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私が奨学金をはじめた理由 ー明日も世界が贈与であふれますようにー

2018年から「應武茉里依奨学金」と題して
【毎月の給与の1%】円を【私の社会人年数分】人に
1年間給付するという制度を続けている。

第1回應武茉里依奨学金
第2回應武茉里依奨学金
第3回應武茉里依奨学金

3回目となった今年の應武茉里依奨学金は
例年以上にたくさんの人の目に届いた。

Facebook投稿には700以上のシェアがあった。
私の投稿を見て こんな記事 を書いてくれた人もいた。

「なぜはじめたの?何が喜びなの?」

・「自分が満たされている」という実感を得られるようになったから。

・これまでの人生でたくさんの恩を受け取ったから。
・恩は返すものではなく送るものだと教わったから。
・これまで恩をくれた人たちにしっかり受け取ったということを伝えたかったから。

・贈与は幸せの要因になると知っていたから。
・本来うまれるはずのなかったコミュニケーションにワクワクするから。

・奨学生の人生が少しでも進んだら嬉しいから。
・その中に「わたし」という存在があったら嬉しいから。

・生きててよかったな、って思う瞬間を もらえるから。

うーん、なんだろう。

**

「すごくいい取り組みだよね。みんなやったらいい、と思う。
けれど、みんなやらないよね。どうして、やらないと思う?」

先週、この記事を書いてくれた彼とあった。
彼からたくさんの”よい”問いをもらって私はこんな回答をした。

うーん、私は他の人よりも たくさんの恩を受け取ったから?
私は他の人よりも “迷惑をかけること”に抵抗がなかったから?
私は他の人よりも 経験した不幸せと幸せの振れ幅が大きくて幸せを感じるハードルが低かったから?

回答をしたはいいけれど、もやもやしながら一週間を過ごした。
昨日、近内悠太さんの『世界は贈与でできている』という本を読んだ。

よかった。すごくよかった。

本当にそうだなと共感するのはもちろん
「あ、気づけていなかったな」と新しい発見をもらった

一番の発見は

「私は他の人よりも 受け取った恩が多い」
と思っていたけれど、そうではなくて
「自分はたまたま先に受け取って、たまたま先に気づいた。
 だから私はこれを届けなければならない。ただそれだけ。」

ということ。

それと私は 受け取ったことに気づく想像力が
他の人よりもちょっとだけ豊からしいということ。


私は人様に迷惑をかけたい

誰にも迷惑をかけない社会とは
定義上、自分の存在が誰からも必要とされない社会

ヒッチハイクで出会った人の
 「宿が決まっていないならうち泊まってく?」
友達の家での
 「ご飯食べていく?」
旅先で出会った人の
 「明日休みだし案内しようか?」
場違いになる可能性が高いことがわかっている時の
 「よかったらくる?」

もしかしたら、これはあくまで社交辞令であって、
本気で言っていなかったのかもしれない。

けれど私はいつも「お願いします!」と答えてきた。
他の人よりも図々しい自信はある。
たぶん私は他の人よりも迷惑をかけることへの抵抗が少ない。
いや、ちょっと違う
迷惑になるかもしれないと言うことはわかっている。
それでも迷惑をかけたいと思う。

つまり私は迷惑をかけている自覚を持ちながら迷惑をかけたいのだ。

もしあそこで遠慮をしていたのなら
 たくさん話し込んだ忘れられないあの夜にも
 麦味噌で作った美味しいお味噌汁にも
 絶対自分ではたどり着かなかった穴場スポットにも
 そのあと一緒に住むことになるあの子にも
出会えなかった。

