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爪の果実

この前一緒に遊びに行った人の爪にはネイルが施されていた。


真っ赤で、つやつやしていて、僕の思うその人のイメージからすると派手すぎる印象だったけど、それがまた良くてとても美しいと思った。


けれど、結局11時間くらい一緒に遊んだのに「爪きれいだね」のひとことが言えないまま別れてしまった。

なにも「太ってるね」とか「不細工だね」とか悪口じゃないんだから、良いと思ったらそういえばいいだけの話なのに、それができなかった。


歌人の穂村弘さんのエッセイ「やってみるまでわからない」にこういった話がある。

夜の公園を女性と2人で歩いていた。初デートである。手を握れるか。大丈夫か。意を決してそっと握ってみた。ばっ。手はひっこめられた。
穂村さんはこのときのことを振り返り「手を握る前に、爪には触ったことがあったから大丈夫だと思った。マニキュアが綺麗だねって。爪から手って物理的な距離は最短だよね。」
それを聞いていた編集者の人は「まあね、でも、心理的な距離はすごく遠いよ。」とこぼしていた。


例えば僕も、服をほめることはできる。「おしゃれだね」うん、言える。


では髪はどうか。爪はどうか。こうなってくるとハードルが高い。服は”その人のもの”であって”その人そのもの”ではない。対して髪や爪はどうしようもなく”本人”でそこには”生”がある。

爪をほめるということは、その人の内面に一歩踏みこむということであり、言葉で肉体に触るに等しい。


ばっ。


もしその手がひっこめられたときに、僕は何を思えばよいだろう。

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