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スピリチュアルペイン〜自分を「恥ずかしい人間だ」と見ている痛み〜


「私は、私を恥ずかしい存在だと思っている。」

前から気づいていたことだけど、さらに自覚した。

私には、どこか「隠れていたい」という意識がある。



なんとなく、人の中にいると、正面を見れないような・・・
どこかに木があれば、そこに隠れていたいようなそんな気持ちになるのだ。


もちろん、これまで取り組んできた「自分に自分で◯をつける」というプロセスは、私を随分この痛みから解放してくれたし、生きることも以前に比べたら格段に楽になった。


だからこそ、「自分を恥ずかしいと思っている意識がもたらす痛み」について、今ここで言葉にしたくなったのだろう。



自分が自分らしくいるときには、感じない痛み


いつもその痛みを感じるか?というと、そんなことはない。

家族と一緒にいる時、長年の友人たちといる時はリラックスしているし、

おわまるの仕事をしているときは、堂々とそこにいることができる。



自分がセッションをしたり、講座をしている時、
不思議なほど、隠れることもなく、そこにいることができる。




自分にとって1番大切なものをビジョンに掲げて、本当に信じていることを伝え続けた結果、「おわまる」というコミュニティは最も自分でいられる場所になった。


先日の夏合宿のシーン


リラックスし、そのままの自分を出せる。
だから、合宿ができたのだ。どんな自分もバレちゃうから(笑)

一体何を感じている時なんだろう(笑)


変なことしたくなるよね。
ついつい変顔してしまう私たち。


ワインを飲みながらロビーで娘とリラックス。
コーチとクライアントさんを超えて仲間


「恥ずかしい存在」という意識の背景にあったもの


私は、これまで多くの失敗をしてきた。

恥ずかしいこともたくさんしてきた。

いや、過去形ではない。現在進行形でいろんなことが起こっている。



その度に辛さを感じる。

でもその辛さは、その事実そのものではない。と気づいた。



その事実を起こしている自分を

「恥ずかしい人間だ」と見ていること。

その意識が、辛かったのだ。



自分を大切にすることができていないという辛さ。

それは、精神的な痛み。



なぜ「恥ずかしい」と思うのか?

「普通の人は、もっとちゃんとやっているはず。」という思い込みがあるから。

それとのギャップで、できていないことは恥ずかしいことだと捉えてしまう。



でも、冷静になればこんな風に捉えることもできる。

「普通とはなんだろう?」

「本当に、ほかの人はちゃんとやっているのか?」

「あの人と私の特性は違うのだから、私ができていることで他の人ができないこともある。トータルで見たら、みんなちゃんとしているし、みんな恥ずかしいことをしている。」


無自覚なままだと、痛みの中に自分を置いたままにしてしまう。



自分を丸ごと受け入れ、大切な存在として見る意識が育っていけば、

現実で何が起きていても、辛さを感じることはない。


痛みから解放されて生きることができる。



痛みから解放された人間が、どれほど心地よさを感じるか。

そして、どれほどのパフォーマンスを発揮するか。

今は、そこにものすごい可能性を感じている。



痛みを感じる時間より、自分を生きることの喜びを感じる時間を増やしていこう



今私は、【みんなのスピリチュアルケア】と題して、オワマル研究所のHPに連載を書いている。


「スピリチュアルケア」という大切なテーマに対して、自分の考えでまとめるというチャレンジだ。



このプロセスが、私にとってスピリチュアルケアになっている。

書くほどに癒される。

書くほどに、私はもっと私を大切にしたいと思えるようになる。



痛みを感じ続けて生きる人生より、

痛みから解放された世界で、喜びの中で生きる時間を増やしたいから。




痛みの中に自分を置き続けるのはもうやめよう。

痛みから自分を解放し、心地よさの中で生きていこう。


自分に自分で◯を送ろう!



この記事たちが

あなたにとってのスピリチュアルケアに繋がったら嬉しいです。


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