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私は10年間、親子別姓で生きてきた


先週、婚約した。

こんな私にも そのイベントは訪れるんだ、と内心驚いた。

ありがたいことだ。とても。



さて、婚約すると かならずと言っていいほど出てくる話題

「どっちの姓を名のる?」


私たちの間にも もれなくその話は浮上した。


2人で出した結論は、

・私は、私の姓を名のる
・彼は、彼の姓を名のる
・籍は入れない。いわゆる夫婦別姓、事実婚

だった。


「選択的夫婦別姓」が実現したら なんの迷いもなく入籍するのに。

どれだけ願っても、今のところ制度は 実現しなさそうだ。

ええやん「選択的」なんやもん。嫌な人は せんかったら、それで。
って思うけど、そうはいかないらしい。


批判派の意見として こんなものを見つけた。

「家族の絆が損なわれる」


なに ゆーとんねん。


私は10年間、親子別姓で生きてきた。
一緒に暮らす家族の中で 唯一、私だけ姓が違った。


でも、絆が損なわれることなんて なかった。



今日は その話をしようと思う。


生まれたとき、私は「應武」だった


平成という元号がまだ新しい1990年、くらい。

「應武」という姓の男と
「菅原」という姓の女が

日本最北端の有人島「礼文島」で出会った。


「應武」と名のる男の 出身地は、岡山県。

とても珍しい姓で 全国に30人しかいない。らしい。

本当かどうかは知らないけど、親戚以外で出逢ったことはないから、あながち本当なんだと思う。

ちなみにハンカチ王子こと斎藤佑樹が 早稲田大学にいたころの野球部監督「應武篤良」は、この男のいとこ。


「菅原」と名のる女の 出身地は、北海道。

菅原は 
【全国順位】 92位
【全国人数】 およそ190,000人
という 比較的メジャーな姓。

「菅原道真の子孫だ!」なんて言ってるけど、こっちは嘘だと思う。


そんな2人は 今から約30年前に 結婚し

「妻の実家が近い方が 何かと 不自由ないだろうから」と男は 北海道に移住した。

「菅原」と名のっていた女は、男の戸籍に入った。
女は「菅原」をやめ 新しく「應武」と名のるようになった。



2人の間には 女の子が2人 生まれた。

それが、姉と私。

生まれた時、私は「應武」だった。



母が「菅原」になった


小学校2年生の時、流行っていた 交換日記の中に、悩みを打ち明けるコーナーがあった。

たぶん「歯が抜けて 恥ずかしい」とか「〇〇くんが 他の女の子とばっかり仲良くする」とか そういうことを書くところ。

そこに私は何を思ったか 「うちのおや、リコンするかも...」と書いた。

「離婚」という漢字なんて書けるはずのない年齢。

てか そもそも「リコン」なんて単語、普通の8歳は 知らない。普通が何かは知らんけど。

はたして、私のこの悩みを読んだ 当時の友人は 何を思ったのだろうか...



幸い その悩みはそれからの7年間、現実になることはなかった。だから 心のどこかで、本当は離婚なんてしないんだろうなと思っていた。


けれど、その期待は あっけなく裏切られる。


嫌な予感はしていた。


母の本棚に並ぶ書籍のタイトルに「離婚」という文字が年々 増えていた。中学生になった私はとっくに漢字を読めるようになっていた。

「離婚届もらってきちゃった♫」とプラスチックケースの中から 大切そうに紙を取り出す母に、愛想笑いしたのは いつだったっけな...



2010年9月16日。

中学校3年生、忘れもしない 学テA の翌日。

(北海道の中学生は、学力テストABCというものがあって、あんまり覚えてないけど、なんか高校受験のために 大事なテスト。)

