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31歳ゲイ、社会人3年目のぼくのこと。

「ぼくは31歳のゲイだ。そして社会人3年目である。」

noteを始めようと思い立ち、ならばまずは自分のことを紹介しようとキーボードに向かったら、反射的にこの一文をたたいていた。

もっと他の書き出しがあるだろうにという気もするが、人間関係を進めるひとつの手段として、自分からまず弱みを見せてみる、というのをよく聞く。人によっては弱みでもなんでもない、取るに足らないことかもしれないが、私の中でこのことを人に深く話すのは、ちょっと、いやかなり勇気と覚悟の要ることなのだ。

まずは私の、少し恥ずかしい部分から知ってほしい。
そしてもし、万が一にでもこの文章を読むあなたが私に興味を持ってくれたなら、それはすごく幸せなことだ。
そんな思いから、この一文で始めてみたい。

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ぼくは31歳のゲイだ。そして社会人3年目である。

31歳であることと、ゲイであることと、社会人3年目であること。それらの間にいったいどういう関係があるのか。なぜ、このことを私は「ぼくのこと」として紹介したがっているのか。それは私自身にも整理できていないのだが、ふたつだけキーワードを挙げるとするなら、おそらく「嘘」と「真摯」が当てはまる。

ともあれ、とりあえず私の人生を振り返りながら、探り探り、綴ってみたいと思う。

じゃあ、まずはキャッチーに「ゲイ」からはじめてみようか。

自分の恋愛対象が男性だと自覚するようになったのは、まだ中部地方の田舎に住んでいた、おそらく中学生の時(2003-2005)だったと思う。女の子の話題で盛り上がる男の子たちの会話に入れなかったり、頑張って入ってひどく疲れたり(でもなんだかんだで時々は楽しかったり)しながら、その話題に積極的に興じている(ように見えた)ある男子のことが、ずっとこっそり好きだった。そしてもちろん、思いを伝えることはなかった。

そのまま地元の高校に進学すると、また別の男子を好きになった。

付き合ったり別れたり、全員片思いの絶望的なループが生まれたり、はたまた体の関係のうわさが聞こえてきたり。高校生になると、局部に特化したエロ話とか、ふわふわした恋愛トークとかを超えて、「恋愛」とか「性愛」が実際の人間同士の関係の話なんだということが、より実体と実感を帯びてくるようになった。

ただ、その関係性はここでも、男と女のあいだのものだった。

私にとって大きく変わったことと言えば、携帯電話(当時はまだいわゆるガラケー)を買ってもらったこと。
私はパケット定額制の縛りの中、自室で男性のエロ画像を縦横無尽に検索しては、オカズ用に保存した。自分の欲望が、ブルーライトの中でどんどん可視化されてゆく。ただ、それは同時に、絶対に破られない4桁のパスワードを考案し、守り通さなければならないものだった。

私にはまだまだ実体も実感も程遠く、好きだった男の子からは逆に恋愛(with女子)相談をされて絶望したりしながら、あっけなく高校は卒業した。

2010年の春、19歳の時、1浪を経て第一志望の京都の大学に合格した。
夢に見たひとり暮らし。自由な生活。ただ、自分みたいに男を好きになる男が、自由を手に入れたところでどんな恋愛をするべきなのか、当時の私にはまるでわからなかった。大学に通えば自然と出会えるものなのか、京都の花街やら何やらのどこかに出会いの場所があるのか…。でも、今度こそ好きになった男の子とセックスしたい。キスをしてみたい。わけもわからないまま、その欲望だけが強まっていく。

しかし、このとき、すでに私はちょっとメンタルを崩しかけていた。

今振り返ってみれば、受験勉強後の燃え尽き症候群のようなものだろうか。浪人生活で人との交流が極端に狭まっていたのも一因かもしれない。理由は判然としないが、新しい環境でチャレンジしたことにことごとく失敗し、意欲が絶望的に減退していた。

