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文豪に迫るストーカーとビジネス

 ウィキペディアで小説家「梶井基次郎」の項目を読んでいたんですが、いろいろと驚愕しました。彼の「生涯」の記述で気になったところを抜粋し、箇条書きにしてみました。

1911年(9~10歳)
・結核だった祖母がしゃぶってた飴玉をなめて結核に感染した。
1919年(17~18歳)
・夏目漱石に影響を受けすぎて、好きな子への想いを友人に手紙で送った際、本文の他に夏目漱石の失恋の英語詩も書いた。
・夏目漱石に影響を受けすぎて、友人への手紙に「梶井漱石」と署名した。
・夏目漱石に影響を受けすぎて、夏目漱石の「三四郎」にあやかり友人への手紙に「Strey sheep」と署名した(本家「三四郎」に出てくるのは「stray sheep」だが、ウィキペディアが間違ってるのか梶井基次郎が間違ってるのか不明)。
1921年(19~20歳)
・女の子に一目惚れし、有名な英国詩人の詩集を破いて彼女の膝に叩きつけて立ち去り、後日、「読んでくださいましたか」と聞くも「知りません!」とキレられ嫌われた。
・泥酔して電車道で大の字に寝て「俺に童貞を捨てさせろ」と叫んだため、友人によって遊郭に連れていかれるが、女性が出てくるなりゲロを吐いて応戦した。その後、遊郭の支払いのため時計を質に入れ、「堕落した」などと言った。
・旅館で泥酔して団体客の部屋に裸で乱入して喧嘩騒ぎを起こし、殴られて学帽を取られ、店の主人に取り返してもらった。
1922年(20~21歳)
・学校の劇研究会で女性役を多く引き受け、女性っぽい声を出すためにがんばって口をすぼめた。
・海水浴中に崖から飛び込み海底の岩で鼻を強打、一生残る傷ができた。
・泥酔して池に飛び込んで鯉を追いかけたり金魚を抱いて寝たりした。
1923年(21~22歳)
・公園で騒ぎすぎて警官に捕まり、四つん這いで犬の鳴き真似をさせられた。
・カフェで喧嘩して左頬をビール瓶で殴られ失神、こちらの傷も一生ものになった。
1924年(22~23歳)
・卒業試験をがんばるあまりトイレにも行かず、ズックカバン(トートバック)におしっこをためてぶら下げていた。
1925年(23~24歳)
・大雪が降った日に散髪へ行くが、お湯が満足に出なかったせいか髪をうまくゆすいでもらえず、頭に泡がついたまま街を歩いた。
・有楽町のホームからガード下の通りに向けて放尿をした。
1931年(29~30歳)
・病気がちで、健康のために近所の人が殺したとされるマムシを母に拾ってきてもらい食べた。

 軽く調べてこの有様です。文学研究ともなれば、作者の人となりも調べられるだけ調べておくのが当然でしょう。しかし、人としては「もう勘弁してあげてよ」という気持ちが抑えられません。自分の文才を遺憾なく発揮してしまったばかりに、死してなお激烈なストーキングに遭ったかのような調査結果です。私が梶井基次郎だったら、閻魔様を殴り飛ばしてでも現世に舞い戻り、これらのエピソードの証拠とされる資料を次々に燃やして回ることでしょう。

 梶井基次郎ついでにもうひとつ。梶井基次郎の代表作と言えば「檸檬」です。洋書店に爆弾を仕掛けたつもりでレモンを置いてくるという話くらいは読んだことがなくても知っています。仕掛けられたお店のモデルが丸善京都店ということもです。一時期は、マジでレモンを仕掛ける人が後を絶たなかったという影響力のデカさです。

 調べたところ、丸善京都店は2005年に閉店するも、2015年に再出店しています。軽く検索してみてください。すがすがしいまでのレモンまみれ、梶井基次郎の活用に次ぐ活用といった状態です。レモングッズの販売はもちろん、カフェのメニューも当たり前のようにレモンの黄色であふれています。

 何ならレモン置き場もあるとか何とか。しかも、客の要望なんですから、まさに時代を超えた影響力です。何ならあれですか、カフェのレモンは置き場のを流用しちゃいますか。欠点は供給ペースが極めて不安定な点と、レモンに何か入れてくる愉快犯が出てきかねない点でしょうか。

 自分の素晴らしい功績も恥部中の恥部も調べつくされたかと思えば、1世紀近くあとの人間によってビジネスにゴリゴリ使われる。文豪って大変ですね。おちおち死んでられないと思います。

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