見出し画像

中国・浙江省のおもいでvol,8

『永遠』

 彼女の父親、僕の祖父。それぞれ話し切ってしまうと、ふたりの視線はまた白い霞の中に戻っていった。沈黙によって不思議な安心感に包まれたことを今でも覚えている。励ましたり、慰めあったりするべきだったのかもしれないが、ふたりとも余計なことは言わずにただ聞きあった。

 永遠がそこにあった。

 しばらく湖面を漂っていると、小舟が揺れ始め、次第に揺れは大きくなってゆく。船の縁を両手で掴み顔を見合わせていると、ぼくの背後から高さ6メートルほどの巨大な遊覧船が現れた。近くまで来ると、船上の数人が手を振って微笑みかけてきた。ぼくらは若いカップルのようにみえるらしい。彼女はきれいというより子供っぽい顔つきだったので、兄妹に見えもするのだろう。

 船が小舟を通り過ぎると、彼女は遊覧船を指さして、ついていこうと呟いた。遊覧船の後をつけていくと岸に辿り着いた。ぼくの方は正直、霞が引いてゆくまで岸に辿り着く方法を思いつかなかった。彼女にそのことを話すと、

 「馬鹿だなぁ。遊覧船が通るルートも時刻も知ってなきゃ、こんな悪天候のなか船で繰り出したりしないよ」

 今度はお腹を抱えながら笑いだした。中国の女性のたくましさに敬意を表すると共に、からかわれた恥ずかしさがこみあげポケットの中をいじくったり、頭をかいたりしていた。

 舟を降りると、近くの喫茶店で彼女とお茶を買って、ワンとOを待つことにした。普段なら西湖一面を見渡すことのできる、湖面に向かって突き出した物見に座る。ひんやりとした空気に暖かいタピオカミルクが美味しい。

 彼女はぼくの話を聴きたがったので、全寮制の高校で剣道をしていた時の話をしてやった。彼女たち中国人にとって部活というワードは馴染みがないらしい。稽古中の「はめ」と呼ぶ、竹刀で全身をつきまわされる教育を話すと、「日本人はおかしいわ」と怖がっていた。「冗談だよ」と話すと「一本とられた!」と悔しそうな顔をする彼女をみてまた笑いあった。

 ワンとO君戻ってきて話題は湖の話で持ち切りになった。彼ら男ふたり組は、桟橋から直線に猛スピードでオールを漕ぎ、遊覧禁止のうきが浮いているラインまで疾走したのだといった。Oはワンのぶっ飛び加減が相当気に入ったらしく、ふたりともこんなに冷たいのに汗ばんでいた。はしゃぎすぎてどこにいるか、分からなくなった彼らは西湖の監視員によって並走されて岸に辿り着いた。男子の精神年齢は万国共通でかなり低いらしい。ちょっとだけ羨ましく思ったことは秘密にしておいた。

 少年・少女はお腹を空かせていた。西湖を後にして繫華街に向かう。西湖繫華街は中国の古い伝統が残っているらしく、影絵や裏声を使って歌う芸人などであふれかえっていた。食品を扱う出店もあれば、露店でネイルをしてくれる店もある。働く人はスマホをいじったり、煙草をすったり、お昼を食べながら、のんびりと働いていた。日本はアルバイトでさえ、きちんとした対応を求められるが、中国ではなんのそのだ。

 石畳の通りを歩いてゆくと、昨夜の歓迎会と同じ、食欲を殴りつけられるような薫りと、胃痛の予感をはらんだ中華の薫りを風が運んできた。(『中国・浙江省のおもいでvol,8「永遠」』)


                 言葉が人を癒す  taiti


 

この記事が参加している募集

私のイチオシ

一度は行きたいあの場所

貴重な時間をいただきありがとうございます。コメントが何よりの励みになります。いただいた時間に恥じぬよう、文章を綴っていきたいと思います。