大学の授業に出ても心ここにあらずで、人との交流も避けがちになってしまい、学部では友達を作れなかった。バイトはそもそも面接に受からない。なんとか「充実」が欲しくて高校の友達経由でキラキラ系サークルにも入ってみたが、続かなかった。1回生前期のスタートダッシュに乗り遅れ、単位は目標の半分も取れなかった。

唯一、もともと活動内容に惹かれて入った美術系サークルでだけは、友達を作り、居場所を作ることができた。だが、この唯一できた大事なコミュニティの中で、私はある2つの重大な嘘をついてしまう。

ひとつは、自身が童貞ではないという嘘。
そしてもうひとつは、前期の単位をちゃんと目標通り取れたという嘘。

ひとつ目の嘘は、なんてことない、男同士の(もちろん異性愛が前提の)エロトークの中で飛び出したものだ。もしかしたら人によってはよくある、ただの見栄っ張りのようなものかもしれない。

ただ、私にとってはそれは、このサークルの中で、たとえ隠れながらでも「ゲイ」として真摯に生きていく可能性を、自分で閉ざしてしまうものだった。恥を忍んで「まだ童貞なんだよね」と答えればそれで済む会話である。結局、自分のセクシュアリティよりも、男同士のマウンティングで「いいかっこ」をする方を選んでしまった。

私は大学では、カミングアウトはできなくとも、自身を積極的にストレートだと偽るようなことはしまいと決めていたはずだった。憧れていた自由な性生活はどこへやら。嘘をついた後で、自分の浅ましさにひどく辟易し、ますますメンタルを病んでいった。

ふたつ目の嘘もまた、自分をちょっとでもよく見せたいという動機からついてしまったものだ。1回生前期の本当の成績は決していいものではなかったが、公開が憚られるというほどのものでもなかった。そもそも、大学生にもなって、人は友達の成績にそこまで執着しない(…と、今なら思える)。おそらく、実際の生活が全然うまくいっていないことを自分で直視できなかったのだろう。こんなつまらない嘘をついてしまったという事実が、私の心の闇にさらに拍車をかけていく。

そして、これらの嘘が、偽装してまで送らなくてはいけない、私の大学生活の基準となった。

その後の生活はひどいもので、授業には全く通わないのに、サークルには顔を出し、授業に通っているふりを醸し出すという生活が続いた。サークルに同じ学部の子はいたが、クラスも専攻も違うので、少し不穏に思われることはあったかもしれないが、追及されることもなかった(そもそも、人は他人にそこまで興味はないのである)。サークルと、1回生後期から始めた酒屋のバイトだけが私の居場所という生活が、真実を家族にも友達にも明かさないまま、4年間も続いたのだ。

また、私には彼女ができていた。
もちろん、彼女にも嘘はついたままだった。
最初の嘘とつじつまを合わせるかのように、もはや自分の気持ちでさえ、何が本当かわからなくなっていた。しかし、その当時でさえ、私にはたしかに好きな男がいた。自室でひとりで過ごす夜には動画共有サイトでゲイ向け動画を漁る自分がいた。TSUTAYAでこっそりと『ブロークバック・マウンテン』や『MILK』を探す自分もいた。

欲望にふたをしても、一時的には成り立つ関係があることを知った。
そして彼女ができてから、本当は大学にも行けてないのに、根拠もなく自分が強くなったような気がした。周りの態度も変わった。
セクシュアリティを演じることは、男性にとってはジェンダーを演じることになりうるのだと経験から悟った。
―ただ、結局は長続きしなかった。別れた後で、安心する自分がいた。

結局、大学は4年が区切りなので、そのタイミングですべてバレた。

ばれる直前、なぜか衝動的に東京に行き、カプセルホテルを転々としながら1週間ほどを過ごした。その中で、当時駒込にあった小さな発展場を訪ね、そこで男性との初体験をした。女性とのセックスとは全然違うもので、顔が、肌が、腰が、自然と相手に吸い付いていった。ああ、自分はゲイなんだと実感した。なんでもっとこのことにもっと早く向き合わなかったのかと、自分がしてきた他のすべての愚行を棚に上げて、駒込のまっくろな夜景を背負ってBLの主人公みたくセンチメンタルな独白に溺れてしまいそうだった。ただそれほどに、23歳のこの時まで、自分は「実体」と「実感」を待ち望んでいたのだ。

