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巷の人が「私は精神疾患にはならない」と自信を持って言える心理が分からない

世間一般人はすぐに

イカれた人 vs まともな人

と区別(差別!?)します。ただ実際のところ

世間一般人の「イカれた人」の認識は生ぬるいです。

ここでは、私が思う「真にイカれた人」を端的に説明します。

かれこれ28年前の映画になりますが、映画「セブン」はその「イカれた人」を秀逸に表現しています。


☆以下、ネタバレを含むのでご了承願います☆


☆あらすじ☆

ロサンゼルスで連続殺人事件が発生しました。

しかもかなり猟奇的な殺人です。

その後、犯人が逮捕されます。

理解不能なイカれた思考を持つ犯人なのかと思いきや、「罪」そのものを筋道立てて洞察する冷静な人でした。

その洞察は、若手警官とのやり取りに集約されています。以下、抜粋します。


「異常なやつって、お前もそうだが、自分を異常だと認識しているのか?ふとした瞬間に『俺、すげえ、頭がイカれてるぜ』そう思うのか?」

若手警官のセリフ


「私が異常者なら安心か?」

犯人のセリフ


「その通りだ」

若手警官のセリフ


「どうせ君には理解できない。私は選ばれた者なのだ。私自身も喜んで罪人に罪を償わせた」←連続殺人のことです

犯人のセリフ


「お前は罪のない人たちを殺した」

若手警官のセリフ


「罪がない?冗談だろ?誰が本気で奴らを罪のない人々だと思うのか?

…..

だが問題はもっと普通にある人々の罪だ。
我々はそれを許してしまっているが、もう許されぬ。

私が見せしめをした。私のしたことを考え、学び、そして従う。永遠にな」

犯人の力説


「誇大妄想だ(あきれかえるような表情と共に)」

若手警官のセリフ



若手警官は終始

「頭のイカれた理解不能な人」

という先入観を持って犯人と対峙しており、犯人が力説する

「罪」の真意を理解しようともしませんでした。

しかし、このやりとりの直後、妻が犯人によって既に殺されていたことを知ってしまい、錯乱状態のもと、犯人を撃ち殺してしまいました。


自身のことを

「まともな人間でイカれている筈がない」

と当たり前のように思っていたのに

瞬間的に「真にイカれた人間」に変貌してしまった

という結末です。

この世の『まともな人々』にこそ「イカれる素質が十分にある」と言うことだと思います。