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『つまり、私が書く理由』 後記

エッセイを書き始めて今日で1ヶ月が経った。

初め、何の経験も資格もない自分がエッセイストなんて名乗っていいの?
という気持ちもあった。

だけど「エッセイを書く人」とか「noteを書く人」
どれもしっくりこないし、覚悟が足りないと思った。

だって私は、誰の目も気にせず、自分の使命に淡々と生きると決めたから。

夢中で書いてきた1ヶ月。
頭の中に毎日書きたいことが溢れ、朝5時に起きて静かな時間に書き始めることも習慣になり、早く書きたいという溢れてる気持ちに駆られて書いてきた。

その中で、特に書き終えた時、自分の中の胸の高鳴りが一番大きかったのが
『つまり、私が書く理由』というタイトルの記事だった。

自分の書く理由が、幼少期からあったこと、それがある衝撃的な出来事で断たれたこと。それを書くことで思い出した。

私のエッセイは、幼少期の自分がとてもよく出てくる。
私のルーツが、幼少期にあることがよくわかる。

自宅の押し入れにあった分厚い本たちの景色や匂い。
小学6年生の時に机に向かってドキドキして書いた初めての物語の表紙。
担任の先生が片手で私のそれを返した時の顔。
この記事を放った後もありありと情景が浮かんできて


その全てに

「 感謝したい 」

そう思った。

たくさん本を与えてくれた両親に、ありがとう。
物語を書くという経験をさせてくれた学校に、ありがとう。
あの時正直に感想を伝えてくれた先生に、ありがとう。
「悔しい」と思えるくらい心震える文章を書いてくれた作家さんに、ありがとう。

その全てがあるから、
「今」私はこんなに心を震わせて自分のことを書いている。




人のルーツは、純粋に、ただひたすらに〈好き〉を追いかけることができる
幼少期・児童期にある。と書くたびに確信になっていく。

私の場合それは

絵本、童話
ピアノの旋律
空、木登り、野花の匂い、石集め、土の観察
猫のミーコ、虫
柔らかい布
文房具、紙
交換日記
おばあちゃんの手料理
バトミントン

これらは今、これらと一緒に暮らすことでとてつもなく幸せをもたらしてくれる。

・私は今、子どもたちに絵本や童話を読む時間が1日の中で最も尊い時間です
・私は今、ピアノのBGMを流しながら家事や作業をしています
・私は今、空がとても美しく見える家に住んでいます
・私は今、子どもたちと木登りをしたり虫取りをする時が楽しいです
・私は今、植物に囲まれた家で、植物から抽出されたアロマに魅了されています
・私は今、美しいファブリックを集めることに喜びを感じます
・私は今、交換日記の代わりに、noteやインスタで自分の心を開放しています
・私は今、素朴な和食が大好きです

どんな遠回りをしても、
小さな頃に大切にしていた大切なパーツをかき集めてみたら
自分が何の条件もなく好きだったこと、
人の目も気にせず結果も気にせず好きだったものがあって
それは 今でも変わらない。


私は大きくなった自分の子どもたちに、幼い頃自分たちが好きだったことをたくさん書き留めて、そっとプレゼントしようと思っている。

その中に必ず、決して消えない情熱があることを、
こっそり 教えてあげるんだ^^



おわり

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