仏教信者、仏教思考、デザイナー。「人間をやめる生き方」を目指し邁進中。デザイナーであり…

仏教信者、仏教思考、デザイナー。「人間をやめる生き方」を目指し邁進中。デザイナーでありながら創造することをやめたいので、いずれデザイナーも辞めたい。(生活があるのでまだ辞めれない)

最近の記事

共同体と「無我」 

仏教の「無我」の考え方を、共同体と実存の関係からまとめてみたいと思います。「人間をやめる」うえで、無我は非常に重要な考え方だと思います。字面的にも、「無我(我が無い)」と「人間をやめる」は、同じ方向を向いている感覚があります。 では本題に入りますが、そもそも共同体とは何でしょうか。 共同体の意味をwikipediaから拝借すると、「同じ地域に居住して利害を共にし、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている人々の集まり(社会)のこと」とあります。およそ7世紀までの人間の

    • 「創造」苦からの解放

      人は、安息の状態を本能的に維持しようとします。それはホメオスタシス(恒常性)です。人間の行動の基本原理は「この生命を可能な限り長く、良い状態で維持する」という欲望に条件づけられてるように思います。 その根源的欲望から、人はさまざまなものを創造してきました。 暖や灯りを得るための「火(熱源)」、狩猟のための「武器」、助け合うための「共同体(人間関係)」、移動のための「乗り物」…人類の歴史を遡れば、無数の創造があります。これらは人間の暮らしをより良くし、「生命を可能な限り長く

      • 「創造」と仏教的思考

        稀代の大天才である仏陀釈迦は、縁起…無明(無知)が因、縁となって業(行為)が生まれ、その業が世間を作っていると説きます。これは、ひとつ前の記事に書いた「人間の欲」から「創造」が生まれ、この社会(世間)を作っているということと構造を同じくします。 人間を人間たらしめている「創造」を、仏教的解釈を加え敷衍すると「因縁を生む行為(縁起性)」と捉えることができるのではないでしょうか。「因」とは原因要素、「縁」とは条件づけというほどの意で、原因が縁(条件)づけられて、事象が生まれる。

        • 「創造」と人間

          NOSIGNER 太刀川英輔さんの「進化思考――生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」(海士の風)」を読みました。非常に面白い本でした。 私はこの本に「仏教」を非常に感じました。太刀川英輔さん自身が尊敬するデザイナーに空海を挙げていらっしゃったので、少なからず影響があるのでしょうか… さてこの記事では、「創造性=人間らしさ」という式を検証していきたいと思います。「創造」というのは、人間らしさの重要な要素だと私は考えるからです。ただ私は、これをやめる生き方を推奨しています。

        共同体と「無我」 

          釈迦「人間をやめなさい」

          いえいえ、もちろんどこの仏教経典をみても仏陀釈迦が「人間をやめろ」といったなんて記されていませんが、私にはこう言っているように聞こえるのです。※あくまで主観です。 私は「人間のやめかた」について記していきます。この考え方は、この現代においてこそ必要な考え方だと信じているからです。 この「人間のやめかた」は仏教思考から生まれたものなので、仏教について書くことが多くなります。「いまさら仏教?」と思うかもしれませんが、興味のない方も是非お付き合いいただければと思います。今回は、

          釈迦「人間をやめなさい」

          苦しいのなら人間をやめる

          「人間をやめる」 この言葉からは、ネガティブな印象を受ける方がほとんどかと思います。しかしこの言葉の意図するところは、決して「ぶっ飛んで生きろ」とか、「社会的倫理に逆らって生きろ」とか、「命を終わらせろ」などということではありません。自分の中の「人間らしさ」に気づき、冷静に観察して、止めるという意です。私は、この人間をやめる生き方が、次世代に求められる生き方であると真剣に考えています。 昨今、SNSや本屋の自己啓発本コーナーには、次のような言葉が散見されます。「やりたくな

          苦しいのなら人間をやめる