母は 受験 真っ只中の私を深夜に連れ出した。

車にゆられ 向かった先は、役場の24時間窓口。


15歳。
私は 両親の「離婚届」を 自らの手で出した。

この手で 両親の縁をきった。


親の離婚届を出した子供って世の中にどれくらいいるんだろうか。「子供になんてことをさせるんだ」と世間は 罵るかもしれない。

でも、私は 自らの手で両親の縁を切ったおかげで、離婚することをちゃんと受け入れられたような気がする。


母は 離婚してすぐ「菅原」の姓に戻った。


2021年3月11日追記

このnoteを読んだ姉から 「その時 私なにしてたっけ?寝てた?」とコメントがあったので「たぶんそうじゃないかな」と返した。

母はもともと1人で行く予定だったのかもしれない。

当時「こんな機会、二度とない」と思った記憶はある。 もしかしたら上記の表現は「母は私を深夜に連れ出した」よりも 「私が一緒にいくことを希望した」の方が正しいのかもしれない。覚えていないけど。

姉は 基本的に家族問題からは 距離を置いていた。離婚について、母の相談をきいていたのはいつも私だった。だから 一緒に行くのは 自然な流れだったのかもしれない。


姉が「菅原」になった


離婚すると子供は 「親権」と「戸籍」を選ぶ必要がある。


どのタイミングかは忘れたけれど、姉と2人で「父と母、どちらについていくか?」をこっそり話したことがあった。(これは親権の話)

姉は迷わず「母」と答えた。姉は、母親大好きっ子だった。

私は迷った。

休みの日には いつも一緒に遊んでくれた父。私も母についていくとなると父は一人になってしまう。せっかく2人いるんだから、私は父に・・・でも父は掃除ができない。もし、父に着いていくと決めたら 学校に通いながら 家事全てをこなさないといけなくなってしまう。

それはさすがに無理だよなあ...

そうして私も親権者として 母を選んだ。


ほどなくして、母だけでなく姉の姓までもが 「菅原」に変わった。つまり、姉は「親権」だけでなく「戸籍」も母を選んだ。

母が大好きな姉だったから、姓も 母と同じが良かったんだと思う。



ふと姉は 当時 何を考えていたんだろうと気になって10年たって聞いてみた。

「どうして應武から菅原に変えたの?」

するとこんな答えが返ってきた。

もともと應武って苗字があまり好きではなかった。
初めての人に一発で呼ばれないのが、私は地味にストレスだった。

「なんて読むの?」ってやりとりも。
画数多いし、強そうだし、ハンコないし。

"珍しいから覚えてもらえる" よりも "やりとりが面倒" の方が私は上だった。

苗字にこだわりはなかったし母が変えるなら、と思って。
あと 高校卒業と大学入学のいいタイミングだったのもある。

結果的に「菅原」に変えたことで苗字と名前の字面が優しい雰囲気に変わったから 私は気に入っているよ。


なるほどなあ。

私は違った。


私は「應武」を選んだ


私は姓を変えなかった。

それには 大きく5つ理由があった。


①珍しいから覚えてもらえる

姉が 嫌だと思っていた「珍しい」ということ。確かに 担任の先生が変わった時、病院にいった時、必ずと言っていいほど 名前を読んでもらえなかった。けれど、それでも私にとってはプラスだった。読むのは大変だけど、印象に残る度合いは 抜群。一度みたら なかなか忘れない。私はそれが好きだった。


②全国に30名しかいない「應武」を減らしちゃいけない気がした。

應武は全国に30名しかいないらしい。どこまで本当か知らないけれど。

天然記念物、イリオモテヤマネコみたいなもの。「應武」の詳しい由来や、先祖が何なのかはわからないけれど、気安く減らしちゃいけないような気がした。

(ちなみに パートナーと姓について真剣に考えはじめた半年前、家系図と姓の由来調査を依頼した。もうそろそろ調査の結果が来るはず。私の先祖ははてさて。)


③野球界にいると「應武」という姓は おいしい。

中学生の時から野球をやっていた。最初はマネージャーとして入部したのに田舎すぎて選手が足りなくなって、あれよあれよと選手になった。初心者ではじめたけれど最後の大会は 5番セカンドまで登った。とはいえ 弱小チーム。初戦から市内トップレベルの強いチームとあたって25対0で負けた。点差、バレーかな。

