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人と人「間」に意味がある|47キャラバン#36@長野

REIWA47キャラバンとは
東日本大震災を機に、食のつくり手を特集した情報誌と食べものがセットで届く「食べる通信」と、生産者と直接やり取りをしながら旬の食材を買えるプラットフォーム「ポケットマルシェ」を立ち上げた高橋博之さん。REIWA47キャラバンとは、高橋博之さんの旅だ。東日本大震災から10年の節目を迎える2021年の3.11に向けて、改めて人間とは何かを問うため、47都道府県を行脚する。

旅のはじまり

2021年1月26日、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言下で行われたREIWA47キャラバンの長野県開催。感染防止策として、東京からのキャラバンは高橋博之さん1名のみ。各開催地では、手を挙げた現地の若者が同行する。長野県の同行者は2名。大学生の佐藤くんと、農業生産法人勤務の私。ここでは、私、荒井美波が現場で見たこと、体感したことをレポートする。

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左から、荒井、佐藤くん、かとうりんご農園・加藤さん

ようこそ長野県へ

キャラバンに参加する農家さんの忙しさを気遣ってだろうか、はたまた旅の流れの偶然だろうか。1月、見事に農産物が無い真冬の長野県にようこそ。当日までどこを訪ねるのか知らされていなかった。これは、旅だから。

47キャラバンは「旅」だ
行き当たりばったりの「旅」。流れに身を任せ、導かれるままの「旅」だ。(高橋博之「 茶畑の中で見守る先祖|47キャラバン#7@埼玉」より)

千曲川氾濫から1年3か月、りんご農家を再訪

レンタカーに乗り込み、長野県は長野市へ。車を走らせ、ようやく旅の目的地がわかった。2019年10月の台風19号による千曲川氾濫から1年3か月。博之さんは、浸水被害を受けたりんご農家の復興の今を見に来たのだ。

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(左から、博之さん、フルプロ農園・虎千代さん、同農園・りくさん)

1人目は、長野市のりんご農家でフルプロ農園を営む徳永虎千代さん。虎千代さんは、台風19号による被災後「長野アップルライン復興プロジェクト」を立ち上げた。多くの人を巻き込みながら、災害復興に留まらない産地の課題解決に取り組んでいる。

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まず初めに、長野地方卸売市場の青果卸売業を担う「株式会社長印」を訪問した。倉庫には、全国から運ばれて来た野菜や果物の箱が並んでいる。国産青果物の大半が市場を経由して取引されている現状を踏まえた上で、「ポケットマルシェのような産直ECが市場に取って代わることはない」という博之さんは、長印社長の倉崎さん、開発部の米山さんとともに、これからの流通について語り合った。この地に108年続く地方卸売業の11代目倉崎さんと、産直ECの創業者博之さん。食の流通を担う両者の対話は、和やかに進んでいった。中でも、両者が口を揃えた言葉が、私の心に残った。
「儲かるからやっているのではない。必要だからやっている」

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その後、千曲川の堤防付近を視察した。千曲川の堤防は、現在、増強工事の最中にあった。一帯がさら地になっているこの場所。「駐車場」と大きく書かれた仮設の看板からは、それが工事車両の臨時駐車場であることが分かる。私たちが歩いているこの道の両側には、もともと何があったのだろう。

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堤防のすぐそばに建つ体育館は、痛々しい姿のままだった。2階の窓ガラスが割れていることから、千曲川の濁流がこの高さまで押し寄せたことがわかる。ここに広がる風景は、さながら10年前に三陸沿岸で見た東日本大震災の津波による爪痕のようだった。海がない長野県でも、自然の脅威は同じだ。

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被災した体育館から、平らに続く道を抜けてりんご畑へ。畑のすぐ裏手には、当時ニュースで見た北陸新幹線の車両基地がある。水浸しになった車両が並ぶ報道映像を思い出す。一方、この畑に立った今、りんごの樹々が水に沈んで見えなかったという様子は、到底想像出来ない。倒れたりんごの樹々は、ここで用いられる高密植栽培の設備共々、見事に立て直されていた。

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「被災当初はどうなることかと思ったけれど、りんごの樹は生きていた。」
来年に向けた剪定作業の手を止めて、虎千代さんと栽培責任者のりくさんは話してくれた。何事もなかったかのように整然と並ぶこの樹には、この後どのように実がなるのだろう。その姿をまた見に来たい。

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2人目は、かとうりんご農園の加藤智朗さん。虎千代さんの畑から、車で5分もかからない場所にその畑はあった。加藤さんの畑も、千曲川氾濫による浸水被害に遭った。3m以上はあると見えるこの樹が、丸ごと浸水してしまう程の水位が3日間も続いたというのだから驚いた。その上、被災後の昨年は例年よりも豊作であったというのだから、さらに驚きだ。自然の力には敵わないとつくづく感じるお話だった。

