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この1年、noteを書けなかった

この1年、noteを書けなかった。
けれど 久しぶりに書きたくなった。

それは劇場アニメ「ルックバック」を観に行ったからという安直な理由。(知らない人のために書くと漫画や美術という創作に向き合う人の話)

思いついた時に発作的にnoteを書くだけの私は、創作をする人、なかでも「創作し続けてきた人」をものすごく尊敬している。惹かれるようにできている。

我が家の創作者に「書きたくなったけど、書こうか迷う〜」って言ったら「意欲がある時に書き出した方がいいよ。どうせ書き終わらないんだから」と言われた。確かに。

私より「黒田」が出てくるの、なんなん。笑


振り返ると 最後にまともに noteを書いたのが 1年ちょっと前。書けなかった理由は、いくつかあって

充実しすぎた前半

この1年の前半は 怒涛の日々を送っていた。

シェアハウスがスタートして、ホームステイの受け入れも開始して、民泊の届出もして、レンタルスペースも登録して、週3回の住みびらき(地域へのリビング開放)や 子ども食堂も始めた。

ひたすらイベントを企画して実行して、毎月チラシを作っては近所にポスティング。並行して ミュージカルに出たり、行政書士の勉強、そして合格。たくさんの人を我が家で迎え、たくさんの人を送り出した。

それはそれは 充実していた。


「その原動力はどこから?」といろんな人から質問された。知らん、調子のいい時の私はいつもこうだ。そして基本的には調子がいい。

(ちなみに、この問いにガチレスすると、ヘビーな幼少期・思春期と向き合うことから逃げるために タスク詰め込みまくって高速処理する生活を続けていたから、おかげで容量が増えた、だと思う)

「應武の処理能力がやばい」と住人は目を回していた。
やること、やること、やること、溢れすぎていて noteを書いている暇なんて1mmもなかった。

活力を失った後半

後半は それに比べると何もしていない。今もなお。
2024年4月、出産以来2年ぶりに一人旅に行かせてもらった。それ以来、それまでの活力が嘘だったかのように何も生み出さなくなった。

それには しっかり要因があるから、「人生にはそんなタイミングもあるよね」と、のらりくらりと過ごすことに 自分で自分に許可を出せている。

5年前の私だったら「アウトプットのない自分には価値がない」と自己肯定感を爆下げしていただろうから、大人になったなぁ と調子の悪い 今、強く実感している。

うまく行っている時にメンタルが安定するのは当然で、何もしていない時、うまく行かない時にこそ、本当の自分が見える。

何もできていない自分を 不用意に追い詰めないようになったこと、これさえやればOKというハードルをうまく調整できるようになったこと、あえて意識的に 気を紛らわせながら時を待てるようになったこと、そんなところに自分が培いなおすことのできた「自己肯定感」を感じる。

(もちろん、そんな LOW運転の私を優しく見守ってくれている 我が家の住人のサポートが偉大なおかげでもある)

でも そんな中でも ずーっと ぼんやりnoteは書きたいなぁと思っていた。正直、書きたいことはたくさんあった。小さな話から大きな話まで。でも 時間を取れないほど忙しかった前半と、書く気力もない後半だったから、の他にも理由はあって。

テレビに出た

8ヶ月間の密着取材の末、2024年6月に 私と、私のシェアハウスが45分のドキュメンタリーになって 放送された。根強いファンがいる人気番組、フジテレビ「ザ・ノンフィクション」にて。

その結果、私の経歴のまとめサイトができた。(たとえば こんな感じ。しっかり情報発信していた甲斐あって、変な憶測なく ほぼ正確なので よしとする。笑)

そして 知らない人から「私に会いたい」という連絡も増えた。シェアハウスの見学や 住みびらきに遊びにきた人から「ザ・ノンフィクション見ました〜」と言われることにも すっかり慣れた。

もちろん しっかり批判も受けた。あんまり見ないようにしているので全貌は知らないけれど。我が家に滞在したことのない知らない人から、誹謗中傷の口コミもいただいた。(そのなかで一番面白かったのは「洗濯機が故障している」ちゃんと動いてるよ〜! Googleに対応していただいて 今は削除されている。)

あわよくば 開示請求して 少額訴訟してお小遣いゲットできないかな、と目論んでいたので、そこまでの人格否定には直面できなくて残念。エゴサしたら見つかるかもだけど、わざわざ メンタル食らいにいくほど マゾではない 笑

(一応、補足しておくと法学部卒で 民事訴訟のゼミで模擬裁判をしていたこともあって、いつか裁判をしたいなという思いが ずっとあっただけ。揉め事、トラブルなんて ないに越したことないよ)


そうして「私のことを一方的に知っている人」が増えた。といっても そんなに たくさんいるわけじゃないと思うけれど。実際 どれくらいいるかは もうよくわからない。

その中には 当然のごとく、私のことをよく思っている人もいれば、あまりよく思っていない人もいる。

その後者の人に 「何か変なことを書いたら 揚げ足を取られるんじゃないか」という漠然とした不安が生まれてしまったのは避けようもない事実。

んまぁ その批判を受けてでも「素敵な出逢いがあったらいいな」とか「自分の生き方が他の誰かの選択肢になれたら」とか「この子育てしにくい社会が少しでも変わったら」とか そんな想いが強かったから 取材をうけたし、

