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ラーメンは体験である。

ラーメン好きを名乗って5年(くらい)。
醤油、塩、豚骨、家系、二郎系、白湯、煮干。
麺と名前が付く商品を、大学生になって250杯くらい食べた。
少なくとも去年の21歳の1年間で68杯食べた記録がある。食べ過ぎだ。

ラーメンの魅力

私にとってラーメンは、1番手軽に届く贅沢品である。自分へのご褒美に、ニンニクをたっぷりと入れて身体を悦ばせるのだ。

嫌いな食べ物は無いながらに食に対するこだわりは強い方ではあるのだが、基本的に食べ物に魅力を感じる際、その食べ物は湿度が高い。

…… 意味を分かってくれているだろうか。
水分量が高い食べ物。
ほら、例えばクックドゥの回鍋肉のCM。

「ファグぅッッ」みたいな音。

あれは水分量が高いから出る音であろう。
要するに、水分量が高くて胃袋にスっと流れていく食べ物が好きなのである。
表現が気持ち悪すぎて申し訳ない。

何を言いたいかと言うと、その「水分量が高い食べ物」の究極系が、ラーメンなのである。

ただでさえ味が濃くて具材が沢山でパワフルで美味いのに、スープまでもが一緒になっている。
最高の食べ物だ。

さらに、ラーメンはどんなに有名なお店のものでも、1000円も出せば大抵は食べることが出来る。
そう。庶民(学生)が手を出すことの出来る最高級品とはラーメンなのである。

そんな理由を後付けしはじめたのはいつだっただろうか。
とにかく私は、ラーメンが大好きなのである。

ラーメンと私


そんな私が、満を持してラーメンを語りたくなった理由。

なんと。最近。
ラーメンへの満足度が薄れてきているのだ。

理由は2つあると思う。

1つ目は、単純に量を食べれなくなってきたこと。
悲しい。胃袋がもたない。
“ライス無料”の言葉に脅かされ、いつも満足を超えてしまう。
食べ終わった後、満腹に苦しめられている。

2つ目は、ラーメン好きを名乗りすぎたせいで、自分への贅沢としてラーメンを食べることに一種の強迫観念のようなものを覚えてしまったこと。
もはや義務感を持っているので、食べ終わった後に「よし。俺はこの土地の家系を食べたぞ。」
と、食事への満足感とはまた別の満足を味わっている。

私は収集癖がある節もあるので、恐らくラーメンを食べることがコレクションと化している気がするのだ。

ここで私には、
「好きな食べ物って、これでいいのか…?」
という疑問が浮かんでしまった。

ラーメンを食べても、幸福感というより達成感を味わうようになってしまった。

本来のラーメン好きの私はどこかへ消えてしまったのだ。

好きって、なんなのでしょうか。

これは依存とはまた違う気もするのですが、
確実に本来の「好きな食べ物」から離れてしまったラーメンへの申し訳なさが止まりません。

でも、信じてください。
そこに愛はあるんです。
だからお金を払って、今日もラーメンを食べる。
30分くらいなら、並ぶ。
150円のライスは、付ける。

私は思った。
私にとってラーメンを食べることは、食事とは違うのだと。
私にとってラーメンは、体験であると。

様々な土地の、様々な味を、様々な人と楽しむ。
更に言えば私にとって唯一、一人でも楽しめる時間。
それがラーメンを食べるということ。

ラーメンはもはや、好きな食べ物を超えた。

私は「ラーメンを食べる時間」が好きだ。

私にとって、ラーメンは体験である。


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