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【連載小説】中国・浙江省のおもいで

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中国浙江省、短期留学のおもいでを連載。雨が降り続け、霞がかかる幻想的な都市浙江省。日本にはない近未来的な空間とそこに暮らす人々を描いた連載小説。 現地でのおもいでを振り返り、物語…
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記事一覧

【小説】中国・浙江省のおもいでvol.34

【小説】中国・浙江省のおもいでvol.34

『白鳥の湖』

「酔い潰れた像達の先に座ってるのが李白。中国の詩人たちは、前の人の詩を引用して、即興で詩を作っていくの。ウケが悪いと、碗に注がれた酒を一気に飲みさなきゃならない。だから末席の詩が下手な像たちは皆酔い潰れているの。」

 フェイのガイドに導かれて、西渓湿地を訪れた。雨季。霞のかかった外気は、大学周辺とはその濃さも範囲も桁違いに白く染め上げられていた。

「罰ゲームのイッキ飲みの文化っ

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【小説】中国・浙江省のおもいでvol,33

【小説】中国・浙江省のおもいでvol,33

『湖の精霊』

「体調は良くなった?」

珍しく遅刻せずにやってきたショーパンと中庭でばったり出会い、広大なキャンパスを歩いて渡る。マトリョーシカのように大小並ぶ雲が、今にも雨を降らせようとうずいていた。

「おかげさまで。ショーパンはこの休日何をしていたの?」

控え目なメイクでも、ハッとするほど綺麗な容姿を持つショーパンだが、ジーパンにダボダボになったロングTシャツという、部屋着のような恰好を

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【小説】中国・浙江省のおもいでvol,32

【小説】中国・浙江省のおもいでvol,32

『淡い黄色』

  掃除機がけたたましい音を立てて、ベッドの周りを行ったり来たりする音で目を覚ました。時刻は朝の八時。また清掃のボタンをつけたままにしてしまったのだ。

 一緒のホテルに泊まるOに、「起きたらおばちゃんが部屋にいるので困る」と相談したところ、「それはお前が清掃ボタンを切っておかないからだ」といった話をしてから数日のことだった。

 仕方なく、階下の食堂で朝食を取ることにした。エレベ

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【小説】中国・浙江省のおもいでvol,31

【小説】中国・浙江省のおもいでvol,31

『硝子の河』

 南船北馬という単語を思い出した。河に囲まれた土地では、舟を交通手段に用いて発展を遂げ、荒野では農業も畜産もままならない。

水が潤沢にあるここ蘇州では、運河の傍らでめざましい経済成長を遂げた現在でも、貨物船の行き来の合間にこうしたクルーズ船が出港する。

 夕日も最後の盛りを見せ、後は水平線の彼方に沈んでゆくのをまつばかりだ。水の匂いと暮れなずむ町の生活の薫りに包まれて、ぼくらは

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【小説】中国・浙江省のおもいでvol,30

【小説】中国・浙江省のおもいでvol,30

『瞳に灯り』

 「ルールはあっても、モラルはない。日本語にしたらそんなとこかなぁ」

 車内での通話に顔をしかめる人もいなければ、注意する人もいない。電車に乗るすべての人がこうした喧騒になれきっているようだった。肘や肩がぶつかってももめ事ひとつおこらない。

 外でも同じだ。クラクションが挨拶代わりにならされるので、誰も驚いたりしない。それでは駄目なのでは…とも感じるのだが。

 「でも全然困っ

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【小説】中国・浙江省のおもいでvol,29

【小説】中国・浙江省のおもいでvol,29

『冷たくて優しい』

「キッチンって知ってる?」

 聞かれて手に取ったその本は古本に特有の匂いがした。吉本バナナのキッチン。なんで中国の北京や上海ではなく浙江省にあるんだろう。

 首をかしげつつも、何度も読み直した物語を頭に描く。久々の日本語に触れたせいか、ちょっとした帰国のようだった。

「知ってるよ。とっても素敵な話だから、読んでみて」

 嬉しそうな顔のフェイが早速、目細めながら文字を追

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【小説】中国・浙江省のおもいでvol.28

【小説】中国・浙江省のおもいでvol.28

『スイカとバナナ』
 
「38度5分」

 手元の体温計が力ない音をたてて点滅している。ドォンという低く唸る音の後、カーテンが明るく白む。バラバラという雨が窓にたたきつけられ、昼間だというのに部屋は暗く沈み込んでいる。

