空過と治癒
昨日書いたことに稍々惟うことがあったので記しておこうと思う。(→憂鬱と創作)
私は自分が不幸なるところに自分の独自性、存在価値を見出す性向があるので、憂鬱な時ほど創造性が働く。というのが昨日の投稿の大筋である。
これが私に固有なものなのか、普遍的なものなのかは判らないが、憂鬱が創造の起因であることは私にとっては明確である。
つまり、憂鬱は創造の必要条件である。集合論(?)的に表せば、「憂鬱→創造」となる。
ならば、その対偶「¬創造→¬憂鬱」もまた真であり、即ち、創造を働かせなければ憂鬱に陥らないのである。
したがって、憂鬱を治したいと欲さば、その治癒方法はひたすら思考を停止し、空虚に日を過ごすことなのだ。
結局のにところ、何を言いたいのかというと、今日はただ徒に一日を過ごすことが出来た。実際にこの文章に創造性などはなく、浅はかな理詰めで済ませていることが、憂鬱の解消法が空虚であることの証明になっているのではなかろうか。
【ルビ】
稍々 やや
惟う おもう
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