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実母との同居ストレスを乗り越える【やれることを、やれる範囲で、一つずつ片付ける】

6年前から、70代の実母と同居している。
同居している、というか同居させてもらっている。

現在、住んでいる家は、母の家だ。約30年前に両親が有名ハウスメーカーで建てた4LDKの広い庭付きの家。母1人で住むには広すぎる。6年前、父が他界した際に、近所の貸家で暮らしていた私達一家との同居話が進んだのは、自然な流れだった。

幸い、私の実家での同居は、夫にとって苦ではなかったようだ。夫は2階の6畳部屋を個室として与えられている。もともと家事はしないので家の事に関心がない分、口を出すこともないので、もめるような事もない。家事はすべて母と私にやってもらい、家にいる時は、ほとんど2階の個室で自由に気楽に過ごしている。しかも同居で経済的に助かっている分、お金も余裕がある(だからといって浪費しがちなのが困るが)。勤務先も近い。
夫にとって、今の暮らしはラクで心地よいのだ。

一方、私の方は…思ったより居心地が悪い。
私は当然、家事をする。片付け・掃除やインテリアにもうるさい方かもしれない。同居を始めた当初、片付けの事で母とかなり揉めた。要らない物(と私は思うが母はそう思っていない)がたくさん置いてあることが我慢できなかったし、私達の生活に母が口を出してくるのも気に入らなかった。他にも不満なことがいっぱいあって、声を荒げるようなケンカも何度かした。同居を始めてから母親に対してイライラするようになった。別々に暮らしていた時はこんなことなかったのに…。

母と同居するずっと前、もし自分が将来、親と同居することになったらどんなだろうか?と考えたことがある。正直、父とは2度と一緒に暮らしたくなかった。他界した父の悪口を言いたくはないが、私は小学生高学年の頃から、ずっと父親のことが嫌いだった。だから両親との同居は無理だったし、父も嫌だっただろう。でも母親のことは嫌いではなかった。父親とは暮らせないが、母親だけだったら一緒に暮らしてもいいな、と思っていた。

でも実際に同居を始めてみると、そうではなかった。
母親と一緒に暮らすのは、シンドい。
どうしてシンドイのか?なぜこんなにも母親にイライラするのか?
自分でもよく分からなくなってきたので、ここで整理してみる。

母は、インテリアや片付け等のセンスがなく、掃除も下手。モノも多い。父もため込むタイプだった。外からみた家はわりと立派なのに、家の中はヒドかった。私は「美しい素敵な暮らし」に憧れている。同居当初から、ケンカしながら無理やり片付けてきた。たくさんの要らないモノを捨てさせてもらった。壁紙・トイレもリフォームした。費用は私が払った。かなりマシになったが、まだ変えたい部分はたくさんある。でも母の家なので、私の勝手にはできないし、お金もかかる。
これまでも、ひとつずつ母親と交渉しながら変えてきた。例えば、古い棚を捨てて、新しい棚にして良いか?(新しい家具はもちろん私のお金で買う)など。その交渉自体が面倒だ。ケンカに発展することも多々あったので、またケンカになるかも…と思うと、なかなか言い出せない。

古い食器も本当は捨てたい。
家に食器がいっぱいありすぎる。しかも趣味じゃない器。捨ててほしいなどと言うと母は絶対に嫌がるだろう。これ以上、食器を増やしたくもないので(棚のスペースも空いてない)自分の好みの食器を買うこともできない。私はミニマリスト志向で、食器はお気に入りのものだけ少なく持つのがいいと思っている。なのに、母は時々、新しい食器をまた買ってきては棚に詰め込む。「もう食器を買うのはやめてほしい」と言いたいけど言えない。
食器さえも、自分の好きなように出来ない。

同居ストレスはこれだけではない。
母も私も家事をする。キッチンを使う時間が重なったりすると、どちらかが譲らないといけない。洗濯のタイミングも難しい。母がいると家事さえも自分のペースで出来ない事がある。母の存在が鬱陶しいと感じてしまう。

そもそも、私と母のコミュニケーションが上手くいっていれば、こんな問題は起きないのだろう。同居するようになってから、私と母の関係はかなり悪化した。同居して最初の1年くらいは、片付けの事などで、しょっちゅうケンカしていた。でも、ケンカしていた頃はまだ良かったのかもしれない。だんだん母と距離を置くようになった。ケンカも嫌だし、話すとイライラしてしまうので、母とはコミュニケーションを取らなくなった。

