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優しく、自由気ままに、ちょっと冒険できる街|オレゴン州・ユージーン/ポートランド

こんにちは!画面にごはんが出てくると私のお腹がぐーぐー鳴りだす。

2020年12月6日、午前10時から「ELLE gourmet Foodies Fes (エル・グルメ・フーディーズフェス)」のYouTubeライブ「ポートランドのフードカート&ブルワリーツアー」を視聴した。

1時間弱の短い時間だったが、私は多種多様な料理とクラフトビールのある「この街」を改めて好きだと感じた。

とは言え、「この街が好き!」と最初からじぶんでも思ったわけではない。

背中を押してくれた一言

「 S大学よりオレゴン大学で勉強した方がいいと思うんだよね」

大学の交換留学を担当する職員のひとりからそう声をかけられた。希望留学先の用紙を提出した後のことだった。

「  S 大学の希望者がおじまさんひとりだから、TOFEL-ITPが同等のオレゴン大学に移ってもらおうかと検討しているんだ。少人数でアットホームなところはいいと思うんだけど、S大学は専攻分野の学生が複数いないと授業を行わないようで…」

私「え…?」

留学先の変更を促され頭の中が真っ白になった。

***

大学1年時からアメリカ中西部のN大学を目指してTOFEL-ITPを幾度となく受験してきた。大学2年の夏休みはサークルの合宿を犠牲にしてまで約3週間『TOFEL-ITP特訓講習』を受けた。

だが、N大学の点数に届くことはなかった。
在学中の留学ならば、時間の制約がある。私は、TOFEL-ITP 500 点以上(※)の S 大学とオレゴン大学に目標を絞った。
(※)長期交換留学(アメリカ合衆国)に応募可能な条件の一つ

大学2年の秋、TOFEL-ITPの結果表を添付して長期交換留学の応募用紙を提出した。この時はとりあえずオレゴン大学を希望した。

ちょうどその時期、1ドル=80円まで円高傾向になった。海外に出たい学生にとって追い風となり、当然のごとく、交換留学に応募する学生も例年の倍に増えた。上級生を優先してまだ2年の私はあっけなく落選した。

「また来年も応募して」

そう簡単に言うなよって私は心の中でツッコミを入れた。

それから1年後、交換留学の担当者に言われたとおり、私は再び長期交換留学の応募用紙を提出した。前年と同じ目に遭わぬよう今度はS 大学を選んだ。

***

声をかけた担当職員はこう続けた。

「オレゴン大学には、ジャーナリズムの学部があって通年で授業を開いているからおじまさんの専攻にいいと思うんだ」

留学は遊びではなく、専攻分野を学ぶためだ。
じぶんの専攻分野を第一優先に考えて、私はオレゴン大学に行くことにした。(まあ、勧めてくれた職員自身が在学中オレゴン大学に留学しているんだから間違いない。)


街に溶け込む

大学以外、なんにもない街に8ヶ月も滞在するとだんだん愛着が湧いてくるもの。

語学研修の期間(6〜8月の3ヶ月間)、サンディエゴ出身の女子学生から教えてもらったワッフルの美味しいカフェ、Off the Waffle (オフ・ザ・ワッフル) は私の大のお気に入りになった。昨年ポートランドに行った理由もその店舗があるからだ。ユージーン市の方が美味しく感じたのだが…。(下記写真はユージーン市内にある店舗にて)

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カプレーゼ風ワッフルとホットチョコレート。食事系×デザート系ドリンクの攻め笑

おいしいお店のほかに、大学の寮に2ヶ月半暮らしたことや2カ所のホームステイ先にお世話になったことは、その街を知ったり、好きになったりする上で非常にウエイトが大きかった。キャンパス内で生活のほとんどが済んでしまうことは便利だったが、家と大学の行き来は、地域コミュニティーに溶け込むために必要な行為だった。

