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釈迦「人間をやめなさい」

いえいえ、もちろんどこの仏教経典をみても仏陀釈迦が「人間をやめろ」といったなんて記されていませんが、私にはこう言っているように聞こえるのです。※あくまで主観です。

私は「人間のやめかた」について記していきます。この考え方は、この現代においてこそ必要な考え方だと信じているからです。

この「人間のやめかた」は仏教思考から生まれたものなので、仏教について書くことが多くなります。「いまさら仏教?」と思うかもしれませんが、興味のない方も是非お付き合いいただければと思います。今回は、仏教の基本的な教理をざっくり記述するとともに、今後の記事を書きやすくする目的で、仏陀釈迦が「人間をやめなさい」と言っていたと、あえて解釈します。

早速ですが、仏教(原始仏教)の基本的な教理は「①縁起」「②無常」「③無我」の3つです。(だと言っても、差し支えないと思います)

「①縁起」は縁りて生起する、この世の事象は、条件によって生じるというほどの意です。仏教的には、何の条件も無しに、いきなり事象が生じることは無いという立場をとっています。

「②無常」は、この世の事象は常住、永遠であるものは一つもなく、生滅するものであるというほどの意味です。「諸行無常」「無常観」と、わりとなじみのある言葉だと思います。

「③無我」は別の時に書きたいと思いますが、文字通りに解釈すると、永続する我は無いということです。

この3つの考え方をふまえると、人生そのものが「苦」であるという考え方ができます。どういうことかというと、この世は「無常」であり、生まれたものは必ず消滅するというルールは、私たち人間もまた例外ではありません。生まれた時点で「老死」という、逃れることのできない大いなる苦を背負います。そして、生きている間は様々な苦を必ず受けます。大切なものを失ったり、怪我や病気をしたり…あらゆる精神的・肉体的苦痛があります。

「いやいや、人生には楽しいことや嬉しいこともあるじゃない!」と思うかもしれません。あなたが考える理想の人生を歩むことが出来れば、幸せで満ち足りたまま死を迎えられるのではないか。ただ、楽しいことや嬉しいことにおいても、この「無常」のルールを逃れることはできません。幸せに感じることも、いつかは必ず潰えて無くなり、「死」という絶対苦に集束します。幸せな状態に心が奪われれば、それを失うことを憂いて苦しみ、失えばより苦しみ、手に入らないことにも苦しむでしょう。「楽」は、常に苦しみとセットです。人生が幸せであればあるほど、いつか必ず訪れる「死」の苦しみが色濃く強調されていきます。

それを看破した人類史上最高の大天才・釈迦はこのように提案するのです。―”人間をやめなさい”。※重ねて注記しますが、仏典には無い言葉です。

仏教に対する誤った認識ととられることを恐れずに、私なりの解釈を付け加えて敷衍すると、「私たちが人間やってる限り、一切皆苦なんだから、苦からは逃れられないよ。だから人間やめなさい。人間やめたら苦なくなるよ。」ということです。そしてこの考え方は、2500年以上経った現代においても、多くの人の生き方を支えています。

ただし、仏教はニヒリズムでも消極的でもありません。この点は結構重要です。

ここでいうところの、人間を「やめなさい」とは、人間らしい生き方を「やめなさい」ということです。では人間らしい生き方とは何か。次の記事で書きたいと思います。

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