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【好きな事を仕事にしたはずなのに】服作りでファッションが嫌になっちゃった話とそれから

一生懸命に努力した結果、好きな事を仕事にできたけれど、何かしこりの取れない違和感がずっと漂う。モヤモヤを抱えながらその正体が不明瞭なまま「まぁこんなもんか」と折り合いをつけて仕方なく生活している。1度は考えた事はあるのではないでしょうか。

社会人7年目にして見えてきた視点を共有して、”好きな事を仕事にしたが故に起こった社会と自身のズレ”のようなものを解消する為に書いた体験記。

結果的に顔も知らない誰かの為になっていれば、この文章を綴る意味が生まれてくるのだと信じたいです。

(本題からだと1500字くらいの文字数なので、サクッと読めます。ですが最初から見てもらえると嬉しいです)


はじめに


どうも1人称が僕や私というのが苦手で「自分は〜」と普段の会話などでも使ってしまうパタンナーの島村です。

自分は、ファッション業界の中でも裏方的な職業であるパタンナーという主に服の型紙を設計するお仕事をさせてもらっています。なんだかんだで7年目に突入しました。


この記事は自分がこれまで経験した事を踏まえて、【自身の気持ちの言語化】【未来の自分に向けた今の生身の想いを綴り、ブレないで生きる】ことを目的にした文章体系です。

ファッション業界で働いている方や真摯にものづくりをなされている方々には、何か共感して頂くこともきっとあるのではないかと思います。また、これからファッション業界へ働きたい、パタンナーやデザイナーに興味があるという方にも参考になるような生きた情報を届けたいとも考えていますので、宜しければ是非一読して頂ければ幸いです。


パタンナー=服の設計士

パタンナー(服を設計する人)になるまで

【18歳】

高校3年生になって間も無く、1枚の進路希望調査の用紙が配布されました。家から近くて、行けそうな偏差値の理数系だったからという安易な理由で高校選択した自分にはとても見たくない現実のひとつでした。(県内に2つ理数系がありましたが、ひとつは偏差値70以上のいわゆる頭の良い人達が行く高校で、自分では行ける訳が無いと決め付けていました。)

そして、その用紙から「お前はどこに行くんだい?みんな大学行くから勿論君も行くよね?」と言わんばかりの緊張感と現実的な現実(こんな立場の人種はこんな職業になって、こんな暮らしを経て死んでいき、また同じような人種が再生産される現実的な見えないレール)を突きつけさせられた自分は、抗いたいけど何をやったら良いか分からない、考えたくないという自己無力感に苛まれていました。

進路希望調査の用紙に記載したのが、ファッション業界で仕事をしたいという旨でした。キラキラした世界で華やかな印象があり、憧れがありました。そして絵を描く事が好きだからデザイナーになりたいなぁと、漠然と考えていました。周囲には、「大学でやりたい事がないから行かないの!」と自分を肯定するような言葉で心を保っていたのかもしれません。 

なんともまぁ分かりやすい人間かと…今になって思うのです。18年間しか生きていない未熟な高校生にとって、未来を明るい方向に向かって進むには、外的要因で形成されたイメージを手探りにやっていくしかなかったのだと。 

そうして、アパレル業界へ進むべくファッションの専門学校に入学。服のことを学び、服のことを考える生活に片足を突っ込むようになるのです。※因みにこの時はパタンナーという職業について何も把握していませんでした…!

【19歳〜21歳】

専門学校へ入学してからは、1から衣服のことを学びデザイン画を描いたり、手縫いやミシン縫製をしてポケットなどの部分縫いと呼ばれる作業をしたりしていました。ひとつの事を決めてそれに従って行動する事は、選択の回数を減らせるからという理由もあり苦手ではありませんでした。というよりも楽という表現が正しいのだと思います。

そうして、モードの御三家と呼ばれるギャルソン、ヨウジ、イッセイミヤケなど日本のデザイナーズブランドが与えた社会に対するインパクトに感銘してやはりデザイナーはかっこいいな、自分もなりたいなという想いは日に日に増していくのでした。

デザイナーになるにはどうしたら良いか…そもそもデザイナーって何をしたらなれるのか?…そんな事を現実的に頭で考えるとある事に気がつくのです。



あれ…デザイナーになれるのは
ほんの一握りじゃん…!!!

アパレルの職業を調べていくと、一般的に技術職と呼ばれるデザイナーやパタンナーは新卒採用の枠が少なく、ある程度経験を積んだ人が別の会社へ転職する中途採用がほとんどだったのです。1企業、平均すると毎年1人か2人取るか取らないかという現実でした。リスク回避思考の現実主義者には起業してブランドを作るなどというという選択肢は当然ありません。しかしデザイナーになりたいと意気込んでここにきてしまった訳です。

そうして全国の服飾学生のデザイナーの卵が少ない枠を奪い合うのです。彼らは学生時代に実績を残そうと様々なコンテストに応募します。自分も何度か応募しましたが結果は残せず…。色々なアイデアを形にしたセンスある作品群に圧倒され挫折します。

今振り返ると当然の結果ではあったのだと思います。選ばれる作品は作り込まれたコンセプトでどれもド派手で勢いのあるユニークな服ばかり。一方、自分が考えていたのは、形而上学的で分かりにくく地味なものばかりだったのです。そしてずば抜けて絵が上手いという訳でもありませんでした。

このままでは本格的にまずいぞ…就職出来ないかも…と脳裏によぎる最悪な展開を避けまいと試行錯誤していました。そんな生活の中、1年目の終わりに担任の先生からある事をアドバイスされました。