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この旅では、2軒のりんご農家と1軒の地方市場を訪問した。りんご畑を見比べると、樹の仕立て方が全く違う様子がわかる。同じりんごでも、同じ地域でも、やり方がそれぞれに違っていて面白い。長印とポケットマルシェも同じだった。ともに異なる方法で、食べものを届ける役割を担っている。互いに違いを否定せず、尊重しあい、時に意見を交わしながら、それぞれの道を究めていく人たちの対話が、私は好きだ。

REIWA47キャラバン#36@長野

「人間として生きていますか?」
すっかり日が暮れた頃、会場に集まった15名の参加者に博之さんは問いかけた。人(ひと)の間(あいだ)と書いて人間(にんげん)。その「間」がコストであると言われる現代、人と人との関係性はどんどん希薄になっている。食べものを介す現場でも、それが顕著に見える。本来、消費者だって何かしらを社会に提供している生産者であり、その関係は「お互いさま」であるのに、互いに相手の姿を想像することが出来ない。「間」の省略によって円滑になった取引は、相手を遠ざけ、顔が見えない。便利さと引き換えにしてしまった「間」は、手間、隙間。その「間」に人間の生きる意味があると博之さんは説く。

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「人間として生きていますか?」この問いから始まった博之さんの話には、筋書きがない。資料もない。その話は旅のように、流れの中に繋がっていく。話の内容は多岐に渡り、私にはその全てがキーワードに聞こえてくる。頭で断片的にとらえた話を、的確にここに説明することは難しい。しかし、今回は一つだけ、目に留まるキーワードがあった。博之さんは、珍しくホワイトボードに文字を書いた。

「外集団均質化バイアス」

この言葉を聞いたことがあるだろうか。「外集団均質化バイアス」とは、自分から遠く離れた世界の人に対して、その実感がないために一括りに捉えられ、体温を感じる人ではなく、概念的でぼんやりとした塊のように認識してしまうことだ。例えば、「障がい者」という名前の人は存在しない。「障がい者」という言葉によって一括りにされる集団の中には、一人ひとりの人が存在し、それぞれに個性があり、かけがえのない多様な人生がある。同様に、「生産者」という名前の人も、「消費者」という名前の人も、この世の中には存在しないのである。

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では、どうしたらこの塊を、実体として捉えなおすことが出来るだろうか。「外集団均質化バイアス」の突破口は、「知ること」であるという。その集団を「人」として捉えられたときに、初めて相手の世界に共感が生まれる。「生産者」の世界と「消費者」の世界。ここで、その2つの世界を「人」として捉えることが出来た私自身の体験を話してみたい。

高橋博之さんとの出会い

この話をする前に、最低限必要な自己紹介をさせてほしい。私は、神奈川県出身。新卒で長野県の農業生産法人に入社した。農業は未経験。好奇心から選んだ仕事だった。博之さんとの出会いは、2019年1月。当時の私は就職4年目で、パクチーの栽培を担当していた。日々仕事に忙殺され、野菜を作る目的を見失い、いつの間にか「作らされている」感覚に陥っていた。そんな時に出会ったのが、彼の著書『だから、ぼくは農家をスターにする 「食べる通信」の挑戦 』であり、「東北食べる通信」だった。社会人でありながらインターンとして、取材の同行を含め30名以上の生産者を訪ねた。

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(2019年2月、東北食べる通信インターンにて中洞牧場で搾乳を手伝う私)

「東北食べる通信」が教えてくれた「生産者」の世界

約1か月間のインターンを通して出会ったのは、「作らされている感覚」とは対局にある「いいものを届けたい」という生産者だった。せり、ハーブ、アスパラガス、豚、乳牛、ホタテ、ワカメ、他にも数々のかっこいい先輩生産者から学んだ当時の体験は、東北食べる通信2019年2月号コラムとして、以下のように綴っている。その一部を引用する。

今回出会った生産者の方々は、それぞれに目指す農業のやり方がまったく違っていました。しかし、農業に向き合う姿勢には、多くの共通点があったように思います。例えば、自らの生産物を熟知し、その良さを伝えたいという意欲にあふれていること。常に学ぶ姿勢を崩さず、仕事を楽しんでいること。他の農業のやり方を否定せず、認め合っていること。そして何より、自分の一番のサポーターは消費者であると思っていること。そこに「作らされている」感覚は皆無でした。