迷惑をかけたからこそ得られた経験があって

迷惑をかけている自覚が ポジティブな意味での"負い目"になって
だからこそ
「お世話になったあの人にこれをプレゼントしよう」
という感情がうまれる。

接点に過ぎなかったものが繋がりと言う線に変わる。

私はこの繋がりと言う線がすごく好きだ。


最も有自覚な「迷惑」

ヒッチハイクで日本一周をしていると
車だけではなく船をヒッチハイクできる時もある。

髙松の素敵な女性との出会いは、船の上だった。

私に興味を持ってくれて、そのあと
瀬戸内の離島、漂流郵便局がある粟島を一緒に訪れた。
連絡先を交換して別れた。

翌年、原付 日本縦断の時に連絡して会いにいった。
ちゃっかりご馳走になったし、ちゃっかり泊めてももらった。

さらに翌々年、今度は
自転車で熊本から上京していた時にも
また連絡をした。

一晩だけ泊めてもらう予定が
体調を崩して動けなくなった。

普段ほとんど体調を崩さない私は かなり戸惑った。

「顔色悪いんだから、泊まってしっかり休んでいき。
 うちは全然 構わないから」という言葉に私は救われた。

その晩、私は小学3年生ぶりに吐いた。

元気な時にお世話になるのと、
弱っている時にお世話になるのとでは全然違う。

旅のおもしろい話もできないし、お風呂掃除もできない。

自分が弱っている時に人に頼るのは勇気がいる。
何もできない ただ寝ているだけの自分に不甲斐なさを感じた。
迷惑をかけている、と強く思った。

けれど、これはのちにポジティブな"負い目"になった。
あの日の体験が、私に特別な感情を抱かせたと思う。

「どんな私でも応援してくれる強い味方」になった。
強い 繋がりを手に入れられた。

結局あの体調不良は牡蠣にあたっただけだったのだけれども
「迷惑をかけまい」とどこかホテルで一人で吐いていたならば
あの夜の申し訳ない気持ちも、甘えてもいいんだという安心感も
何より これから先の私の人生を応援してくれる心強い味方も
きっと なかった。

「迷惑をかけてはいけない」という考え方によって
あの体験や感情が失われるのであれば
それは私にとってはかなり寂しい世界だと思う。


たまたま先に受け取って、たまたま先に気づいた

私は迷惑をたくさんかけてきたのもあって
他の人よりも 受け取ってきた恩が多いんだろうな、と思って生きていた。
事実、本当に多いとは思う。

だから これまで
もらった恩ゲージみたいなのがあって
ある一定量を超えると恩送りをしたくなるもんだ
と思っていた。

Facebookの投稿に
「私には到底できない」「尊敬します」「私は自分のことばっかりでした」
というコメントをもらった時に
この人たちは たまたま まだ一定量を超えていないだけ
と思っていた。

でも違った。

贈与は『私は贈与した』という人ではなく、
『私は贈与を受けた』と思った人の出現によって生成する
もし私が気づかなかったら、この贈与は存在しなかった

『世界は贈与でできている』を読み進めていく中で
大切なのは
どれだけもらったか、ではなく
どれだけ気づけたか、だと知った。

ゲージを貯める必要なんてなかった。

私は たまたま先に気づくことができたに過ぎなかった。

つまり 私は 受け取ったことに気づくための
想像力が他の人よりもちょっとだけ豊かだということ。

想像力に豊かにしたのは
「苦しかった経験」と「たくさん外に出たこと」だと思う。

苦しかった経験

私は両親の喧嘩を止めるところから記憶がスタートしている
家族4人で笑った思い出がない 両親の温かい会話も覚えていない

とにかくお金がなかった
お金がないのを知っていたから
ルビーサファイヤ(ポケモン)がほしいと言えなかった
満腹になると罪悪感を感じていた
家で一人でいる時 室温が一桁になるまで暖房をつけることができなかった
1ヶ月のお小遣い500円では友達の誕プレもろくに買えなかった

親友と自信をもって言える友達がずっとできなかった
修学旅行の班決めはいつも嫌だった。
修学旅行はお年玉が減るから行きたくなかった。
中学では1年生と3年生の2回、いじめにあった。

リーマンショックのあと 父親がリストラされて、離婚した。
15年住み続けた家が、ある日突然私の家ではなくなった。
新しい借家は 母と姉がずっと話していて、私には話し相手がいなかった。