すべてがばれた後、当然ながら親にはこっぴどく叱られたが、本当に本当にありがたいことに、卒業しないのだけは絶対ダメと、その後も大学に行かせてくれた。ただ、こちらも当然だが、嘘がばれたことでサークルの友達はほとんどが事実上の絶交状態になってしまった。何人かの優しい友達は顔を合わせる機会を作ってくれたが、やはりどうしたって昔の関係には戻れない。会ってくれただけでもありがたいと思わなければならない。

5年目の1年間は実家に帰ってバイトで金を貯め、6年目・7年目で4年分の単位を(いまさら必要もないのに好成績で)取り直し、大学を卒業した。
卒業論文では仕事を扱ったテレビ番組における「マスキュリニティ」をテーマとし、指導教官からも高評価を受けることができた。

指導教官からは大学院進学を勧められた。当初は就職する気だったが、ぎりぎりになって始めた就職活動がうまくいかなかったこともあり、また、本当に本当に本当に本当にありがたいことに親も賛同してくれたため、結局、修士課程に進むことになった。

セクシュアリティに真摯に向き合うということ

大学院では、今度は正面から男性のセクシュアリティをテーマとすると決めた。それと同時に、就職を視野に入れた活動も早くから開始した。研究の傍ら、学業との両立が可能な学内でのアルバイトを始め、資格取得やインターンシップへの参加に励んだ。短い間ではあったが、人生で初めての彼氏もできた。

こう書くと、心機一転、大学院では有意義な時間を過ごせたように思えるかもしれないが、実際にはどの活動もうまくいったという実感はない。研究についていえば、知識は格段に増えたものの、自分で設定したテーマの実証は決して十分とはいえないままの修論になってしまったし、就職活動も、当初志望した業界には進むことができなかった。上で示唆したとおり、初彼氏との関係はもう終わっている。

ただ、この2年間は、少なくとも、どこを切り取っても「私」の時間だと言えることだけは確かだ。うまくいきかけたことも、結局不本意に終わったことも、ちゃんと引き受けて過ごすことができた(普通の人は至極当たり前にやっていることなので、改めて口にするも恥ずかしいのだが…)。

そして、大学院での研究と生活を通じて、私はようやく、自身のセクシュアリティに「真摯」に向き合えていると感じる。カミングアウトは限られた人にしかしていないが、少なくとも、その場しのぎでストレートのふりをするようなことはもう絶対にないといえる。もちろん、ここ数年でLGBTQ+を取り巻く環境が変わったのも大きく影響している。

いや、きれいに言い過ぎたかもしれない。本当は19歳の時に思い浮かべていたBLみたいな青春への憧憬はまだまだひきずっているし、まだまだ自分がゲイとしてどう生きていくべきかもよくわからない。ただ、京都に来てから9年もかかって、少なくともようやく自身のゲイネスに対して「真摯」の「真」くらいにはなれたかな…?とは思っている。

31歳ゲイ、社会人3年目

そして31歳となったいま、私は東京で社会人3年目として働いている。もちろんゲイだ。嘘と見栄で人生を大きく遠回りしてしまったが、少なくとも、今は「真摯」を大事に、それなりに粛々と暮らせている(実際には、ずっと常に真摯ではいられないのだけども)。

そしてそして…。きれいごとばかり書いているけれど、上に書いてきたこと全部、両親の理解と援助なしにはできなかったことだ。本当に本当に、感謝してもしきれない。親にはこれからの人生で全力で恩返しをしていきたい。コロナが明けたら大好きな旅行にも連れて行ってあげたい。

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…と、こんなん誰が読むねんという感じだが、これが私の恥ずかしい部分だ。思ってたよりしょうもなかったとしたら、申し訳ない。でも、私はここからnoteを始めたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。












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