「島村君は”絶対”パタンナーの方が良いよ〜」
「パタンナーになりなよ〜」

こう何度も言われるのです。最初は、うーん…でもデザイナーに憧れているしなぁと悩んでいましたが、徐々に時間が進むにつれて考え方を変えていきます。

確かに、几帳面で細かい事が好きで地味なことでも内容が深いと感動したりする性格はパタンナーの適正そのものでした。

「よし!パタンナーにも視野を広げて学んでいこう!」そう決意し2年生へと階段を進めていくのです。

とは言え、パタンナーも技術職のひとつであり、デザイナー同様に限られた枠である事は変わりありません。やはり、その少ない椅子に座る為には何か他者に凄いと思ってもらえるような事をしないと…

具体的にした行動した事は以下の通りです。

•パターンメイキング検定1級(就活後に試験日があり、受かってないので取得見込みと書きました、キツイ)
•ファッション色彩検定2級
•ファッションビジネス検定2級
•TOEIC:650(800を目指していましたが、難しくてすぐに挫折)

これらは履歴書で努力の出来る人だと認識してもらう為の材料でしかありません。
あとは、デザイン画を毎日描くという事。

時間にして放課後と朝の時間で毎日3時間ほど。つまり、学業以外に毎日3時間使う事でパタンナーになれた人がいるという事実ができました。そして2年生、3年生はあっという間に過ぎていきました。以降の専門学生時代の出来事は大変有意義なものでしたが、この記事の趣旨とは少しズレていきますのでここからは割愛。

専門学生時代は、どうすればパタンナーになれるだろうという思考で毎日を過ごしたこと、運(インターンでの縁など)が良かったことの結果として無事に”好きな事を仕事”にする事が出来ました。


自分が関わった服で服好きを増やそう【本題】


【22歳〜26歳】

一緒に働きたいと少なからず思ってくれた方々に拾ってもらえたことで、パタンナー人生のスタート位置に立つ事が出来ました。学生時代に洋服を着る事でワクワクするような高揚感を得た事とメンズ服の細かくて複雑な構造と造形美に感動した経験から、自分が作った洋服を通じて服好きを増やしたいという想いで入社した事を鮮明に覚えています。

当時パタンナーになることが至上命題であり、その為には出来る事を何でもやろうと決意していた自分がやっとの事でなれたパタンナーでしたから、沢山知らない事を覚えようと熱意と元気な体力でおすおすと仕事をしていました。まずは仕事の全体像を把握して分からない事を潰すように一つ一つ覚える事に必死でした。

毎日5:58の湘南新宿ラインの始発で通い、(あまり早く会社に来ないでねと言われてた自分は)近くのコンビニで2時間ほど会社で教えてもらった事の復習や本を読んだりしてから出勤するというルーティン。


パタンナー7年目の今でも自分が見えていない景色はまだまだありますが、2年経つとぼんやりとしていた視界がうっすらと輪郭を帯び、同時に心の中でモヤモヤが生じる事がありました。そのモヤモヤとは、服の供給過多が前提として先立つモノづくりによって引き起こされる様々な問題が、やりたい事(意志のようなもの)を堰き止めてしまっている状況でした。※その問題というのは別の記事でひとつひとつ書く予定です。


不要普及の言葉の重み


さらに追い討ちをかけるように、2020年から始まった新型コロナウイルスによって人々の行動規制がなされました。不要普及という人の解釈によってもどこまでが当てはまるのかはそれぞれですが、あの状況下ではまさに過剰供給の衣服は、その強烈な4文字に当てはまっていたと自分は思うのです。

”文字を認識するようになると憂いを患う”と書いて識字憂患という言葉があります。人は何か物事の色々な側面を知れば知るほど悩みが増えることを意味しています。
まさにこの識字憂患なマニアック人間(好きな事を仕事にした人間)が直接自分ごととして経験される負の出来事に翻弄され沼から抜け出せなくなってしまう現象が起きてしまっているのです。

「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」

【27歳〜(現在)】

しかし、識字憂患は同時にこうも言い換えられます。


形のないモヤモヤを言語化して
構造的に問題を説明する事ができる


人は人間の認識の仕組みを通してのみ物事を理解する(=物自体を直接把握することは出来ない)と、ある哲学者は、言いました。そしてその理解した物事をどう捉えるかはさまざまな視点で変わってきます。

〈人間の認識に従った対象をワクワクに還元したい〉
未来をより善い方向に進んでいく為の視点を持つこと。そしてその視点を共有すること。
これらを自分はやっていきたいのです。

だから、このnoteを使い、心が晴れる作り手としての新しい方法論を説明していきます。

多分ですが、アパレル構造の適正化には下記の事が必要なのだと考えています。
●さらに不況に陥る事でのアパレル全体の減少
●洋服を大切に長く扱う文化を作る

どちらかというと作り手でいる限り、後者であり続けたいです。作り手としての新しい方法論が、結果的に洋服を大切に長く扱う文化を作る事に寄与出来るよう、これからさまざまな視点を共有していきます。


これは、尊敬する方々が遺した言葉や知恵を手繰り寄せて循環させていく次の新しい萌芽なのです。


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ここまで読んで下さりありがとうございました😊
今後の投稿も見て頂けると嬉しいです。

p.s.好奇心と自己効力感をもって試行錯誤を繰り返し、やめない事が何事にも大切なんでしょうかね、









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