茶畑の中で見守る先祖|47キャラバン#7@埼玉
私は、東日本大震災を機に、食のつくり手を特集した情報誌と食べものがセットで届く「食べる通信」と、生産者と直接やり取りをしながら旬の食材を買えるプラットフォーム「ポケットマルシェ」を立ち上げた。東日本大震災から10年の節目を迎える来年の3.11に向けて、改めて人間とは何かを問うため、47都道府県を行脚することにした。
これは、その「REIWA47キャラバン」のレポートである。
47キャラバンは「旅」だ
いきなりだが、「旅行」と「旅」の違いはなんだろう?
「旅行」は、あらかじめ目的地が決められているツアーのようなもので、添乗員に言う通りに動いていれば、スケジュール通りに行程をこなすことができ、時間通りに目的地に到着できる。
一方、行き当たりばったりの「旅」は、ざっくりと目的地を決めて出発するものの、行く先々で思わぬ出会いがあり、足止めをくらったり、道草をしたり、進路を変えてみたりで、結果として当初想定していなかったような場所にたどり着き、まだ見ぬ新しい世界を発見して感動する。「旅行」と「旅」と聞くと、そんなイメージが湧いてくる。
今回の47キャラバンでも、現地で訪問する生産者はできるだけ前もって決めないようにしている。流れに身を任せ、導かれるままの「旅」だ。
たどり着いたのはお茶農園
そんなわけで、今回の埼玉開催でたどり着いたのが、埼玉県所沢市の「鷹ノ羽 森田園」。日本茶の栽培から製造直売をしているお茶農家の森田智洋さんを訪ねた。前日に初対面で、当日の朝に連絡して、その足で午前中に訪問するという電光石火の訪問。
前夜のキャラバンが初対面だったのだが、「ポケマルと出会ってから、全国各地に自分たちのお茶を認めてくれる人がいることを知った。しかも、直接感想も聞けてやりがいになっている。そのお礼を直接伝えにきた。」と言っていただいた。さらに、緊急事態宣言下に放映したポケマル初のCMをつくってくれた方の後輩と聞き、縁も感じた。それで、森田さんのところに行くと決めた。
炎天下、快く出迎えてくれた森田さん。瓦屋根の立派な日本家屋はいかにもお茶農園らしい。
のれんをくぐり、いざ入店。
冷たい抹茶をいただく。汗だくの体に染み入る。
なぜお茶農家を継いだのか?消費者とつながってみて何がどう変わったのか?東北食べる通信創刊編集長を丸5年勤め、自ら毎号特集原稿を書いていたこともあり、初対面の生産者でも質問責めしてしまう癖が今も抜けない。
お茶離れが進む若者にもとっつきやすいようにとデザインされた商品。
自宅裏にあるお茶畑に案内してもらう。
なんだこの細長いお茶畑は!1キロ近く延々と続く。
大事に育てられているお茶の赤ちゃんを見せてもらう。
会社員を辞めて、お茶農家を継いだ森田さん。会社員時代との一番の違いは、作るところから、加工・営業・販売まで、全て自分でやること。良くも悪くすべて自分に返ってくるだけに大変だが、その分だけやりがいがある。
お茶畑の中に何かが見える。あれは、お墓じゃないないか!
明治末期から100年以上の歴史を持つ森田家だが、智洋さんは12代目。先祖の名前がずらりと刻まれている。こうしてご先祖様たちにいつも見守られながらお茶づくりをしている。いやー、プレッシャーだろうなぁ。背負ってるものが違う。手抜きとかしてたら、先祖から叱られそうだもんな。自分が辞めてしまったら、100年以上の歴史が終わるわけで、あの世に行ったら先祖から叱られそうだもんなぁ。
一通りお茶畑の案内をしてもらい、お店に戻る。倉も立派だ。
最近売り出し中の「贅沢あいす」をいただく。抹茶味とほうじ茶味。ほうじ茶味が予想外のおいしさだった。
最後に、ポケマルのユーザーにラブレターを書いてもらった。
「お客さんとお友達になれる生産者になりたいです」(森田智洋)
友達のような関係になりたいという声は、生産者と消費者の双方からよく聞かれる。その意味するところは、相手と「人」として向き合いたいということなんだと思う。マーケティングやブランディングがあふれ返り、ひとりひとりを数値化して、パターン化してしまう世の中にあって、結局は「人」として相手に心を配るということが、最も消費者の心を揺さぶるはずだ。
参加者の火を灯す
さて、時間を巻き戻して前夜のキャラバンへ。
今回は、いつもとやり方を変えてみた。いきなり講演から入るスタイルではなく、ぼくがインタビュアーになって、「あたなは何者でなぜこの場にいるのか?」という問いをぶつけていく。
コロナ禍に、わざわざ会場までリアル参加してくれるからには何かある。それぞれ、ここに足を運んだ思いを語りだした。
この方は、自衛隊をやめて農家に転身した。どちらも国を守る大事な仕事だ。「自分のやっている農業がこれからの時代にフィットするか、消費社会をよく知っている高橋さんに確認にきた」。
他のオンラインイベントで僕の講演を聞いたという新卒の女性。リアルで言霊を浴びたいと来てくれた。同じ話を、ネットで聞くのと、リアルで聞くのとでは、受け止め方がまったく違う。頭で聞くのと、体で聞くのとでは、火の付き方が変わるはずだ。
そして、この男性の名前は、江守敦史さん。今年春まで、共に「食べる通信」を社会に広げるべく、一緒に戦ってきた同志だ。日本食べる通信リーグ事務局長、江守敦史。全国キャラバンで日本を3週一緒に回った。ぼくらが社会に投げかけてきたメッセージのひとつは「観客席からグラウンドに降りよう」。日本の一次産業を取り巻く課題を他人事ではなく、自分事として捉え、行動しようと。消費者としてできることをしていこうと。なぜなら、人間、食べないと生きていけない以上、すべての人が当事者であるはずだからだ。そしたら、江守さん自身がグラウンドのど真ん中のピッチャーマウンドに降り立ってしまった。江守さんは食べる通信の仕事をしながら家庭菜園を始め、それがいつの間にか本気になり、ガチで農家になってしまったのだ。今は、自分の畑で農業をやりながら、農福連携の施設で働き、生産者と消費者をつなぐ編集者という役割もこなす。三足の草鞋!
参加者の数人が、僕からパッションをもらいに来た、熱さを浴びに来たと吐露してくれた。僕の役割は、くすぶっている人の心に火をつけることなんだと改めて自覚した夜だった。
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