高卒で働こうと思っていた。

「会いたい」と伝えた直後に大好きな彼氏に別れを告げられた。
「好き」という気持ちを隠したまま体を重ねた恋がたくさんあった。

多分こんな経験が あたりまえのハードルを下げて
気づけるきっかけをくれたんだと思う。
おかげで幸せだなあ、と思えることが増えた。


両親に会話がなかったのを知っているから、夫婦の最後の2週間
父の「ただいま」に母が「おかえり」と返したことに感動できた。

家族4人での思い出がないからこそ
家族で旅行に行って思い出を作れるのは幸せだと気づけた。

小学校で親友ができず修学旅行のグループで困ったり
中学校でいじめられたりした経験があったからこそ
私を頼ってくれる親友がいることに幸せを感じられた。

当たり前に帰る場所だと思っていた場所をある日突然 失ったからこそ
帰る場所があることが幸せだと気づけた。

家に居場所がなくなった時代があったからこそ
家に帰ると今日の話を聞いてくれる同居人がいることが幸せだと気づけた。

室温が一桁になるまで暖房をつけず寒さを我慢した経験や
水道代の節約のために母と姉とまとめてトイレをした経験があったから
コタツがあったかいことや
ガス代や電気代の明細を細かくチェックしなくてもいいことが
幸せだと気づけた。

満腹になると罪悪感を持っていた時代があったからこそ
満腹になるだけで毎食 幸せだと感じられた。
ちょっといいランチを食べれた時に心から「美味しい」と思えた。

映画館は毎月1日の安い日だけ。それ以外はTSUTAYAで借りる、
それも新作はだめで準新作や旧作になるまで待つ
という経験があったからこそ
映画館で見たい時に 映画を見れることが幸せだと気づけた。
 
買い食いしている友達の前を
気づかぬふりして通り過ぎた経験があったからこそ
コンビニに立ち寄れること
新作スイーツをついつい買ってしまえることが幸せだと気づけた。

通信量を気にしてmixiやGREEやモバゲーを我慢した経験があったから
SNSを我慢せずにできることが幸せだと気づけた。

学校のゴミ捨て場から参考書をもらって帰った経験があるから
読みたいと思った本を 読めることが幸せだと気づけた。

高校を卒業したら働こうと思っていた時があったから
大学に通えているということが幸せだと気づけた。

素直な気持ちを伝えると迷惑になると悟った経験があったから
好きな人に「好き」と伝えられること
そして同じように「好き」と返ってくることが
どれほど幸せか知ることができた。


最悪だ、と思っていた経験が
気づけば財産に変わっていた。

「過去が未来をつくるんじゃない。未来が過去をつくるの」
まさにそうだなあと思う。

**

たくさん外に出た

日本一周を何回かした。
北海道の道の駅を制覇した。
世界一周をした。
北海「道」、熊本「県」、東京「都」、大阪「府」と
住民票が 都道府県制覇した。

たくさんの地を訪れて、たくさんの人と触れたからこそ
「当たり前ではない」と気付けたことがたくさんあった。

家のつくりがあったかいだとか
毎日 雪かきをしていた父はすごい、だとか
「おささる」という方言が伝わらない、とか
野菜が甘いとか、海鮮が美味しいとか
ふらっと入った店が美味しいことは貴重だとか

日本のトイレはものすごくきれいとか
水が無料で飲めるのはすごいとか
電車が時間通りくるだとか、お釣りを確認する必要がないとか

親に進路やそのほか決断を反対されたことがないのはレアとか
女子一人でインドに行こうとすると大抵、親の反対にあうとか

すべての私の経験が
私の気づきを加速させた。

過去の中に埋もれた贈与を受け取ることのできた主体だけが、
つまり、贈与に気づくことのできた主体だけが再び未来へ向かって贈与を差し出すことができる。


どうしたら気付けるのか

『世界は贈与でできている』をぜひ読んでください。
もうほんと、ぜひ読んでください。

現代に生きる僕らは、何かが「無い」ことには気づくことができますが、何かが「ある」ことには気づけません
いや、正確には、ただそこに「ある」ということを忘れてしまっているのです。
それはすなわち、それらが与えられたものであること、それがただそこに存在するという事実が驚くべきことであること、
そして、もし失われてしまえば心底困り果ててしまうことに気づくことができないということです。
世界と出会い直すことで、
僕らには実は多くのものが与えられていたことに気づくのです。
「この世界には災禍が間違いなく起こっていたはずなのに、なぜだか知らないがそれが防がれた」。
だとすれば、
「それを防いだ人あるいは防ぎ続けている人がいるはずだ」というふうに、
求心的思考によって想像できる人だけがその存在を把握することができます。