実際に私が境遇した話をすると、ホームステイ先から一番近いバス停にいつも同じ時刻でバスを待つおじさんがいた。しかも、そのおじさんは帰りの時間も私とほぼ一緒だった。(←私も「ええー!」って衝撃を受けた。)3ヶ月ぐらい経ったある朝、到着時刻になってもバスが来なかった時、おじさんが私にぼそっと声をかけた。(ごめんなさい!その時なんて言ったのか聞き取れなかった。)

まあ、バスは無事に来たし、おじさんとはその後何もなかったし、なんてこともないエピソードになるのだけど、地域からじぶんの存在を認められることって案外、重要だと感じた。

このエピソードのほかに、地域コミュニティーに溶け込む方法として、私は半年間炊き出しのボランティアに参加した。しかし、それも最初からやりたくて始めたわけではなかった。寮の特色として、課外活動がセットになっているタイプを選んでしまったから。農作業や水道関係の手伝い、学童保育など様々な活動が提供された。その中の一つに、炊き出しの手伝いがあり、私ともう一人の女子学生がそれを選んだ。
授業と並行して週2回活動していくのだが、とてもいい刺激になった。その地域の問題を覗き見している感覚だった。

あともう一つ、地域コミュニティーに溶け込むためにおこなっていたことは、毎週土曜日に開かれる「サタデー・マーケット」(蚤の市)に出かけたこと。そこは街でいちばん地元の人が訪れる場所であり、みんなの憩いの場になっている。授業の課題をこなすことも兼ねて、毎週ぶらぶらしているだけ地元の人に馴染んでいった。

約8ヶ月の留学期間、ほとんど授業と課題をこなす生活で終了した。それから普通の学生のように就職活動、卒業論文に追われた。会社員になると、オレゴン州が遠くなった。


もう一度、あの街へ

ある日、仕事帰りに六本木の蔦屋書店にふらっと立ち寄ると見覚えのある文字が目に留まった。

『緑あふれる自由都市ポートランドへ 最新版 (旅のヒントBOOK)』


「ポートランド・オレゴン」

オレゴン… 
久しぶりの響きで懐かしくなった。最初の数ページを食い入るように読んだ。即決で購入した。(ちなみにこのタイトル、新旧2冊揃えた。)

暇な時間を見つけるたび、ちょくちょくこの本を開いた。毎日が通り過ぎるように日々を過ごしていると、牧歌的でスローな写真に心を動かされた。

素直に「もう一度、行きたい」と思った。

しかし現実は思ったからといってすぐに叶えられるわけではない。それから転職したり、資格を取ったりして2年ぐらい経った。


ようやく、会社の夏季休暇(お盆真っ只中!)を利用して2019年に願いが叶った。

※注:上記の記事でもオレゴン州への愛を書いています。


コミニュティーの一員に近づくために

おそらく、大学3年次の冬に、交換留学担当の職員から「S大学よりオレゴン大学で勉強した方がいいと思うんだよね」って言われなかったら、私はじぶんの人生でオレゴン州に足を踏み入れることはなかったし、興味をもつことすらなかったと思う。

軽くみていただけの街だったのに、行ってよかった。
今、留学先を変えてくれたことにすごく感謝している。
ありがとう。

ユージーンも、ポートランドも、多くのホームレスや髭モジャモジャの人、タトゥーだらけの若い男女、「タバコない?」って雨の中聞いてきた男の子、昼間からイカれたおじさんなど、風変わりの人がたくさんいる街。

ダウンタウン(街の中心地)を歩くとき油断は決してできないが、この街は陽気で、優しい。

だから私はこの街が好き

残念ながら、いま現地に行けない。
でも日本にいてもオンライン等で、ポートランドやオレゴン州のことをもっと深めて、極めていこうと思う。そしてこの街/州を知らなかった人がコミュニティーの一人になってくれたらと願っている。

***

一旦、オレゴン州・ユージーン/ポートランドを愛でている話はおしまい。

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