でも、わざと空振りとかもせずに 本気でやってくれて嬉しかった。ありがとう、1995年世代の 旭川市立北門中学校の野球部のみんな。

高校でも野球部に入った。今度こそ マネージャーになった。旭川東高校のウグイス嬢のレベルは甲子園レベルだと話題になった。しかし当の野球部は 甲子園に行くことはなかった。高校2年生の時、好きだった人のチームがうちのチームを破り甲子園の出場を果たした。でも 龍谷大平安に 9回裏2アウト2点差から逆転負けした。その彼との恋はこの記事にのっていたりする。


そんなこんなで 中学高校と野球の世界に浸っていた私にとって「應武」という姓はとても魅力的だった。

なぜなら関係者に「早稲田の監督と同じ姓だね」と声をかけてもられることが たまにあったから。

大学時代、NHKの実況横でスコアを書くバイトをしていた時にもその話になって、「父のいとこです」なんて返したら、それまで私のことを「バイトさん」と呼んでいた人が、名刺を差し出してきて「應武さん」と呼んでくれるようになった。あっぱれ。

野球界にいると「應武」という姓は非常においしいのだ。

そんなことを知っていたから、余計手離したくなかった。


④今までの自分がいなくなる気がした

たった15年だけど、それでも15年、私は「應武茉里依」として生きてきた。ここでもし「菅原」になったら自分が自分じゃなくなる気がして嫌だった。

「應武茉里依」を1つのブランドとして育ててきた自負がある。

珍しいのもあいまって、おかげさまで 検索したらたくさんの情報が出てくるようになった。その1つ1つが なかったものになるような気がして嫌だった。リセットなんてしたくなかった。


当時は 母と姉が「應武」をやめて 「菅原」を名のることは 違和感だった。

10年たった今は、母が「應武」であろうが「菅原」であろうが、母は母だし、姉も姉だと思える。先日、試しに 母と姉の姓を「應武」に戻して フルネームを書いてみた。驚いた。いつの間にか「應武」の方が違和感に変わっていた。

つまり、慣れの問題なのかもしれない。でも私はこれまでの15年間の私を置いて 慣れたくなかった。


⑤戸籍だけでも父と一緒にいたかった

姉は迷うことなく「菅原」の戸籍を選んだ。ならば 私は「應武」に残った方が フェアだな、と15歳の私は考えた。せっかく両親の間には 姉と私、2人の子供がいることだし。

ただでさえ、親権が「菅原」になって一緒に暮らさなくなるというのに、もし戸籍まで「菅原」になったら、父は 本当に 一人になってしまう。

「日本はなんかしらんけど戸籍を重視している」という認識が中学生の私には すでにあった。

離れて暮らす分、戸籍だけでも父と一緒にいたかった。私が「應武」を選んだ最大の理由はこれだった。



そうして、私は「應武」を能動的に 選んだ。
「戸籍」は父親、「親権」は母親という 少しイビツな人生がスタートした。



私が「應武」を選んだことは母にとっては面白くなかった。娘が別れた夫の姓を名のり続けることは そりゃあ嫌だろう。

母からの「菅原に変えなよ〜」攻撃は 何年にも及んだ。

でも、私も 曲げなかった。

のらりくらりと かわし続けた。確か20歳がなんかしらの リミットだった気がする。

20歳の誕生日を境に、「菅原」の襲撃はなくなった。


私は ついに「應武」を守り抜いた。選んだ。勝ち取った。



親子別姓で困ったこと


15歳の私が断固として姓を変えなかったことによって、離婚してからは

母「菅原」
姉「菅原」
私「應武」

の3人暮らしになった。


一緒に暮らす家族の中で唯一、私だけが苗字が違った。


確かに 困ったことはいくつかあった。


例えば... 