私が悪いのだと思う。母には申し訳ないと感じている。
それでも母とは関わりたくないのだ。一緒にいるとイライラしてしまうのだ。なぜこんなにもイライラしてしまうのか?自分でもよく分からない。
母の問題ではない、と分かっている。母は完璧な人間ではないが、悪い人でもない。これまでにお世話になった恩もたくさんある。
私が変われば良いのだ。母親は変えられない。

そもそも何が問題なのか?
同居がそんなにストレスなのか?
キッチンを自分の好きなように使えない事がそんなに辛いのか?
好きな食器を使えないのが苦しいのか?
「美しい素敵な暮らし」が出来ないから?
それとも母親に監視されているようで嫌なのか?

同居のデメリットばかり注目してしまうと「同居はやめよう」という発想になる。この5〜6年、私はずっとこの事で悩んできた。自分が本当に幸せに生きるためには「母とは別々に暮らすべきなのでは?」
「この家を出ないと幸せに生きられない」そんな風に考えていた。
それでも、同居の経済的メリットは大きいし、母、夫、子供にとっても、同居の方が幸せだと思う。結局、お金をかけてまで家を出るほどの理由もなく、不満を抱えながらも同居を続けてきた。

「同居をやめて家を出るべきか?」
この考え方自体が間違っていたのかもしれない。
先日、そう気付かされることがあった。

それは樺沢紫苑先生の著作「言語化の魔力」を読み返していた時。
この本の第1章に、こう書いてあった。
『悩みを解消するために、根本的な原因を取り除く必要は、これっぽっちもない。原因は保留にしたまま、やれることを、やれる範囲で、一つずつ片付けることが重要』
『悩みを「解決」するな。心のなかのストレス、モヤモヤ、不安を取り除いて「解消」すること』

例えば職場の上司との人間関係で悩んでいた場合。その悩みを解決しようとすると「仕事をやめるしかない」という決断に追い込まれてしまう。
白か黒か。0か100か。極端な思考になってしまうのだ。
樺沢先生は、ここで悩みを「解決」しようとせず、少しずつ「解消」する対処法を勧められている。例えば、「アフター5に楽しいことをする」「スポーツジムに行って汗を流す」「職場の上司以外の人との関係性を強める」など。

私も自分が「同居を続けるか、同居をやめるか」白か黒か、0か100か、の思考をしてしまっていたことに気がついた。
同居ストレスに対処する方法は、「同居をやめる」以外にも、たくさんあるのでは?その対処法をいろいろやってみてから考えてもいいのでは?

「言語化の魔力」を読み進めると、こう書いてあった。
『コントロール感でストレスは減る』
「仕事の裁量度」とも言う。自分で工夫して好きなように仕事をする。仕事をコントロールできている、という感覚があれば、仕事のストレスは減り気分が楽になるらしい。自分がコントロールしている、というコントロール感を持って、計画的に楽しく家事をしてみよう。

『やれることを、やれる範囲でやっていく』
これだ。今の私に必要な言葉。
「同居だから自由にできない」ことばかりではない。同居でも、自由にやれることは山ほどある。例えば「掃除」。先述した通り、母は掃除が苦手なのだから、私が掃除することに対しては何の問題もないし、むしろ助かっているはずだ。私は家の中(母の部屋を除いて)を、コントロール感を持って、自由に好きなように掃除できる。書きながら思い出したが、最近、浴室のカビの汚れが気になっていたが掃除できていない。「美しい素敵な暮らし」をするためには、食器を捨てることよりも、浴室の掃除を先にするべきでは?

同居のメリットも改めて書き出してみる。
同居によって、お金の余裕が出来たのは、大変ありがたい。
自分の個室があるのも、大変ありがたい。
仕事と家庭を両立しながらも、私には自由時間がたっぷりある。
これは同居のおかげだ。
私が仕事の日は、母が夕食を作ってくれる。
だから今の仕事を続けてこれた。
読書する時間もたっぷりある。
noteでアウトプットする時間もある。
ゆっくり買い物を楽しむことも出来る。
1人で遊びに出かけることも出来る。
そうやって考えると、母に感謝するしかないではないか。
イライラしている場合ではない。
同居しながら「幸せを感じる」方法はいくらでもある気がしてきた。

同居をやめるべきか?という考えは、ひとまず置いといて
これからも同居を続けながら、
やれることを、やれる範囲で、一つずつやっていこう。










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