エヴァと揺るぎない自分
こんにちは。
今回はエヴァンゲリオンの紹介と、前回の記事で書いたいじめ等を乗り越えた"私の"考え方についてお話します。
※前回の記事を読んでいなくても単体で読めるようになっています。
↓念のため前回の記事を載せておきます。
俺ガイルと普通を目指さない生き方|雪墨 @anmgmzvcr #note https://note.com/oztoufumi/n/n51759e35631e
あらすじ
大災害「セカンドインパクト」が起きた世界(2015年)を舞台に、巨大な汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」のパイロットとなった14歳の少年少女たちと、第3新東京市に襲来する謎の敵「使徒」との戦いを描く。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3
上記のあらすじを見ると、
エヴァvs使徒の戦いがメインのアニメのように見えますが、エヴァの魅力はそこだけではありません。
エヴァの魅力
①圧倒的な動き
エヴァンゲリオンのアニメ放送開始は1995年10月であり、それまではガンダムのような武骨で機械的な動きをするアニメが主流でした。
私の世代でさえもロボットといえば「ウィーンガシャン」とロボットダンスのように動くイメージが子供の頃からありました。
そのイメージを壊したのが、エヴァンゲリオンです。
ロボットアニメなのにヌルヌル動き、
まるで人間のようにジャンプし、素早く走ります。
少し前のNetflix版PVです。
ストーリーのネタバレは無く、動きの一部をまとめた動画なので是非見てみてください。
時々エヴァの動きが気持ち悪いという話を聞きますが、気持ちはわかります。私も初め、そうでした。
自分の常識では理解できないものを見たときの防衛反応だと思いますので、安心してください。
三話ほど見るとその動きに魅力を感じると思います。
②設定とストーリー
「逃げちゃダメだ」
主人公碇シンジの有名な台詞です。
この言葉にはエヴァの残酷な設定と、シンジ君の性格が表れています。
「いつかロボットに乗ってみたい!」
一度思ったことありませんか?
私はあります。ロボットに乗って操縦して…と夢が膨らむロボットのパイロット。
しかし、シンジ君は違います。
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。と自分を奮い立たせなければ、エヴァに乗る決意が固まらないのです。
ネタバレを避けるため、これ以上は細かく言いませんが、シンジ君がエヴァに乗るのをためらう理由は、決して異常なものではなく、視聴者もきっと共感できると思います。
また、このような揺れ動く人の心もエヴァの魅力のひとつです。
目の前の使徒と戦う、命を落としかねない戦い。
そのような恐怖をいかに乗り越えるか。
そして、なぜ14歳の少年少女たちはエヴァに乗るのか。
そのような彼らの不安、葛藤、覚悟等にも注目のして見てみてください。
私のおすすめはアニメシリーズ→新劇場版の順で見ていくことですが、時間がなければ新劇場版の三作品だけでも十分楽しめます。
また、エヴァンゲリオンアニメシリーズ完結編となる、シン・エヴァンゲリオン劇場版:Ⅱも近日公開予定です。
今までのエヴァの流れを知らなければ中々理解できないと思いますので、映画が始まる前に以前の作品を是非おさらいしてみてください。
好きなセリフ
「辛い事を知っている人間の方がそれだけ人に優しくできる。それは、弱さとは違うからな。」
誰のセリフかはあえて言いませんが、私の好きな言葉です。
家庭の問題、人間関係の問題等々、なぜ自分ばかりと思い不幸を感じる時期が私にもありました。
明確な原因があるのであれば立ち向かうこともできますが、見当たらないとふさぎこんでしまいます。
また、人間関係のトラブルやいじめから自信を無くし、反抗する力も無くなってしまう事もあります。
そんな時に出会ったのが「この言葉」でした。
私は傷つけられない
どんな辛いことも必ず自分の力になっている。
どれだけ辛いことがあっても、自分自身が正しい行動をしていれば、「私」は誰にも傷つけられない。そう思えるようになりました。
お釈迦さまが同じようなことを言っているそうです。
・『私』とは、認識するもの(認識主体)である。
・そのため、『私』は、認識の対象物となることがない。 (「認識するものを認識する」ことはできないから)
・ゆえに、『私』は決して害されることがない。
飲茶『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』より抜粋
例えば、私の容姿に対してAさん誹謗中傷を言っている場面。その場面を私は空から俯瞰して見ているとします。
このとき「私」は空にいます。
つまり、空から二人(私とAさん)の様子を「私」が認知している状況なのです。
この場合、どのようにしたら空の上にいる「私」を傷つけられるのでしょうか?少なくともAさんには私は傷つけられません。
これが釈尊の言う無我の境地の一部です。
しかし、この考え方を取り入れたからといって、どうしても傷ついてしまう場面が私にはありました。
それが、自分が自分を裏切った時です。
自分自身の正義を貫く
そこで大事なのが、自分の正義を貫くこと。
例えば、やられたらやり返すということを正しいと考えている人は、いじめられたらその場で言い返すことができるでしょう。
しかし、そのような度胸が持てなかったり、やり返すことへの抵抗感が拭えない人はどの正義を貫けば良いのでしょうか。
この問いへの私の答えこそが先程の台詞でした。
「辛い事を知っている人間の方がそれだけ人に優しくできる。それは、弱さとは違うからな。」
痛みや悲しい経験を「辛い」の一言で受け止めるのではなく、「そのぶん人に優しくなれる」「いつか他者を助ける力になる」と受けとることで、私は理不尽な理由では誰にも傷つけられない人になりました。(自分のミスや失敗に対する指摘等は別物です)
私の考えまとめ
私自身が私を裏切らない限り、
「私」は誰にも傷つけられない。
自信をつけるためには、自分自身を裏切らないことが大切。
辛い経験はいつか人を助ける力になる。
最後に
人をサポートできる人には大きく二通りの人が存在すると思います。
マイナスをゼロにできる人
ゼロからプラスにできる人
誰かの悲しみに寄り添い、共感し、癒すことができる人
誰かの決断を後押しし、笑顔を絶やさず、周囲を元気にできる人
会社選びも同じ軸で考えられます。
社会の不を改善している会社
新たな価値を生み出している会社
両方とも必要不可欠な存在であり、優劣はありません。
皆さんはどちらのタイプに近いでしょうか?
一度考えてみても面白いかもしれません。
エヴァンゲリオンでは、使徒という共通の苦しみの前に、数人の少年少女が立ち向かいます。
彼らの覚悟や動機、人を助ける時のタイプにも注目して見てみると、より楽しめると思います。
日本だけでなく、海外でも人気のあるエヴァンゲリオン。完結編の映画が公開される前のこの時期に、見てみてはいかがでしょうか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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