①郵便物がたまに届かない

表札に「菅原」としか書かれていないから、あれ?と思った配達員さんがそのまま持ち帰ってしまう。いつだったか 同窓会のお知らせのハガキを受け取れなかった時は キレそうになった。おかげで 宛先に「菅原方」と入れることを学んだ。この知識はのちのシェアハウス生活にも大いに活用されることになる。


②「この人との関係性は?」と聞かれる

何か学校に保護者同意書を出さないといけない時、「菅原」という署名捺印だと たまに「この人との関係性は?」と聞かれた。その度に 「母です」と説明しなければならないのが少し面倒だった。「菅原」という署名が書かれたプリントも なんとなく友達にみられたくなかったような気がする。


③学資貯金?の受け取りに困った

父親が契約した 私のための学資貯金。離婚したことによって契約書と親権者が分離した。父親は 契約者ではあるけれど親権がないので引き出せない。母親は親権はあるけれど 契約者ではないので引き出せない。

結局、父が 母宛に委任状を書くことになった。この時、父と母の関係性を記入する続柄の欄に「知人」と書いてあって、驚いた。「あぁそうか離婚すると知人なのか...」と悟った。

あ、でも これは契約者と親権が分離すると みんな起こるから、親子別姓による課題ではないか。まあいいや。


④パスポートの取得に必要な書類がみんなより多かった

パスポートを取得しようと思った時、私はまだ未成年だった。親権者の同意が必要になる。母に「菅原」の署名をしてもらった。すると、案の定聞かれた。

『この人との関係性は?』

「母です」

『それを証明するものは?』

「しょ、しょうめい???」

『はい、親子であることを証明する書類を添付してください』


私はこの時、泣いた。

「この国では どんなに愛があっても、どんなに積み重ねてきた時間があっても、紙切れ一枚でしか親子関係を証明できないんだ。こんな紙なくても、私と母が親子であることには変わりないのに...」

そんなことを痛感した気がする。



でも、それだけだった。

それ以外そんなに困ることはなかった。別にいじめられもしなかったし、それを理由に差別を受けたこともなかった。まあ自覚がないだけかもしれないけれど。


家族の絆は損なわれたのか?


さて、冒頭の話に戻ると 「選択的夫婦」の導入に反対派の人の意見の中に出てきた「家族の絆が損なわれる」ということについて...


私の実体験に基づく結論は、「姓が変わっても絆は変わらん」だ。


母が「應武」であれ「菅原」であれ、母であることに変わりはない。

姉と姓が違うことで 疎遠になったことなんて一度もない。

父も 「應武」である私と、「菅原」である姉で 態度を変えたことは一切ない。


だから 「家族の絆が損なわれる」という意見を聞いた時、何を言っているんだろう、という気持ちになった。

逆に、姓が変わるだけで損なわれる絆の方が、心配だ。



姉に聞いても同様の回答が返ってきた。

苗字変わったからって家族で変わったことはなにもないよね。
日々わたしは應武だ、菅原だ、なんて思いながら生活してないし。


そらそうだ。

結論は、「姓が変わっても絆は変わらん」。


反対する人は一体、何を守りたいんだろうか。




あなたと結婚したい。けれど姓は変えたくない。


パートナーとは まだ結婚の「け」の字が出る前から 姓の話はしていた。

・「應武」という姓を 10年間 能動的に選び続けてきたこと
・これからも「應武」という姓を大切にしていきたいこと
・10年間 親子別姓で生きてきて さほど困りはしなかったこと
・「應武茉里依」という名前は 1つのブランドであること


彼に「いっそ應武にならない?」という提案もした。


最初は にごしていた彼もだんだん はっきり答えるようになった。

自分も同じように 今の姓に アイデンティティを感じている。
だから この姓を継続したいと思っている。


だから 私たちは事実婚を前提に、「そもそも入籍にメリットはあるのか?」を調べることにした


入籍のメリット


結果、現時点で私たちにとっては、大きなメリットはなかった。


事実婚と入籍とで大きく違うのはこの2つ

①配偶者控除
②遺産相続


①配偶者控除

たとえば 結婚して どちらかが働かなくなる、もしくは所得が103万円以内になった時、税金がちょっと安くなる。いっけんお得のように見えるけれど しばらくは共働きをしていく私たちにとってはプラスにもマイナスにもならない。子供ができて、育休とか取り始めたら 別だけど。


②遺産相続

入籍して法律上の夫婦になっていれば どちらかが死んだ時に 遺産や財産の 法定相続人になれるけど、事実婚だとなれない。とはいえ遺言でどうにかはできる。しかし 相続時の税金は事実婚の方が高くなる、みたいな。(ここについては 年老いてから 入籍するかも?それまでには制度できてるといいな)


