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セブンスター。

プロレスに、アントニオ猪木さんに狂っていた(今も)

負けたらダメだ!ってわかっていても。

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この『バイブル』を読んでいても。

こんな僕でも、不登校しようかな?って時が ありました。

中学時代。

親友だった同級生が、急にムシをしだしたんです。

仲間揃って。

あれだけ仲良くプロレス話して、登下校してたのに・・・。

悩んでいたのを、いち早く察したのは、亡くなった兄ちゃんでした。

「どうしたんや?」

僕は、ありのままの亊を 伝えました。

その日は「そうか・・・」との 返事だけでした。

次の日。

僕が、学校行こうか迷ってる時に。

本当ならば、仕事に行ってるはずの兄ちゃんが。

「後ろに乗れ!」と、兄ちゃんのバイク。

XJ400に、乗せられました。

兄ちゃんは、ゴッツイスピードで、中学校の校庭の中まで、入っていきました。

バイクを、思いっきり吹かして、明らかに学生を威嚇しています。

すると、大声で叫んだんです。

「俺の弟の、◯◯や~!仲良うしてくれよ!」

何事かと『わら半紙のトーナメント表』で書いた 担任が出てきました。

兄ちゃんと、先生は、初対面です。

「どうしたんや!?」

「先生ですか?弟を 守ってあげてください」

先生は、察したのでしょう。

「わかりました」

「お願いします」

兄ちゃんは、僕をバイクから降ろして。

「何かあったら、また 俺に言え。絶対にすぐに駆けつけるからな!」

と、言って、バイクを思いっきり吹かして、仕事に向かったのでした。

兄ちゃんは、中卒で父の工場で働いていました。

暴走族ではなかったけど、走り屋でした。

安全地帯とバリバリ伝説が大好きだった 兄ちゃん。

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工場と現場仕事で、真っ黒だった兄ちゃん。

それ以来、ムシは無くなりました。

ムシしていた同級生も、また 話しかけてくる様に なりました。

僕は、その子たちには、あまり 関わらない様にしましたけどね。

これ、実話なんです。

青春ドラマ みたいでしょ。

でも、兄ちゃんの行動が 嬉しかった。

学校から帰って、兄ちゃんが仕事から家に 帰ってきたら・・・。

セブンスターを吸いながら「兄ちゃん、カッコええやろ!」と、大笑いしてました。

今になって、思い出す。

兄ちゃんは、僕にとっての、身近な スーパースターだったんだって。

39歳で亡くなった。

兄ちゃんが咥えタバコで左官仕事してる時、僕は憧れてタバコ吸えないから、チョコレートタバコを咥えてセメント捏ねていたら、大笑いしてた。

「アホッ!」って。

とっくに、兄ちゃんの歳越えちゃったよ。

兄ちゃんのおかげで、プロレスが大好きになった。

本当に、ありがとう。

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もうすぐ、兄ちゃんの命日です。

あの時も、暑かった。

夏なんだな。

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