 どうやらぼくは、ほとほと金曜日に縁がないらしい。先週は極度の腹痛にトイレで目を覚まし、今日は学校にすらいけない始末だ。

 「具合悪そうだったから、起こさずにおいたぞ。ゆっくり

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中国・浙江省のおもいでvol,27

中国・浙江省のおもいでvol,27

『リンシン』

  ザオに連れられたぼくとOは、学内のダンススタジオにいた。ザオのように、髪色を染めた数人が汗を流しながら激しいダンスの練習をしている。日本の曲をメインにぼくらを歓迎してくれた。その鬼気迫る激しさに圧倒されたまま、ぼくらは学生街から離れた繫華街へと移動する。

「今日から俺はの振り付けとか、リンシンが勉強して教えてくれたの」

 ザオの紹介する女学生たちと、話をしながらカラオケ店に

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中国・浙江省のおもいでvol.26

中国・浙江省のおもいでvol.26

 『嵐の香り』

 「漢字って日本にもあるでしょう?日本と中国の漢字はどう違うの?」

 隣に座っているショーパン(カザフスタンからの留学生)が、ぼくのノートを見て興味津々といった感じで質問してくる。

 「漢字はもともと中国から来たんだよ。日本人の使う漢字は、中国の昔の漢字をそのまま使ったり、ちょっと変えたりしてる。けど今の中国語の漢字は簡体字と言って、それはぼくら日本人にとっても意味と形が一致

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中国・浙江省のおもいでvol,25

中国・浙江省のおもいでvol,25

『古の街』

「こちらは、50年物の紹興酒になります。」

 濃い飴色の液体が、小さなテイスティング用のグラスに注がれてゆく。目の前には30年物・40年物・50年物の紹興酒がそれぞれ置いてある。その小さなグラスに5人の輝いた目が移り込んでいた。

「あのぉ、もう飲んでいいんですか?」

 ワンとOそれに、シーは注がれている間食い入るような目線を、工場の支配人とグラスに向けており、「早く飲ませてくれ

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中国・浙江省のおもいでvol,24

中国・浙江省のおもいでvol,24

 『コオロギの鳴き声』

 「こら!ノロノロ歩いてたら落ちちゃうでしょうが!」

 橋の上は、手摺がなく落ちてしまいそうで心もとない。ぼくと、シーに挟まれてバランスを崩しかけたフェイが悲鳴をあげる。彼女の悲鳴に他の4人がたまらず笑う。

 紹興は浙江省を下にバスで1時間ほど下った所にあり、細かい水路が伝統建築物の家々の間を血管のように張った水の都市である。アジアのベネチアといったところだろうか。街

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中国・浙江省のおもいでvol,23

中国・浙江省のおもいでvol,23

『name』

 「就是这么回事。你不要迟到。(つまりこういうことです。遅刻するなってね。)」

 3日目にして、マシンガンのような授業に何とか順応し始めることができた。ウォークマンの倍速機能全開といった中国語の授業は、なれると毎回に落ちがあってかなり面白い。今日の授業は、毎回のように平気で遅刻してくる外国人学生に対して、警告の意味を込めた内容が展開された。

 今日も彼女には会えずじまいかと、あ

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中国・浙江省のおもいでvol,22

中国・浙江省のおもいでvol,22

『帰り道』

  「大家,今天下课。(皆さん今日の授業を終わります。)」

 窓際の席はいっそう冷え込んでいる。教室をにぎわす外国人学生たちのは、それぞれ厚手のコートやマフラーなどを着込んでいて、手袋をはめたまま授業に参加していたのだ。誰もいなくなった教室に一人ポツンとぼくは座っていた。

 その日、いくら経っても、教室にあの子は来なかった。付近の住民に開放されているキャンパスの裏庭には、数人の小

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中国・浙江省のおもいでvol,21

中国・浙江省のおもいでvol,21

『異邦人』

  雨が再び土を湿らせる。すると、思い出したように霞が空気を満たしていく。校舎の玄関は開いた傘で扉を囲まれていた。中国の大学に傘立てがないのである。色とりどりの傘は、雨の日に映える紫陽花のように、鮮やかな景観を見せてくれる。

 「よし。今日は中国人学生に、週末の出来事を日本語で話してもらおう。一つだけ注文がある。面白く語ってくれ」

 例の癖が強い教師、ガンティエン(岡田)がしたり

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