一方で私は、仕事に向き合っていたつもりでいて、野菜には向き合っていなかった。食べてくれる人たちを見ているようで、見ていなかった。天候や相場という、業界を取り巻く環境ばかりにとらわれて、身近にあったはずの農業の真価を見過ごしていたのだと気付きました。いいものを届けたい。たったそれだけの純粋な気持ちを失くしていたのだと思います。その気持ちこそが、生産者が美味しい野菜をつくる原動力であったにもかかわらず。
(東北食べる通信 2019年2月号「読者取材同行記『東北見聞録』」より)

これは、私が自らを「生産者」として再認識する体験だった。自らが生産者でありながら、持つべき感覚を失っていた私は、他者でありながら私と同じである生産者に出会うことによって、その感覚を取り戻した。バイアスどころか、捉えることさえ出来なくなっていた「生産者」であることの意味を、彼らの仕事や生き様が、身をもって教えてくれた。

「ポケマル」が教えてくれた「消費者」の世界

こうして「生産者」としての自覚を得た私は、「いいものを届けたい」という思いでその後の仕事に向き合い、2020年はパクチーを7.6t出荷した。量を作る農業のやり方にも意味があり、誇りを持って取り組んでいる。しかし、量の出荷先であるスーパーやレストランは、最終的に食べてくれる人ではない。言わば中継ぎ地点である。頭では分かっていても、その先にいる食べてくれる人の存在を実感することは難しかった。

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(2020年10月、一面に広がるパクチー収穫の様子)

ポケットマルシェ(ポケマル)に出品し始めたのはインターンの直後だった。そこで売り上げることが目的ではなく、好奇心から試験的に出品した。結果、全体の出荷量7.6tに対し、ポケマルを通した出荷はわずか68.7kg。1%にも満たない量だった。しかし、この1%のパクチーを食べてくれたお客さんが、この後の私の原動力となる最大の気付きを与えてくれた。

美味しく頂きました。根っこも美味しい💛ありがとうございました。
パクチー最高~っ!大好きなパクチーたっぷり!美味しいので数回目リピートですっ!いつも美味しいパクチーをありがとうございます!
美味しいパクチーありがとうございました!生だけでは食べきれないほど沢山入っていたので、パクチーソースを作りました。パスタや、餃子に付けて食べても、とっても美味しかったです(^^)

これは、ポケマルからパクチーを購入してくださったお客さんによる「ごちそうさま投稿」の一例だ。ポケマルには、生産者一人ひとりに個別の「コミュニティ」という相互投稿スペースが設けられている。

これまで、どれほどのパクチーを出荷しても、その声は聞こえなかった。正直に言えば、聞こうともしていなかった。しかし、ポケマルを通して初めて、その声を直接に聞くことが出来た。「美味しかった」「ありがとう」という純粋な一言が、こんなにも温かく嬉しいものだとは知らなかった。食べものを届けるとは、こういうことだった。この経験を通して、私は、その他99%の量の出荷先と、その先にも、同じように食べてくれる人がいることを想像することが出来るようになった。

一片のつながりから生まれる想像力

ここまで書いてみて、改めて自分の想像力の乏しさに呆れる。ここまで体験しないと、わからないものなのかと。けれど、体験を通してようやく腑に落ちることがある。頭ではなく、体がわかることだ。

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博之さんは、裸足になって2時間以上話し続けた。私は、その話を全身で浴びた。話の内容は、聞いたことがあったかもしれないし、逆に言えば、何度聞いてもその全ては分からない。しかし、その体感の後には一つの感覚が残る。それは、私はまだまだ一次産業の世界に生きていきたいということだ。たったそれだけの体感を覚えて、私はこれからも農業の旅を続けていく。

おわりに

このレポートを書くにあたり、これまでに開催されたREIWA47キャラバンのレポートを全て読んでみた。今回の長野開催で私が聞いた話は、もうすでに全部書いてあった。各地のレポートから、博之さんは何度も同じ話をしていることがわかる。変わらない志を、その日そこにいる人たちに向けて語りかける。博之さんにとって、この旅そのものに意味がある。そして、そこで話を聞いた人たちにとっても、意味あったことがわかる。特に、#13秋田開催以降のレポートには、博之さんに代わる旅の同行者が、それぞれに感じ取ったその場の空気と考えが綴られていて、共感する点がいくつもあった。

このようにして、高橋博之さんは全国を行脚している。手間をかけて、時間をかけて、人間に語りかける。これは生きる意味を問う旅だ。人と人の「間」に立ち上がる、その関係性の中に、人間の生きる意味がある。

おまけ

長野を発つ朝の博之さん

引き続きお気をつけて、良き旅を😊


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