届いたことを送り主が実感するとき

私はこれまで恩をくれた人たちに
「しっかり受け取ったよ」ということを伝えたいと
ずっと強く想ってきた。

愛もって育ててくれた父と母。
旭山動物園の飼育員さんと動物図書館のお姉さん。
焼肉をやいてくれる町内会のおっちゃんたち。

教科書以外のことを教えてくれた地理の先生。

大学に行くという選択肢をくれたジェイティ財団。
『財団をつくると決めた日』で詳しく紹介しています)

私の話をたくさん聞いてくれるだけでなく
ミーティングのたびにケーキを買ってきてくれる札幌のおじさんたち。
無人島を貸し切るという経験をくれたあの人。

遊びに行ったらいつも娘のように接してくれる福井のおとんおかん。
ヒッチハイクで拾ってくれた全国のお母さん、お父さん。
旅先で体調を崩した時に 当然のごとく看病してくれた髙松のあの人。

自分の大好きなツバルに私を連れて行ってくれた親友。
「後輩」だったのにいつの間にか いい意味で対等になっていたあいつ。
初めて付き合ったあの人。

パスポート荷物すべて盗まれて
地球の裏側で茫然とする私に手を差し伸べてくれたみんな。

社会人としての基礎を培ってくれた熊本の社長とみんな。
私という人間に向き合い続けてくれた採用人事の先輩。
しんどい私の話を聞いてくれた東京の同居人。
こんな私を初めから受け入れてくれて期待をよせてくれた大阪の先輩たち。

そんな人たちに「ありがとう」を伝える手段の1つが
應武茉里依奨学金なんだと思う。

親は何をもって自分の愛の正当性を確認できるのか
「子がふたたび他者を愛することのできる主体になったことによって」です

これを読んで なるほどなと思った。
私はこれまでたくさんの人に愛をもらってきた。

だから私に愛をくれたたくさんの人の親御さんに

「あなたの娘・息子から私はこんなに愛をもらっています。
 これまであなたが娘・息子にたくさんの愛を送った証拠です。
 ありがとうございます。おかげさまで 私はとても幸せです」

と伝えたくなった。

今年の母の日は、
大切なひとのお母さんに 手紙を送ろうと思う。
機会をくれてありがとう、tact©︎


贈与の呪い

贈与には、送る側ともらう側ができる。
送る側がいくら「お返しなんていらないよ」と思っていたって
もらう側にはいくらかの負い目ができる。

その負い目が強く、濃くなった時、それは「呪い」になる。

應武茉里依奨学金も「呪い」になりうるな、と思った。
できるだけ呪いにしたくない。

だから募集の文章は、できるだけフラットになるようにした。

冒頭の記事を書いてくれた彼が、私のその意図をうまく受け取ってくれた。
こんなにぴったり伝わることがあるのかと驚いた。すごくすごく嬉しかった。

けれど、やっぱり「相手の経験不足を利用して」「自分の自尊心を満たす」大人が多すぎた・・気がしている・・

 その点!この個人給付は!

「わたし、いろんなひとに助けられてきてん!だからあなたに返させてー!」「あ、振りこみ忘れることもある!怒らんといてな!すぐ振りこむから!」「わたしにもしものことがあったらごめんな!失業とか!」「ほんであなたとも仲良くなれたらとーーーってもうれしい!」っていうふうに、もうすべてが気持ち良すぎるコミュニケーションで感動している。いや、すげえよ。これを実際やれちゃうの。ほんとにすごいです。

なんていうんでしょう、「ワカモノに良い未来に残す」とか? すげえいいコンセプトじゃないっすか。そうしたいですよ。でもじゃあなにをしてるかって、自分を納得させるための答えしか返ってこないことが多いなあと思うわけです。デモに行ったり?いや、めちゃくちゃいいと思う。社会に関心があること。その社会にわたしたちは含まれている。