それ以外、例えば 健康保険の加入は 事実婚でもOKだし、調べた限り 生活保護とか児童手当とか保育園の審査基準とか金額とかは 法律婚と変わらない。


つまり、上の2つ以外に 入籍のメリットは見つからなかった。


もちろん 社会からの偏見は まだまだあると思う。

けれど、私たちは入籍という行為に、事実婚(=夫婦別姓)をこえるメリットを見出せなかった。


そうして 私たちは事実婚を選ぶことにした。


事実婚ってどうやってやるの? 結婚記念日は?


何を持って事実婚と呼ぶのか?

調べた限りでは、住民票の同居人のところを「夫(未届)」「妻(未届)」と記載してもらう、それだけだった。

入籍も紙切れ一枚だから、結婚は それだけっちゃ それだけなのかもしれない。


そのほか、揉めた時のために 遺産や権利まわりのことを 公正証書で まとめる事実婚の夫婦もいる。

私たちも今のところ 公正証書を作成するつもりで、その作成日を結婚記念日にする予定だ。


子供が生まれたらどうするの?


事実婚をするというとたまに聞かれる。

「子供が生まれたらどうするの?」

事実婚を継続する場合、基本的には 子供の戸籍、親権は私のもとで、彼には「認知」の手続きをとってもらうことになる。


ここについては妊娠の段階、もしくは 保育園に預けるタイミングで再検討する予定。

15歳で姓が異なることを理解、人に説明できた私と違って、幼少期では まだ事情がよくわからない。他の人と違うことで 子供への影響がいちじるしく大きくなるのであれば 考え直す必要があるかもしれない。 

子供が生まれる前に 夫婦別姓が実現するのが本当はベストなんだけど...


籍を入れないことへの両親の反応は...


父「そりゃ男としては自分の姓を名乗って欲しいという気持ちは少なからずあるだろうけど、彼がそれでいいならいいんじゃない」

母「あら、そう。知っておきたいから理由を教えて」「わかったわ」

そんな感じだった。


今のところ 大きな反対はもらっていない。


正式な挨拶も、もろもろの話を進めていくのも これからなので、まだどうなるか わからないけれど。

今は そのうち書くであろう 結婚報告のfacebook投稿のタイトルを「入籍やめました」にしたら キャッチーかなあ なんて ぼんやり考えている。



離婚したら 夫婦は「知人」になる


結婚にあたって発生するイベント「両家顔合わせ」。
離婚した家庭は 少し複雑だ。

特に、別れた方との縁が続いている場合。


私にとって、父も母も、親であることには変わりない。大切な人であることに変わりはない。

だから、どちらにも紹介したいと思っている。


しかし、父と母は離婚してからは「知人」になった。

つまり、他人なのだ。


顔合わせの場に他人がいたら、おかしい。


父に話したら「自分はいいけれど、母は自分がいたら嫌だろうから 父抜きでやっていいよ」と言われた。

寂しいこというなかれ。


相手方の両親にお願いして、2回できないかな...なんて考えている。


とはいえ、私の母は職業柄、コロナの影響で しばらく対面できなさそうなので zoomになりそうな気配。


コロナ時期に結婚する人って、大変だな。

友人も両家顔合わせしないままって言ってたもんな。コロナの影響を ようやく理解してきた。



ps. こんな人いたら紹介してください


というわけで 婚約から姓に対して 私が思ってきたことを、つらつらと書いてみました。


婚約したのがつい先日。

コロナのご時世、まだ ご挨拶をいつするか、対面/オンラインでやるのか、結婚記念日は?結婚式は?などなど 全然決まっていません。


事実婚で進むことは 大きくは変わらなさそうなので、よければ 身近にこんな人がいたら紹介してもらえると嬉しいです。

①事実婚を選択して 公正証書作成したご夫婦
②事実婚の公正証書作成に詳しい 行政書士

これから公正証書を作成していくにあたり勉強したいです。




あ〜 早く夫婦別姓実現するといいなあ〜〜〜

おしまい。


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