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異文化理解は問いを立てることから始まる

こんにちは、Shootです。

先日『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』という本を手に取りました。この本の中では筆者の体験談から日本と中国の社会、そして個人の考え方の違いが記されています。

この中に登場する具体例が非常にわかりやすく、自分が上手く言語化できていなかったことをまさに補完してくれるのではないか思いました。

というわけで、今回は本の中に登場する例を用いて考えをまとめていきます。


異文化理解の本当の意味とは

以前noteで『海外大学に進学して、最も価値があると感じたこと』という記事を書きました。

そこでは、留学を考えている学生に向けてわかりやすいようテーマをソフトスキルに焦点を当てたのですが、実はもう少し深掘りしたかった抽象的な概念がありました。

それが「異文化理解」です。この言葉自体はよく耳にするので馴染みのある方も多いと思います。しかし、文字通りに「異なる文化があることを知り、その特徴を理解すること」だけでは足らず、本質はまた別にあると僕は思っています。

それでは本質とは何か。

端的に言うと、僕らが「これは異文化である」と判断している基準そのものが主観的であるという事実を知り、受け入れることです。つまり、常識なんてものは存在せず、人は誰もが偏ったモノの見方をしているということを理解しなければなりません。その上で相手の考え方や価値観などを理解することが重要だと考えています。

この説明だけではいまいちピンとこないかと思います。これがどういうことか非常にわかりやすい例が本の中に登場するので紹介します。


日本人は「スジ」で考え、中国人は「量」で考える

例えば、あなたは中国企業に赴任しているとします。ある日食堂に向かうためオフィスの通路を通ろうとすると、中国人従業員4-5人がそのど真ん中に立ち止まり談笑をしていました。ただし、その通路の幅は広いため、人が通れないことはありません。

さて、あなたはこの状況にどのような感情を抱くでしょうか。直感的に「鬱陶しい」や「通路は人が通るためにある」と感じる人が多いのではないかと思います。しかしながら、この感覚はあくまでも日本人として1つのモノの見方であり、決して中国の人のマナー問題ではありません。

なぜなら、筆者曰く日本人は物事を「スジ」で考え、中国人は「量」で考えるという判断基準の違いが存在するからです。

上記の例では、通路は人が通るべきためにあるのであってそれを塞ぐことは正しくないという認識が僕ら日本人にはあると言います。確かに、比較的「物事はこうあるべき」というような善悪に重きを置く傾向があるかもしれません。

一方、中国人の考え方はこうです。「この通路は幅が広いため私たちが立ち話をしていても人が通るスペースが確保できている。したがって、問題はない。」

つまり、日本人が持つ「そもそも通路とは何か」という発想に対し、この際の中国人の判断基準は「自分たちの行動がどの程度相手に影響を及ぼすのか」なのです。

上記の例から物事に対する考え方や見方が変わると正義が変わりうるということがわかると思います。

「事実をより深く見ること」こそ今回noteで取り上げたい異文化理解のポイントでした。付け加えるならば、事実を表面的に捉えて「文化が違うから」と片付けるのではなく、その行動をとる理由を考えるということ。

この「なぜ」という疑問を持つことで本当の意味での異文化理解が深まり、多面的に物事を見ることができるのではないか。これがこのnoteの主張です。


適応と慣れ

『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』を読んで気が付いたことが2つあります。

1つは、僕はこの日本人特有の「スジ」で考える傾向が強かったこと。特に以前は「こうあるべきだ」という考えを持っており、自他共にそれに反する行動や発言には違和感を感じていました。いまだに根底はそうであると認識しています。

もう1つは、ドイツで生活する中で自然と身に付いたある変化。それは自分が理解できない言動に出会ったときにほぼ反射的に「なぜだろう」と考えることが増えたことです。

海外生活をする中で細かいことを含め、違和感を感じる機会は多くあると思います。僕もドイツへ渡った当初は特にそうでした。前述したように当時は無意識的に「スジ」で考える傾向が強くあったため、文化の違いを敏感に感じ取っていたと思います。

しかし、時間と共に最初感じていた違和感も次第に気にならなくなるものです。これを適応とか慣れと呼ぶのでしょう。

ここではあえて、この「適応」と「慣れ」を区別して考えます。違和感を持たなくなる点では結果的に同じですが、今の価値基準で相手を判断するのを慣れ、相手の文化や価値観を少しずつ受け入れていくことを適応と仮定してみます。

極論、思考停止で「相手はこうだから」と決めつけてしまうよりも「なるほど、こういう考え方もあるのか」と相手に寄り添う方が良いのは自明ですから、「適応を目指すために何をすれば良いのか」というのが次のテーマになります。


問いを立てること

結論から言うと、今回紹介した事例のように「判断基準の違いが存在する」というのを知っていることが最重要だと思います。

それによって次に「なぜ」と問いを立てる発想に繋がるからです。ここで相手の価値観を知ろうとアプローチする癖が付けば、出会った価値基準の数だけ異なる視点から物事を見ることができるのではないでしょうか。

それこそが世間で「留学することで視野が広がる」と言われる所以だと考えています。


Uberで営業活動

余談ですが、本書の中で個人的に興味深いと思ったあるエピソードについても触れたいと思います。

それは数年前、筆者が上海でUberを呼んだ時のこと。当時はアメリカUberと同様に自家用車を使ってサービス提供ができるなど政府の規制も厳しくなく、金色のキャデラックが筆者を迎えにきました。その車を運転していたのは30代の印刷会社を経営している社長だったそう。毎朝7〜10時はUberのドライバーとして働き、昼間は会社で仕事、余裕があればその後も再度ドライバーをするという話に筆者は創業社長は忙しく大変だなと思っていました。すると彼は「お金を稼ぐためにUberでドライバーをしているわけではない」と話を続けます。

彼の話を要約すると、

Uberに限らず、スマホで呼ぶチャーター式送迎サービスには車のランクがあり、値段が異なる。豪華な車を選ぶのは経営者か企業幹部が多く、その人たちと話ができることはメリットである。中国の富裕層には個人経営の社長が多く、企業幹部でもビジネスに興味があると若者の創業ストーリーに乗ってくる。話が盛り上がると名刺をウチで作らないかと提案。この方法は非常に成功確率が高く、これまでに200件以上車内で受注に成功している。

つまり、Uberを使って効率の良い営業活動をしていたわけですが、車中で直接会話をし、最初に受注した名刺を高速で作り上げることで信頼も得られやすく、会社パンフレットや商品パッケージ、さらにはプロモーション企画イベントなどのクロスセルにも繋げていると言います。

このエピソードはあくまでも一例ですが、異文化理解を深め、対象に多角的なアプローチをすることで普段見えていなかったアイデアの着想方法を学べるかもしれません。


まとめ

「本当の意味での異文化理解は容易でない」というのが、この本を読んだ率直な感想でした。

僕はこれまで数年間の海外生活を経て、積極的に多くの異文化に触れてきました。そして、その異文化を持つ友人と多くの時間を過ごす中で、物事を違った視点から見ることに価値があると気が付くことができました。

この本を読んだことで本当の意味での異文化理解は容易でないことを再認識し、また、一方でその際に何が重要になるのか自分の経験から言語化するに至りました。

さらに、この意味での異文化理解を深めるという考え方は、外国の文化だけでなく異なる価値観や判断基準を持つ人を理解するためにも役立つのではないかとも思っています。

自分とは違った言動に出会った時には「なぜ」と問いを立てることを意識し、相手の価値観の理解に努め、考え方の幅を広く持てる人間になりたい。最後はそんな意思表明で締めくくりたいと思います。


それではまた!

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