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中国・浙江省のおもいでvol.9

『不夜』

 日が落ち始め、商店に灯りがともり始める。霞がかかって白く染まった外気が町の光に当てられて、徐々に色味を帯びてゆく。湖の向こうから指していた日の光が沈む瞬間。

 ぼくは中国で何度も夕日を眺めることになるが、その一つ一つが見たことのない美しさを秘めていた。大陸は鮮やかな夕日を産み落とし、その都度ぼくを打ちのめした。

 文化街は眠りから覚めたように、熱気を放ちだした。道行く人の声は好奇心を含んだ響きを発し、出店の人々は昼間とは打って変わって声を張る。辺りに充満していた鼻腔をくすぐる薫りはさらに強まった。

 4人は繫華街の細い裏路地を進み、突き当たりにある古い扉をくぐった。客は少なく、最奥の6人掛けの円卓に通される。メニューはなく、木札に書かれた料理名が、壁にずらりと並んでいた。フェイとワンが矢継ぎ早に注文すると、おばちゃんが熱いお茶を置いて行ってくれた。杭州の名物「鉄観音茶(てつかんのんちゃ)」は焦げた茶葉を使っており、渋くてほのかに甘い烏龍茶といった味がした。

 「前日の歓迎会で、フェイが色々料理を取り分けてくれたんだ。最高に美味しかったけど、見事に腹を下してさ。おかげで昨日は徹夜さ。」今日の朝をトイレで迎えたことを話すと、ワンが鉄観音茶を吹き出し、Oは腹を抱えて笑い、フェイは頬を膨らませて「せっかく優しくしてあげたのに!」とぷりぷりしていた。

 「じゃあ明日はそこらへんのトイレで目を覚ますことになるだろうね」とワンがニヤニヤしている。これにはさすがのOも「どういうことだ?」といぶかしげな目線をぼくに送ってきた。「今度はサソリでも出てくるの?」と半分本気、半分冗談で聞くと「もっとおいしいもの!」とフェイが答えた。

 そうこうしてるうちにおばちゃんが1ダースの「青島(チンタオ・中国のビール)」を運んできて、後ろのテーブルに乗せた。

 「なんだビールじゃないか」Oがつぶやくと、フェイとワンが顔を見合わせて意味ありげに笑っている。見て見ぬふりをしながら、缶ビールを開けて口をつけると、恐ろしく味が薄かった。ラベルには3%とある。

 「日本でいうほろよいだな」Oもアルコールの薄さに気付き、僕らは次々と缶を空にしていった。その間もひっきりなしに料理が運ばれてきたが、初日とは打って変わり、居酒屋で出てくる濃い味付けの料理が並んだ。ジャガイモにごま油をかけたものや、春巻き、エビチリ・・・・。どれも最高に美味しかった。

 しばらく食べて飲んでを繰り返していると不思議な光景が目の前に広がっていた。先ほどのビールケースが2ケース積まれており、しかもどれ一つ開封されていない。よく見ると、円卓の下に空のケースが2つ。「しまった」と思ったがすべては後の祭りだった。理性を保てていたのはそこまでだと記憶している。

 三日三晩宴会を続けるという中国人。彼らの客をもてなそうとする精神は十分に伝わった。しかし、彼らの肝臓は、日本人のそれより遥かに強靭だった。

 フェイは泣き出し、ワンが笑い転げ、Oが居眠りをこき始めた。ぼくは隣で号泣するフェイをなだめながら、霞がかかった西湖を思い出していた。

 宴はまだ始まったばかりだ。(『中国・浙江省のおもいでvol,9「不夜」』



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