けれどそれ、まじ押し付けになってない?(小声)
浮気がバレた罪悪感から「ごめんなさい」って自分がスッキリしたいがために謝る、みたいになってない?(小声)
その「残したい未来」、ただの「あなたが押し付けたい未来」じゃない・・?(小声)

ぜひ、全文よんでください。
https://note.com/takeaki_0/n/nee467f64657e


真似してほしくない

奨学金をはじめるにあたって「偽善」や「自己犠牲」と少し葛藤した。
私のこの行為は偽善なのではないか、と。
たくさんシェアされたから非難の声も来るかな、と覚悟した。
(幸い、非難の声は私には届かなかった)

人からよく思われたい、ほめられたい、
誰かに貢献することで自分が満足したい、
という目的が透けて見える行為を人は偽善と感じるらしい。

続けていった時に疲弊する時、自己犠牲と呼ぶらしい。

誰にどう思われようが、非難されようが
私はこの奨学金を やりたいようにやることに変わりはない。
しんどくなったら潔くやめると決めているから
続けていって疲弊することもないと思う。

だからこれは「偽善」でも「自己犠牲」でもないのかもしれない。
もし誰かがそう思ったとしても、それはそれでいいや。
私がやることに変わりはない。

今回のこの活動を たくさんシェアしていただく中で
共犯者が現れないかな、と少し期待していた。
「私もはじめよう!」と想ってくれる人が
1人でも増えたなら そんな嬉しいことはない。

けれど 私は、個人奨学金を今すぐ全員に真似てほしいとは思わない。

個人奨学金は簡単に「偽善」や「自己犠牲」になりうる。
よく思われたいという下心があると、偽善だし
まだ満ちていない人がやると、自己犠牲になりかねない。

「たくさん受け取ってきたな」
という実感がないまま始めないでほしい。

「あぁ自分はたくさんの愛を受け取ってきたなあ」と
ふと気づいた日に 次は自分の番だな、
なんて思い出してもらえるとすごく嬉しい。

あらためてなぜ私は奨学金をするのか

贈与はそれが贈与であるならば
宛先から逆向きに、差出人自身にも与えられる。
それは等価ではありません。まったく質の異なるものが、両者の間を行き来するのです。
その使命感とは「生命力」そのものです。
「受け取ってくれてありがとう」
「困ったときに私を頼ってくれてありがとう」
これらは差出人の側が何かを与えられたと感じたからこそ発することのできる言葉ではないでしょうか。

贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える。

「私は何も与えることができない」「贈与のバトンをつなぐことができない」というのは、本人がそう思っているだけではないでしょうか。
もはや一体どちらがどちらに贈与しているのか分からなくなり、「受取人」と「差出人」が刹那のうちに無限回入れ替わるような事態があります。

差出人と受取人が一つに溶け合ってしまうと言ってもいい。
ここではもはや「与える/受け取る」という階層差はなくなり、並列的な関係へと変わります。

だとすれば、「私はあなたからかけがえのないものを受け取ることができました」
というメッセージを届けること自体が、一つの返礼となるのではないでしょうか。

19歳までは「世の中みんな嫌い、みんな死ね」って思っていた。
でも今は世界が愛おしい。

世界はなんら変わっていないのに
たくさんもらっていたと気づくことで
世界の見え方が変わった。

愛おしいこの世界に、私は恩を還元していきたい。

今年の應武茉里依奨学金にもたくさんの応募があった。

「受け取ってくれてありがとう」と言える対象がいることはすごく幸せだ。
奨学生は、その存在自体が私に生命力を与えてくれる。

やらなくてもいい。
やらなくたって誰も私を責めない。
もともと誰の責任でもない。
けれど自分がやらなければならないと感じている。
なぜなら 先に受け取って、先に気づいたから。

だから私は應武茉里依奨学金をするのだと思う。


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明日も世界が贈与であふれますように。

2020.4.12 應武茉里依

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