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TENETと三世因果

 先日、京都東山の泉涌寺にお参りした。ならびたつ三世三尊仏と、高い天井から猛々しい眼でこちらを睨む雲龍図の美しさにあっけにとられ、暫く立ち尽くしてしまった。(https://www.mitera.org/)

 泉涌寺三世三尊仏は、阿弥陀=現在、釈迦=過去、弥勒=未来の三世をあらわしている。中央に"過去"が配置される様が日常の時間感覚とは異なり、不思議だと思って調べてみると、仏教の考え方では、あらゆる存在に固定的な実体を認めず、回転する輪廻のなかの因果関係の密集としてとらえ、時間も例外ではなく、ただ因果の状況変化があるのみとみなすため、三世も仮の区分にすぎないそうだ。

 こうした仏教の感覚を少し覗くと、見るたび圧倒されつつも、なかなかすんなりと頭に入ってこなかった映画『TENET』への理解が少し深まるような気がする。

 『TENET』は、主人公が時間の逆行/順行技術を駆使して、人類を救うというミッションを遂行するというタイムサスペンス作品だ。時間を操る技術のしくみが難解だが、「因果」の方向性を柔軟に捉えると各登場人物の動きが明瞭になるように思う。映画の構造についてはすでにすぐれた考察が多々あるため割愛する。(https://www.cinematoday.jp/page/A0007447)

 ふりかえると、序盤、主人公に逆行システムを教える際に、博士が「頭で考えずに、感じて」というシーンは、"時に別体なく、法に依って立つ"世界観の導入に加え、俗世の観念からの解脱=超越者たれ、と主人公の使命を強調する場面であったように思う。

 さらに、ラストシーンで、自分の"果"を知りながらも、使命を果たすために"因"に向かっていく主人公の相棒・ニールの背中が、いっそう鮮やかな情景として思い起こされる。

 「末路がわかっていたとしても、何もしない理由にはならない」、人が「運命」と呼ぶ結末も、自分にとっては「現実」なのだ、と微笑むニールの思いと行動の気高さが、圧倒的な質量をもって胸に迫り、大粒の涙を流す主人公の心情が深く染み渡ってくる。

 彼らは、どんなに絶望的な状況に陥ったとしても、希望の光を決して消さず、どこまでも善なる因果応報を追求しているのだと思うと心が震える。

 "心外無別法"という言葉がある。すべての現象は、それを認識する人間の心の現れであり、心とは別に存在するものではないということだ。

 生の営みにおいて、『プレステージ』や『メメント』の主人公たちのように、自分の見たいものしか見ないという独善的な欲望の堂々めぐりに陥ることもあるかもしれない。

 一方、『TENET』の主人公には、人類を救うという利他的な希望を(作戦の要旨をわかっていなかった時点もあったが)貫き、「人類はきっと前進できるはずだ」という強い信条が常に漲っている。

 その姿は、前も後ろもおぼつかない黄昏の世界にあったとしても、わたしたちには、幸福や理想を見出し、それらを諦めずに追い求めていける力があるのだ、ということを気づかせてくれる。

 仏教や『TENET』の世界観にふれながらも、やはり俗世の感覚から逸脱することはできそうにない。しかし、わたしたちは、過去≒結果によって学ぶことができる。学んだことを未来に活かすため、行動を起こすことができる。

 世界の見方を学び、どのように心の置き場を定め、行動していくのか?という問を解いていくのが人生の意義なのかもしれない。

 前進する限り、勝利はわたしたちのもとにあると信じよう。未来を少しずつでも良くしていくための種を蒔いていこう。そんな前向きな気持ちが湧き上がってくる縁を友として、日々を積み重ねていきたいと思う。

目覚め眠るまで時間は関係ない 切られても切れるような関係じゃない 運命信じないが感謝する出会い 望み掴む未来 何度でも再会 シラフじゃ嫌気さすモノクロの世界 時間は奪えど心は奪えない 強く抱きしめるこんな美しい夜は2度とは来ないかもしれないから(100MILLIONS/舐達麻)

参考:




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