私は花だから。鮮やかな黄色の花を咲かす。チューリップなのだから。
 私が恋をした相手は、私に水を与えてくれる彼。名前は……知らない。
 私がこの家に来たのは、記憶にはないのだけれど、私が球根の時だった。その時はまだ意思は存在してなかった。もちろん彼に対する恋心も抱いていなかった。私が初めて自分を自覚したのは、球根から芽吹いた時。土はひんやりしていたのだけれど、それがなぜか暖かく感じていて、人間で言う母体の中のようなものだったのかも。私は身体を大きくするにつれ、上へ上へと伸びて、ニ月の中頃には土から顔を出した。私自身、それが顔っていう表現で正しいのかよくわからないけれど、冷たい空気に触れて、ようやくこの世に生まれてきたような気がした。
 彼はまだ小さい芽を見せただけの私を見て、とても嬉しそうにしていた。
「かわいいなぁ、よく出てきてくれたね」
 彼はそう言いながら水を与えてくれた。この時からすでに私の中には恋心が芽生えていたような気がする。初対面の私に対し、可愛いなどと簡単に言ってしまうような彼に。

 私はみるみるうちに成長していった。三月に入ったころには、もう芽とは呼べないくらいの内側に少し巻かれた葉をつくり、この小さな花壇の中でも存在感を増していった。
 この花壇の中には私しかいない。普通、植物を育てるときは、芽を出さない場合や花壇を華やかにすることを考慮して、種や球根を等間隔にいくつか巻くのだと思うが、彼ははじめから私しか土に埋めなかったらしい。小さい花壇ではあるけれど、チューリップならもう数本育てられる程の広さはある。それなのに彼は、私を花壇のど真ん中に立たせ、私だけに水を与えてくれている。
 私は嬉しかった。
 彼は私だけを見ていてくれている。私だけに水を与えてくれている。私だけを大切にしてくれている。
 私のこの恋心は、すでに人間を圧倒させるほどの強さになっていた。だけど、これを自覚すると同時に、この恋が実らないことにも気付いていた。
 私は花で、彼は人。
 生物として、全く別の存在なのだ。彼が私の意思や感情を知ることはない。私には知らせる手段がない。私はこの花壇の中心でただ立つだけ。風に揺らされる以外、動くこともできない。私は彼に生かされている存在のほかならない。
 それなのに、彼は私によく話しかける。「仕事が上手くいきそうなんだ」とか、「上司に怒られた」とか、「今日はいい天気だね」とか。まるで私が返事をするのを待っているかのように、私に話しかけ続けている。

「立派な花を咲かせてね」
 彼は今日も私に話しかける。四月になり、私はまだ固い蕾を身につけた。優しく蕾を愛でられながら話しかけられる。
 あなたがしっかり水をくれて、害虫から守ってくれればね。
「そういえば彼女ができそうなんだ」
 え? やめてよ。私はどうなるの?
「君が花を咲かせたころに告白しようと思う」
 そんなのいやだ。いやだ。いやだ。

 私の想いは彼には届かない。私に花が咲けば彼には恋人ができる。それならいっそのこと花なんて咲かせたくない。このまま、蕾のままずっといて、いつまでもそうやって優しく愛でていて欲しい。だけど、これは私の意思で意思でどうこうできるものではない。無理やり引っこ抜かれでもしない限り、私はこの蕾を開いてしまうだろう。
 どうして私は花になんて生まれてきたのだろう。生まれたばかりの時は、彼の愛を独り占めにして、私は幸せだった。将来、綺麗な花を咲かせる自分を誇りにも思っていた。
 だけどそれは愚かな思い上がりに過ぎない。彼は私を植物としか見ていない。私は彼に栽培されているだけだった。枯れないように水を与えられ、彼の感情の吐き口として話しかけられるだけ。人間と植物の間の関係性なんて、所詮その程度でしかない。これでもきっとマシな方なのだろうけど、感情を持つ私にとって、それはひどく嘆かわしいものだ。
 もし花を咲かせれば、彼は満足し、私がそのまま朽ちることすらも忘れる。私は感情を閉じ込め、夏を感じる前にこの意識が透明になっていくのを味わうだけ。独り、この花壇で。

 四月の十日。私は花を咲かせた。私の意思は虚しくも、この身体の成長に影響することがないまま、鮮やかな黄色の花を咲かせた。
 彼が今日も私に話しかける。
「わあ! 素敵なチューリップになったね」
 私は今までもチューリップとして生きてきた。いや栽培されてきた。彼にとって、花を咲かさなければ、私をチューリップとすらも認めてくれないのだろうか。
 彼は、花を咲かせた私を見て、スマートフォンを取り出し、カメラを私に向ける。今までこんなことはなかった。彼の笑顔は、これまで見てきたどの笑顔よりも華々しいものだった。今日の彼の格好は普段よりも洒落ていて、この恋心がさらにくすぐられてしまいそうになるほどだった。この虚しく朽ちる恋心が。 
 彼は今日、恋人を作ってくる。人間の恋人を作ってくる。きっとその人との会話の中で私のことを話すのだろう。今撮った写真を見せながら、自分が球根から栽培し、今朝ついに花が咲いたのだと。私は、二人の会話の良い種となる。
 彼は立ち上がり、意気揚々と庭先の玄関を出ていく。私はその様子を見送ることすらもできずに、ただ花壇の中で虚しく特別な存在感を放つだけでいた。
 春というのは暖かい。けれど、冬の土の中の方がよほど温かったように思える。外の世界を知らないあのころに戻れれば、最初から自分は栽培されるだけの身であるということを自覚して、無意味な感情を持つこともないのに。

