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Kansasの「The Absence of Presence」から学ぶ、音楽の変遷とその影響〜時代錯誤か理性の勝利か: フィジカルメディアの価値再考

The Absence of Presenceを聴いています。2020年にリリースされたKansasのCDです。存在の欠如。君がそこにいることを知っているけれど実際にはそこにはいない。深いですね。

"The Absence of Presence" は直訳すると「存在の不在」という意味です。このフレーズは、何かが物理的には存在していないが、その影響や意味合いが感じられる状況を表現するのに使われることがあります。これは、哲学的な考察や詩的な表現で用いられることが多く、存在していないことによってもたらされる空虚感や損失感を強調します。たとえば、失われた愛や過去の出来事が現在に与える心理的影響を示すのに使うことができます。他方、インターネット上で確かに存在するものの、物理的には手が届かない、または身近に感じられないものに対しても使うことができます。この表現は、デジタルの存在があるにも関わらず、それが直接的な物理的存在としては感じられない状況を指すのに適しています。たとえば、オンラインでの友人関係や、遠隔地に住む家族、デジタルアート作品など、見ることはできても触れられないものについて述べる際に用いられることがあります。現代のテクノロジーがもたらす人間関係や感覚の変容の考察って感じでしょうか。

そして、こうした曲を聴きながら思ったのが、音楽の聴き方の劇的な変化でした。実は、このアルバムは、最後に買った物理的な新譜です。古い中古のレコードは買っていましたが、振り返ってみると新譜は買わなくなりましたね。このCDの前に、何を新譜で買ったのかが思い出せません。そのくらい長い間買ってない。サブスクリプションで足りてしまっているということですね。歌詞も解説もネットにありますし、何なら、解説されるような内容は、ユーザーが容易に収集可能になりました。

半世紀遡ると、1970年代後半から1980年代のはじめまで、レコード1枚は2,500円でした。オンデマンドで新しい曲を手に入れる方法は、これだけで他に手段はありませんでしたから、レコード一枚に10曲が入っていると仮定すると1曲の単価は250円になります。昔はこのように高価なレコードを購入することが一般的であり、そのため一枚のレコードに含まれる数曲を何度も聴くのが普通でした。しかし、デジタル化とインターネットの普及により、音楽はより手軽に、そして大量に消費するものとなりました。サブスクリプションで聴ける曲数は1億曲とも100万曲とも言われていますが、少なくとも100万曲だとして、ひと月のサブスク料金1,000円とすると、1曲の単価は0.001円です。ひどく安直な計算ですが、この「250 : 0.001」は半世紀の技術革新の結果だと思うんですよ。

昔は、廉価版(¥2,500 >> ¥2,000)が出ただけで大満足でした!
話は飛びすぎですが、これらは当時のワーナー・ブラザース・ジャパンのラインナップ。
プログレ、ハードロック、POPのメジャーどころを全部カタログに収めてますね!
すごい会社!>当時

そうすると、新譜を買って部屋の壁を埋め尽くすようにCDを並べて(または、並べるものは中古レコードでも同様なのですが)、それを眺めて悦に浸るのは、時代錯誤も甚だしいかなぁと、微妙に考えを改めているところです。

「存在の不在」から、かなり強引な、ほぼほぼB級プログレ的な展開でサブスクの話をしていますが、このように、考えると、断捨離は大事だなぁと思えてくるから不思議です。このブリッジで、さらに断捨離の話に展開。これもなかなかプログレ的かも。

スマホの先のクラウドの中には、部屋に並べきれないだけの膨大なライブラリがあるわけで、そのロスレス音源をbluetoothアンプで鳴らせば、ヤバいくらい鮮明な音楽がスピーカーから出てくる時代に既になっています。つまり、いい音を聴くというためだけであれば、CDやレコードは現実的にはいらないんですよ。

つまり、レコードをプレーヤーに載せて又はCDをCDプレーヤーに入れて、ジャケットなどを眺めながら聴く行動というのは、そのアナログな行動自体に意味があるということです。ネット上のデジタル映像ではなく、リアルな紙のジャケットを手に持って、その感触を味わいながら、さらにそれを眺めたいかどうか、物理的なメディアを用いて音楽を再生したいかどうかということなのでしょうね。

そこに線を引くと、物理的に当該メディアを持っていたいか否かで、断捨離可能性が見えてくるということになりますよね。

まぁ、要は、このような思考過程を辿りまして、怖くて数えたことはなかったのですが、我がオタ部屋のレコードは、推定4000枚から約640枚まで、また、CDは、推定2000枚から約100枚まで減らすことができました。これ以上は増やさないようにして、できれば、あと半分くらいにはしたいなと思っています。

古い、レコオタ仲間の人たちが、部屋中の壁をレコードとCDで埋め尽くして、さらに買ってきたものの置き場所がなくなり床に平積みしているのを、いまだに時々見るのですが、実際に、それだけの物量を、人の短い一生のうちに、何度か繰り返して聴き切ることは不可能なので、そうした行動は、買うという行動に一応満足感を味わい、その上で、メディアに埋もれた環境に住んでいることがコレクター冥利に尽きるっていうことになるのでしょう。これについても、物凄くよく分かるのですが、上記のように客観(達観?)してみると、あまり理性的だとは言えないなぁと・・・。

あ、Kansasの音楽の話のつもりが、重い内省的な記事になってしまった。まぁ、それくらい、重い題材の素晴らしい曲だということで・・・。

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