現に 素敵な出逢いが 既にたくさんあって、よかったことの方が多いから全く後悔はしていない。

けれど、今まで以上に発言・発信には慎重にならないといけないなと思うようには なった。


過去を書くのをやめた

あとは、私の中で書く内容を変えようと思ったのも大きい。

今まで書いてきたのは基本的に「育った家族との過去」が多かった。

母親から心理的虐待を受けてきたこと貧乏すぎてゴミ捨て場から参考書を拾ったこと親の離婚届を出したこと母と姉と違う姓を選んだこと義実家が羨ましくて泣いたこと嫌悪を乗り越えて家族写真を撮ったこと

19歳までずっと蓋をしてきた家族との問題に向き合うため、自分の気持ちに整理をつけるため、たくさん書いた。怒り、悲しみ、憎しみ、悔しさ、ドロドロとした感情を noteにぶつけてきた。そのおかげで私は救われてきた。

それに付随して 私以外の他の人も同時に救われた(らしい)。私が 過去の経験や感情を吐き出すことで、「自分だけじゃない」と勇気がわいたり、元気になったり、向き合うきっかけになったり。

たくさん書いてきて よかったな、と思う。


でも 家族を否定してきたのも事実で。

私がnoteを書くことは 「あなたの子育ては失敗ですよ」って全世界に発信していることで。自分を正当化するために、家族を傷つけている、という自覚はあった。特に母。でも そうされるに足るほど あなたは 私に悪いことをしてきたでしょ、とも思っていた。


育った環境は悪かった、よくなかった、それは変えられない。でも、その経験のおかげで今の私がある。それも事実で。


19歳までの私は「あなたの子育ては失敗ですよ」と本気で思っていた。けれど28歳の私は、「おかげで色々経験できたから、最終的には 成功ですよ」とも思っている。

めちゃめちゃいいネタこさえられたし、おかげで身につけられた性格もスキルも とても気に入ってるし、生まれ変わっても もう一度、好きな人生を選ぶことができたとしても、この人生を選ぶと思う。

だから、去年3月に書いた 家族写真のnoteを最後に、育った家族のことを「悪く」書くことからは 卒業しよう、と密かに決めていた。いつまでも過去のことを書いていると、いつまでも そこにしがみついているみたいだしね。


もちろんこれからも 必要に応じて過去のことをエピソードとして書いていくと思う。でも あえて悪く書くことはしないと思う。


上記の 家族写真のnoteの末尾で こんなことを書いた。

さて、これからは、私の家族の時代。

NASAの定義によると、「家族」はこの3種類だけ。

①配偶者
②子ども
③子どもの配偶者

父親も、母親も、兄も、妹も、祖父も、最優先される「直系家族」ではなく、拡大家族に分類されるそう。しかも、拡大家族には「親友」も含まれているらしく、NASAにとっては 両親は親友と同類だと言います。

つまり、血の繋がりではなく、「自分で選んだ相手」こそが、家族だという定義をしているのです。


自分で選んだ夫と、生まれてきてくれた我が子、新しい家族 3人で前を向いて 明るく楽しく生きて行きたいと思います。

「自分で選んだ相手」こそが、家族。
だから そういう意味では 今の私にとっての家族は、夫と子供と、そして一緒に暮らしているシェアハウスの仲間たち。


過去のことを振り返って書くんじゃなくて、「いま」だとか「これから」だとかを書こうと思うようになって、初めて渦中の想いを書きとめたのが このnote。

2023年9月に子育てシェアハウスを始めて、虐待だとか、DVだとか、貧困だとか、母子/父子家庭だとか、仲が悪い夫婦、余裕のない子育て家庭、たくさんの人の「しんどい」が私の元に届くようになって、私もしんどくなっちゃった時に書いた 叫びのようなnote。

「過去の事実」だとか「乗り越えた過去」だとかを書くのは容易い。思い出して その時の感情とともに時系列に並べていけば いいだけだから。思い出したことによって ちょっと沈むこともあるけど、すでに一度乗り越えているものだから そこまでダメージを喰らわない。

でも、渦中にいるときに、その感情を言葉にして綴っていくのは 難しい。noteを書きたくなるのはたいてい 心のなかにモヤモヤがあるときで、でも、そんな「今の自分」はとっても曖昧。

「正論をかませば こうなんだけど 感情としては違うんだよなぁ、これ」みたいなものも たくさんあって「これを書いたら批判されるかもなぁ」とか、「私の印象が変わるよなぁ」とか、否が応でも考えてしまう。

たとえば、

子供をおいて旅行に行くこと、とか
子供が入院した時の付き添い入院、とか
「常に親がそばにいること」は本当に子の幸せなのか、とか
夫婦の性生活のバランス、とか

そういうことに対する私の考えを正直に書くこと、それが大きな批判を生んだりするんじゃないか、とか そんなことを考えて、そうして書くことを 躊躇してしまっていた。



でも、

そろそろ書こうかな


と 思えてきた。

自分が文章を書くことで 元気になると思い出したから。
それを読んで 同じように元気になる人が どこかにいると思い出したから。


書きたいことはいっぱいある。
まとまらないドロドロ、モヤモヤが たくさんある。

顔出し実名のnoteで出すべきなのか、もう1つアカウントを作るべきなのか。

んまぁとりあえず書き出してみて、公開する前に考えればいいか。


以上、4500文字。やっぱ書くとスッキリするね。書き切ってやったぞ

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