 明け方、彼が帰ってきた。家にも入らず、そのまま庭をまわって私の元に来てしゃがむ。いまさら私に何の用があるというのだ。
 彼の表情は暗くてはっきりとしないが、虚な目をしていて、どうやらお酒で酔っているようだった。
「彼女できなかった。ひよりちゃん、俺とは別に婚約している男がいるんだって。だからごめんなさいって。あっけなく振られてきちゃったよ」
 彼は私に目線を向けることもなく、うなだれている。私は彼の名前すら知らないのに、彼の愛した人間の名前を聞かされた。聞きたくないのに、耳を塞ぐこともできない。
「ちきしょー」
 彼の涙が花壇の前にぽとぽとと落ちている。
 私は今日水を与えられていない。その涙、私に与えてくれればいいのに。
「あんな思わせぶりあるかよ」
 あなたも私に思わせぶりしてたじゃない。
「ああ、死にてえ」
 私はもうすぐ死ぬよ。
 チューリップが花を咲かせていられるのはせいぜい二週間だ。二週間経てば、私はもうチューリップじゃない。
「ああ、くそ」
 私を見てよ。
 私の声はもちろん彼に届くことはない。けれど、彼は私を見る。
「綺麗なチューリップだな。君に意思があるのなら君と結婚したいよ」
 気付いて、私にも意思はあるの。気付いて。
「そういえば、君の球根、前に振られた彼女からのプレゼントだったな」
 そうだったのね。
「あいつ今頃どうしてるかな」
 私自体、あなたの愛した人間から受け取ったものだったのね。だから私だけがこの花壇にいるのね。
 彼は立ち上がり、くそ、くそ、と繰り返し、ふらつきながら家の中へ入っていく。

 彼が振られたのは、私のせいかもしれない。黄色いチューリップの花言葉知ってる?
 ”報われぬ恋”
 彼は以前にも振られ、そして今回も振られた。それはきっと私の呪いなのかもしれない。こうやって意思を持った花の呪いなのかもしれない。

 昼になると、彼は私に水を与えてくれた。もう顔も見てくれないと思っていたのに、彼は優しく透明な水を与えてくれた。これ以上思わせぶりなことをしないで欲しいと思う。けれど、こうして彼の優しさを感じると、どうしても彼を求めたくなってしまう。この命があと十日ほどでなくなってしまうのに。まだ生きたい、まだ美しい私を見ていて欲しいと思ってしまう。来年もまた咲きたいと思ってしまう。
 それから朝と夜を、花の開閉を三度、繰り返した。今では花が開ききった時でも、開花したころほど開かなくなってきた。自分の寿命が近いのがわかる。少しずつ萎んでいくこの花は綺麗? 私のこの一生は、彼の一生の中の、ほんのひとつまみほどの時間に過ぎない。私は老いていっても、彼の見た目は何も変化がない。
 来年も会いたい。
 ねえ、切り戻しして。あと一週間の命を切り捨てる代わりに、来年もまた会えるから。
 チューリップは花が咲いたあと、早い段階で切り戻しをすれば、球根に栄養が留まり、来年もまた花を咲かせることができる。けれど、彼はそんなこと知りもしない様子で、私の残りわずかの命を覚悟しているように見えた。
 お願い。気付いて。このままだと二度と会えなくなる。

 私の思いは届かないまま、時間だけが流れていった。すでに花が開いているとは言えないくらい、私は萎んでいた。
 どうして私は話すことができないの。どうして私は花なの。
 泣きたいが、涙を流すことすらできない。
 どうして私は意思を持ったの。どうして私はあなたに恋してしまったの。

 花言葉の呪いだ。それは彼にかけるのではなく、私自身にかかっていた。
 黄色いチューリップの花言葉。
 ”報われぬ恋”
 そして、
 ”望みのない恋” 


あとがき
いかがでしたでしょうか。僕は普段恋愛小説を書くことはないのですが、どうしても花に自我を持たせたくて、結果このような物語になりました。
 ところで、僕も自宅で植物を育てているのですが、植物の成長ってほんとにあっという間ですね。それに、原因もわからず枯れてしまうことがあったり。僕も彼(彼女)らの声が聞こえたら良かったのですが、、


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